第2話
ファビアン殿下の婚約破棄宣言に、広間のあちこちで声が上がった。
コンスタンツェ様は国王陛下が認めた婚約者だ。それを卒業祝いの席で、一方的に罪人扱いしたのだから無理もない。
もっとも、殿下には周囲のざわめきが喝采に聞こえているらしい。
顎を上げ、コラリーの肩をいっそう強く抱く。
その両脇へ、三人の男が進み出た。
「来ましたよ。殿下の悪いところを三人で補強している皆様が」
「紹介の仕方に容赦がないな」
キリアンがグラスを持ち直した。
私は指先だけで、順に示す。
「左が近衛騎士団長の息子、ガストン。中央が筆頭宮廷魔術師の息子、パスカル。右が財務卿の息子、ユーグです」
「あの若さで、それぞれ役所に席を持っている連中か」
「ええ。卒業前の見習いですけど、偉くなる練習ばかりお上手で」
騎士見習いのガストンは学園の警備に口を出し、パスカルは宮廷魔術院の補佐役。ユーグには学園会計の実務研修という名目で、帳簿と公印が預けられていた。
親の名前は、便利な鍵になるらしい。
『コンスタンツェ嬢! 黙っていれば許されると思うな!』
ガストンが儀礼剣の柄に手をかけた。
『コラリー嬢の訴えは我らが確かめた。貴様が彼女を妬んでいたこともな!』
『私物に残る魔力も調べました』
パスカルが眼鏡を押し上げる。
『公爵家のお力で、調査結果までもみ消せるとは思わないことです』
『ええ。彼女の破れたドレスの弁償も、学園が立て替えたのですよ』
最後にユーグが、書類らしきものを振ってみせた。
あれは後で困るぞ。自分から出してしまっていいのか。
「……よく似てる」
つい口からこぼれると、キリアンがこちらを向いた。
「何にだ」
「一年前、私を囲んだ時に」
殿下の婚約者候補は、当初は何人もいた。父が断れずに引き受け、私も役目だからと通っていたけれど、殿下は貧しいブラント家の娘が混ざっているのが気に食わなかったらしい。
教科書を捨てられた翌日、返してくださいと食い下がった。
するとガストンに外階段で突き飛ばされ、足をひねった。その上から、パスカルの水魔法で泥水を浴びせられた。
「ユーグは父の借用書の写しをひらひらさせてました。『文句を言うなら借金を全部返してからにしろ』って」
あの時、ファビアンは笑っていた。
私は制服を絞りながら立とうとして、また座り込んだ。折れたのかと思うほど、足首が痛かった。
「コンスタンツェ様が見つけてくださったんです。羽織をかけて、馬車で家まで送ってくださいました」
帰宅した私を見た父は、王宮へ出した訴えの控えを持ってきた。
何度出しても、返るのは『候補者間の行き違いについて確認中』という同じ文面だった。のちに、その訴え自体が陛下のお手元へ届いていなかったと知ることになる。
父はその日のうちに、候補を辞退する書面を出した。
なのに正式な受理は半年も引き延ばされた。殿下が財布を投げつけに来たのは、ようやく辞退が認められた、その日だ。
「あれ以来、父は私が王宮の話をするだけで顔色を変えるんです」
笑って話すつもりだったのに、声の終わりが少しだけ低くなった。
キリアンが水のグラスを私の側へ寄せる。
「飲め。喉が乾いただろう」
「……ありがとうございます」
飲んでみたら、本当に喉が渇いていた。
彼は、私がグラスを置くまで黙っていた。
「コンスタンツェ様は、次はご自分が狙われると分かっていました。殿下の支出に口を出した途端、嫌がらせの噂を流されたそうです」
「それで組んだのか」
「ええ。私は記録具の手入れと整理。あの方は証言や帳簿の確保。こう見えて、魔法工学だけは成績がよかったんですよ」
捨てられた教科書も、その授業のものだった。
買い直すお金が惜しくて、乾かして使い続けた。今でも、湿った紙の匂いがする。
「あいつらが聞いてもいないことを私の罪にするなら、今度はこちらの話を、途中で逃げずに聞いてもらいます」
キリアンが小さく頷いた。
「それは、最後まで見届けねばな」
「途中で席を立ったら、いいところを見逃しますよ」
「立たん。隣席の客が気に入った」
さらっと言われた。
私は水のグラスを持ち上げかけて、やめた。もう一口飲むと、動揺をごまかしているみたいではないか。
実際、少し動揺しているのだけれど。
階下で、コンスタンツェ様が口を開いた。
『皆様のお話は承りました。では、私がコラリー嬢を階段から突き落としたところを、実際にご覧になった方はいらっしゃいますか?』
『コラリー本人がそう言っている!』
ファビアン殿下が答えた。
『私がお尋ねしたのは、目撃した方ですわ』
『同じことだ! 俺の友が調べ、俺が認めた。何が不満だ!』
殿下は勢いよく振り向いた。
踵がマントの裾を踏んだ。
『うおっ!』
横にいたガストンが、慌てて腕を支える。
コラリーは巻き込まれまいと、ぱっと離れた。動きが速い。
「……踏みましたね」
「ああ」
キリアンはグラスを卓に置き、口元を覆っていた。
その肩が揺れているのを見て、私もとうとう笑ってしまった。
『殿下。お気をつけて』
コンスタンツェ様は、何事もなかった顔で続けた。
『私にも調べたものがございます。破られた教科書について校長先生へ相談した際、記録具の設置許可を頂きましたの。階段での出来事も、偶然ではなく、その調査の中で記録されています』
パスカルが、眼鏡を直す手を止めた。
『皆様、正面の壁をご覧くださいませ』
扇子の先が壁へ向く。
今度こそ、上映の合図だ。
「さあ、お仕事お仕事」
私は椅子を引き寄せ、投射機のレバーに手をかけた。
隣から伸びてきた手が、コードに触れそうだったグラスをどけてくれる。
「こぼしたら困るだろう」
「助かります。では、どうぞ瞬きなさらず」
レバーを、最後まで押し下げた。




