第12話
三週間後、私は帝国の船の上にいた。
両親との相談を済ませ、領地の留守を代官へ頼み、支度をしているうちに、そのくらい経ってしまったのだ。
先に帝都へ戻ったキリアンからは、出発までに何通も手紙が来た。
最初は、いかにも皇帝らしい立派な便箋だった。
次からは、少し小さくなった。
私が『あんな紙だと、お返事を書く手が震えます』と書いたせいらしい。
内容も、天気と旅の手配に加えて、夕食に何を食べたか、庭で何の花が咲いたか、そういうことが増えた。
一番新しい手紙の最後には、短く、こうあった。
『早く顔が見たい』
私もです、と返事を書いた。
書いてから、便箋を畳むまでに少し時間がかかったことは、誰にも言っていない。
その本人が、今は目の前にいる。
近郊の港の視察を終え、私たちの船へ途中から乗り込んできたのだ。
「視察を、わざとこの日に合わせました?」
「ああ」
「隠さないんですね」
「会いたかったのでな」
ほら、そういうことを何でもない顔で言う。
私は紅茶へ口をつけた。船旅の間に慣れておこうと思っていたのに、本人を前にしたら、手紙は少しも練習にならなかった。
客室の向こうから、父の笑い声がする。
母と二人で、船室の窓から景色を見ているらしい。今回は長い滞在になるが、領地は手放さず、帰りの予定も家族で決めてある。
そのことが、私の足元を落ち着かせてくれた。
テーブルには、スコーンとサンドイッチが並んでいた。
キリアンがスコーンを割り、片方へクリームを載せる。
「食べるか」
「いただきます」
手を伸ばしたら、彼は皿に置かずに、こちらへ向けたまま止まった。
「……陛下?」
「一度くらいは、いいだろう」
何が、と聞くのは、さすがに意地が悪い。
私は周りを確かめた。給仕の人は、海を見ている。とても丁寧に、海だけを見ている。
「一度だけですからね」
小さくかじる。
口の端へクリームがついたのが分かり、急いでナプキンを取った。
キリアンは、まるで自分が食べたみたいに満足そうだった。
「……楽しいですか」
「かなり」
私だって、少し楽しい。
そう言うのは悔しいので、もう半分のスコーンを彼の皿へ置いた。
* * *
お茶の終わりに、船の連絡係が私宛ての郵便を持ってきた。
いくつかの封筒に交じって、王宮監獄の検閲印が押されたものがある。
鉱山へ移送される前に書かれ、ブラント家からこちらへ転送された手紙だった。
差出人を見た途端、手が止まった。
「受け取りたくなければ、係へ戻せる」
キリアンが言った。
私は少し考え、封を切った。
『シビルへ。
あの日は、うまく話せなかった。
北部へ出立する日が決まった。父はもう会いにも来ない。俺の服も指輪も、すべて取り上げられた。
お前は帝国へ行くのだろう。皇帝が頼みを聞いてくれるなら、俺を王都に置くように頼んでくれ。
昔、お前が持ってきた菓子を、今でも覚えている。
返事を待っている』
短い手紙だった。
クッキーは、まだ彼の中では、私を呼び戻すための道具なのだろう。
私は便箋を封筒へ戻した。
「お返事はしません」
係の人へ渡し、今後、あの人からの私信は届けないでほしいと頼んだ。
手続きに必要な連絡なら、父と正式な窓口を通してもらえばいい。
それで済んだ。
思っていたより、ずっとあっさりと。
キリアンは何も尋ねなかった。
私が冷めた紅茶を飲もうとすると、給仕へ新しいものを頼んでくれた。
「……手紙を読む前に戻れたら、と少し思いました」
口にしてから、自分でも意外だった。
もっと平気な顔をしていたかったのに。
「せっかく、楽しくお茶を飲んでいたので」
「では、続きをやろう」
キリアンが菓子皿を見る。
スコーンは、もうなかった。
「追加を頼むか」
「さすがに、お腹いっぱいです」
「そうか」
彼は少し考えて、手を差し出した。
「甲板を歩くのは?」
「……はい。そちらがいいです」
外へ出ると、風が思ったより強かった。
キリアンが私の風上に回り、外套の襟を直してくれる。
「寒くないか」
「大丈夫です」
二人で手すりに並んだ。
船の舳先の向こうに、白い城壁と細い塔が見える。帝都だ。
胸が弾んだ。
あの街で、私はまだ行ったことのない場所へ行く。知らない人に会う。うまくできないことも、きっとある。
その最初の日を、この人と迎えられるのが嬉しい。
「陛下」
「何だ」
「私も、会いたかったです」
言えた。
言った途端、風の音が大きくなった気がした。
キリアンが私を見る。
それから、握っていた手を少し持ち上げ、指先に唇を触れさせた。
「手紙より、直接聞く方がいいな」
「……私も、そう思います」
海を見ているふりをした。
でも、手は離さなかった。
城壁が少しずつ近づいてくる間、キリアンもずっと、同じように握っていてくれた。




