第六十三章:劉備軍は、三つの戦場で同時に大勝利を収めた
三つの地名が書かれた木札を、孔明は卓上に並べた。
北の渡し、東の丘、西の塩道。
「敵は我らの兵力を一か所に集めたい。ならば、集めないまま勝ちます」
俺は思わず尋ねた。
「三か所に分けたら、食料を運ぶ人が足りません」
「だからあなたに頼みたい」
孔明は作戦図の上に小さな丸を三つ描いた。
丸は戦場ではなく、荷車が一日で往復できる中継地点だった。
龐統が口を挟む。
「敵には、三か所のうち二か所が囮だと思わせましょう。実際には、三か所とも勝つつもりですが」
俺たちは夜通し配給表を作った。
北へ行く関羽の隊には乾いた麦飯と塩、東の張飛隊には粟団子、西の趙雲隊には豆を煎った携行食を多めに渡す。
全員に同じものを配れば公平に見えるが、移動距離と水の確保が違えば、必要なものも違う。
運送兵の一人が「どの隊が一番大事なんです」と聞いた。
「全部だよ。だから同じ配り方にしない」
彼は納得した顔で荷札を結び直した。
荷札には行き先だけでなく、雨に濡れた場合の代替経路も書いた。
字の読めない者には色と刻み目で分かるようにした。
北の渡しでは、関羽が敵の歩兵を相手にしていた。
橋を落とせば勝てるが、村人の行き来も止まる。
関羽は橋を残し、上流の浅瀬に兵を伏せた。
敵が橋へ集中したとき、関羽の別働隊が浅瀬を渡り、敵の旗手を捕らえた。
指揮を失った歩兵は退き、橋は一本も焼かれなかった。
関羽からの伝令は、戦果より先に「渡しは使える」と告げた。
俺はその一言に安堵した。
橋が残れば、明日の食料が届く。
三つの戦場に兵を分けると聞いたとき、俺が最初に考えたのは武勇ではなく、鍋の数だった。
北の渡しには冷たい水しかない。
東の丘には薪が少なく、西の塩道では荷車が通れない。
「同じ兵糧を配れば公平だろう」と補給係が言う。
「同じものを配ると、場所によっては食べられません」
北には湯で戻せる干し飯、東には前夜に炊いた麦飯を包み、西には砕いた豆と塩を小袋に詰めた。
塩の袋には赤い糸を付けた。
袋が似ていると、夜明け前の暗がりで取り違える。
最初の知らせは北から届いた。
敵の渡河を防いだが、橋が流されて負傷者を運べない。
俺は予備の荷車を送ろうとしたが、東の丘からも急報が来た。
どちらへ先に向けるか、判断を迫られる。
孔明は伝令を呼び止めた。
「北へ車輪、東へ担架。道の幅が違います」
「東は人手が足りません」
龐統が口を挟んだ。
「西で敵が退いたら、その隊の兵を東へ回す。ただし、勝利を確認してからです」
命令を出した直後、西から伝令が来た。
張飛が敵の先鋒を崩したという。
だが旗手が負傷し、勝利の合図が一度しか上がらなかった。
二度目を待つべきか。
俺は喉が乾いた。
孔明は首を横に振った。
「一度では動かせません」
遅れた二度目の旗が上がるまで、長い時間に感じた。
ようやく西の予備隊が東へ向かう。
結果として三戦場で勝利したが、東では担架が足りず、兵が仲間を背負って坂を下りた。
戦後、劉備は勝報を聞いても喜びきれなかった。
「三つ勝った。だが三つとも、誰かの帰りを待つ者がいる」
俺は翌日から、担架を作る木工職人を増やした。
勝ち方の記録だけでは、次の戦に足りない。
東の丘では張飛が苦戦していた。
敵の弩兵が高所を押さえ、突撃できない。
張飛は一度兵を下げ、龐統が用意した空の荷車を丘の下へ並べた。
敵は荷車を燃やそうと矢を集中させたが、その間に張飛の兵は反対側の斜面を登っていた。
車輪を外した荷車の陰で進み、弩の死角へ回り込む。
「俺の顔が見えるところまで来てみろ!」
張飛の怒号が丘に響き、敵は弩を捨てた。
張飛は勝った後、壊れた荷車を見て頭を掻いた。
「お前の道具を壊したな」
「兵が生きて帰ったなら、作り直せます」
俺の返事を聞いた彼は、いつになく静かに頷いた。
三つの戦場から届いた報告を整理していると、戦死した伝令の荷物から折り畳まれた紙が出てきた。
『帰ったら母さんの畑を直す』。
それだけだった。
俺は筆を持ったまま動けなくなった。
勝利の数字の下に、その一行を埋めるわけにはいかない。
劉備に相談すると、彼は「家へ知らせよう。俸禄も届けよう」と言い、手紙の末尾に自ら名を記した。
俺は母親のために農具を一本用意した。
畑を直す約束を、別の誰かが引き継げるように。
西の塩道は、趙雲にとって初めての大きな任務だった。
敵は補給路を断つため、谷に伏兵を置いていた。
趙雲は先頭の荷車をわざと止め、後続を高台へ退避させる。
敵が飛び出すと、趙雲の騎兵は谷へ降りず、尾根伝いに敵の退路へ回った。
戦うより先に包囲を示し、投降を促す。
敵兵の多くは刃を交えず武器を置いた。
「敵を逃がすのでは」と部下が言うと、趙雲は答えた。
「道を守るために来た。屍を増やすためではない」
俺はその報告を聞き、劉備が彼を迎えた理由を理解した。
夕暮れ、三か所から勝報が届いた。
劉備は喜んだが、すぐに「負傷者の数は」と尋ねた。
俺は三枚の報告書を並べ、残った食料を計算した。
勝った隊にも、食べ残しの少ない隊と多い隊がある。
明日は配給を調整しなければならない。
孔明は俺の表を覗き、「戦果が三つ、反省も三つですね」と笑った。
龐統は「曹操殿には、どこが本命だったのか悩んでもらいましょう」と言った。
俺は首を振った。
「こっちは明日の荷車の方が悩ましいです」
軍師二人は声を上げて笑った。
三つの勝利を支えたのは、一つの奇策ではない。
三つの場所に、必要なものが必要な時刻に届いたことだった。
勝報が三つ揃った翌日、孔明は戦果の報告をやり直させた。
敵を何人退けたかではなく、どの隊が何刻遅れ、どの道で荷車が止まったかを書かせたのである。
「勝ったのに反省会ですか」と張飛が言った。
「負けてからでは遅いのです」
西の塩道では、車輪の軸が熱を持っていた。
東の丘では担架の棒が折れた。
北の渡しでは乾燥させた飯が水を吸い、重くなった。
どれも大軍を崩すような問題ではないが、負傷者一人の命を左右する。
俺は職人に頼み、担架の棒を差し替えられる形にした。
車輪の軸には交換用の木栓を用意する。
干し飯は油紙が足りず、代わりに布袋を二重にして口を高く縛った。
完全な防水ではない。
だからこそ、濡れた袋を見つけた兵が交換を申し出やすい制度も必要だった。
「失敗を報告すると叱られると思っていました」と若い補給兵が言う。
「黙っていた方が危ない。壊れた車輪は直せるけど、失った命は戻らない」
その日の夕方、劉備は各隊の兵を集め、戦功を褒めた後で、運搬役にも同じように礼を言った。
名を呼ばれた荷車引きの老人は、槍を持つ将軍たちの前でどうしていいか分からず、深々と頭を下げた。
俺はその姿を見て思った。
三つの勝利を一つの物語にまとめるなら、主役は武将だけでは足りない。




