第五十五章:鳳雛・龐統が劉備軍に加わった
鳳雛は、門前で三度追い返された。
「軍師を名乗る者が来た」と門番が言うので、俺は慌てて外へ出た。
そこには旅塵を浴びた男が立ち、荷車の壊れた車輪を眺めていた。
「あなたが龐統殿ですか」
「そう名乗ったが、門番は私より荷車を信用しているようだ」
「すみません。迎えの者を出していたのに」
「気にするな。むしろ面白いものを見た」
龐統は車輪の脇に刻まれた印を指した。
「積みすぎを防ぐ印だろう。兵の食料を運ぶ車に、誰でも分かる決まりを作っている」
俺は驚いた。
「見ただけで?」
「道具は、作った者の困りごとを喋るものだ」
劉備は礼を尽くして迎えた。
だが龐統は、豪華な席を用意されると首を振った。
「まず兵の食事を見たい」
張飛が吹き出した。
「こいつも飯の話か!」
俺は龐統を炊事場へ案内した。
豆と麦の粥、干した野菜の汁、塩を少しだけ使った漬物。
贅沢ではないが、兵に温かいものが行き渡る。
龐統は一椀食べ、炊事係に尋ねた。
「雨の日は?」
「薪が湿れば遅れます」
「敵に道を塞がれたら?」
「予備の倉庫から運びます」
「その予備も塞がれたら?」
炊事係が俺を睨んだ。
「そういう嫌な質問は、この人にしておくれ」
龐統は大笑いした。
加入が決まった夜が明けると、龐統は自分から補給車の列に混じって歩いた。
誰も軍師だとは気づかず、車を押す兵が「そこの人、後ろを持ってくれ」と声をかけた。
龐統は黙って手を貸し、坂を登り切ってから「この車は車軸より先に人が壊れる」と言った。
俺はすぐに休憩場所を増やすことを決めた。
昼には、孔明と龐統が初めて正式に同じ協議の席へ出た。
孔明が敵の進軍速度を推測すると、龐統は敵の将軍の性格を問い返した。
「急ぐ理由が命令なら、道を塞げば止まる。面子なら、塞ぐほど無理をする」
関羽はその違いに頷き、張飛は「俺は面子で動く方だな」と正直に言った。
龐統は「知っています」と即答し、場を笑わせた。
夕暮れ、劉備は龐統に新しい席を与えたが、龐統は孔明の隣を選んだ。
「遠い席だと反論するのに声が要る」
孔明は「それは困りますね」と返した。
俺は二人の間に、まだ白いままの地図が広がるのを見た。
そこへ何が描かれるのか、少し怖く、同じくらい楽しみだった。
将たちの協議で孔明が地図を広げると、龐統は一瞥して言った。
「君は道を三本用意したつもりだが、三本とも同じ橋を通っている」
俺は背筋が冷たくなった。
確かに地図の端で三本の線が一本に集まっている。
「橋が落ちたら終わりだ」
孔明は扇を止め、すぐに頷いた。
「その通りです」
張飛が二人を見比べた。
「喧嘩にならんのか」
「正しい指摘に腹を立てるほど、暇ではありません」と孔明。
「腹を立ててくれた方が面白いのに」と龐統。
関羽は小さく笑った。
龐統は劉備に条件を一つ出した。
「私が策を出しても、勝ったときに民を追い立てないでいただきたい。敵の土地を奪って、田畑を空にするのは下策です」
劉備は即座に答えた。
「わしも同じことを願っている」
「ならば、仕えましょう」
その場にいた全員が息を呑んだ。
あまりにもあっさりした返答だった。
「もっと難しい条件があるかと」と俺。
「あるとも。毎日、私の食事を忘れないことだ」
張飛が腹を抱えて笑った。
加入を祝う席で、俺は干し飯の改良品を出した。
豆の粉と細かくした乾燥野菜を混ぜ、湯があれば汁にできる。
龐統は一口食べて眉を上げた。
「戦場では味より速さか」
「味も諦めていません」
「なら、もう少し香りが欲しいな。兵は旨いものを食べると、明日も生きようと思う」
その言葉は妙に胸に残った。
夜更け、孔明と龐統が二人きりで地図を見ていた。
俺が通りかかると、龐統が呼び止めた。
「お前が火薬を作った男か」
「はい」
「よく作った。だが、そのせいで敵は次から音を恐れなくなる」
「分かっています」
「なら、音を恐れない敵には何を見せる?」
孔明が静かに笑った。
「そこからが、あなたの出番でしょう」
二人の視線が交わった。
俺は、歴史の本でしか知らなかった臥龍と鳳雛が、同じ灯の下で策を練る姿を見た。
未来が変わる音は、爆発ではなかった。
紙の上を走る筆の音だった。
その晩、龐統は兵の寝床を見て回り、雨漏りのある天幕を見つけた。
俺に「まずここを直せ」と言う。
明日の策を期待していた俺は肩透かしを食ったが、眠れない兵に良い策は実行できない。
夜が明けると、天幕の修理が最初の仕事になった。
龐統が来て三日目、補給係の間で小さな騒ぎが起きた。
彼が記録上の数字を疑い、倉庫を開けて一袋ずつ数え直したのだ。
係は面子を潰されたと怒ったが、結果は龐統の指摘通りだった。
干し飯の袋の重さが揃っておらず、数だけでは正しい量が分からない。
俺は謝り、袋の大きさを統一するよう職人へ頼んだ。
「お前が謝る必要はない」と龐統。
「いや、仕組みを作ったのは俺です。間違いがあれば直します」
龐統はしばらく俺を見て、ふっと笑った。
「孔明が面白がるわけだ」
俺は何のことか分からず首を傾げた。
その晩、孔明と龐統は二人で遅くまで話していた。
窓の外には兵の寝息が聞こえる。
龐統は「お前の軍は、英雄より先に鍋が働いている」と言い、孔明は「だから英雄が動ける」と返した。
俺は廊下で足を止めた。
どちらの言葉も、俺には何より嬉しい褒め言葉だった。
龐統を迎えた夕食で、孔明は新しい豆の煮込みを褒めた。
すると龐統は匙を取り、香草をひとつまみ加えた。
「兵が毎日食べるなら、こちらの方が飽きません」
孔明は黙って味を確かめ、今度は干した茸の粉を足す。
張飛が両方を平らげ、「どちらが勝ちだ?」と聞くと、二人は同時に俺を見た。
俺は困って「明日から両方作りましょう」と答えた。
龐統は腹を抱えて笑い、孔明も袖で口元を隠した。
二人の知恵が最初に競い合ったのは、戦場ではなく鍋の上だった。
龐統は翌日、炊事係に新しい問いを出した。
「兵が二倍になったら、鍋は二倍で足りるか」
女は即答した。
「鍋より先に薪が足りなくなる」
龐統は嬉しそうに俺を見た。
「ほら、ここに軍師がいる」
女は「軍師なら薪を割っておくれ」と斧を渡した。
龐統が本当に薪を割り始めたので、兵たちは目を丸くした。
俺は笑いながら手伝った。
才人を迎えるとは、こういう日常が増えることなのかもしれない。
夕方、劉備は龐統を連れて兵の列を歩いた。
誰もが新しい軍師の顔を知っているわけではない。
だが、彼が荷車を押し、薪を割った話はもう広まっていた。
兵の一人が頭を下げると、龐統は「礼なら、明日も元気に飯を食ってくれ」と答えた。
俺は、鳳雛がこの軍に加わったことを、ようやく実感した。
夜が明けると、俺は龐統の席に温かい茶を置いた。
新しい仲間が増えたことを、そんな小さなことで確かめた。
夜更け、龐統が工房の明かりを見つけて戻ってきた。
「まだ仕事か」「明日の干し飯を試しています。冷えても食べやすいか確かめたくて」
龐統はひと口かじり、顔をしかめた。
「硬い。歯の弱い兵にはつらいな」
俺は慌てて記録を取った。
孔明なら保存日数を尋ねるだろう。
龐統は食べる人間の顔を思い浮かべる。
二人の違いが、早くも俺には頼もしかった。




