第百十五章:関羽は江東の精鋭を破り、孫権の旗を見た
朝霧の向こうに、孫権軍の先鋒が現れた。
関羽は船首に立ち、青龍偃月刀を握っていた。
赤壁で共に戦った江東の将が、向こうの船から声をかける。
「関将軍、なぜ我らが敵になった!」
関羽はすぐには答えなかった。
「我らは江東の民を敵とは思わぬ。だが、川を閉ざし、民の船を奪うなら見過ごせぬ」
敵将は唇を結び、矢を放つ合図をした。
川面に矢が走り、船縁に突き刺さる。
孔明の指示で、こちらの船は一斉に向きを変えた。
正面から押し合うのではなく、流れの速い側へ敵を誘う。
俺が用意した滑り板が浅瀬を越える助けになったが、実際の操船は漁師上がりの船員たちの腕にかかっていた。
一隻が岩に触れ、舵を失った。
俺は修理箱を抱えて走った。
木栓を打ち、裂けた縄を替える。
水が足元を濡らし、指が震える。
船員が「まだ動く!」と叫んだとき、俺は初めて息をした。
関羽の船は敵の側面へ回り込んだ。
敵将が槍を突き出すより早く、関羽の刃がその槍を跳ね上げた。
二人の間に火花が散る。
関羽は相手の胸を斬らず、手元の武器を川へ落とした。
「退け。お前の兵を死なせるな」
敵将は歯を食いしばったが、後方の船が次々と動きを失うのを見て、退却を命じた。
そのころ、龐統は岸で偽の増援旗を掲げていた。
敵の見張りは、こちらにまだ大軍が残っていると報告した。
実際には張飛の隊が船を修理し、負傷者を運んでいる。
旗一つで敵の判断が遅れた。
昼過ぎ、霧が晴れた。
遠くの大型船に孫権の旗が見えた。
関羽は追うかと問われ、孔明から渡された命令書を開いた。
そこには「旗を見ても深追いするな」とあった。
関羽は刃を収めた。
「孫権を追えば、この川に死者が増える。今日の役目は果たした」
俺は甲板に座り込んだ。
傷ついた船員に水を渡すと、彼は「敵の旗を取らなかったのか」と尋ねた。
「旗より大事なものがあるんだ」
「何だよ」
「この船で帰ることだ」
船員は笑い、すぐ痛みに顔をしかめた。
俺は医療係を呼び、手当てを頼んだ。
夜、劉備は関羽の戦果を聞き、「よく止まってくれた」と言った。
関羽は静かに頭を下げた。
勝つために攻める者は多い。
勝ったあとに止まれる者は少ない。
俺はその違いを、川の上で見た。
関羽の船が浅瀬へ近づいたとき、先頭の櫂が折れた。
船体が横を向き、敵の弓兵が狙いを定める。
「退くな」と関羽が言いかけたところへ、岸から魏延の声が飛んだ。
「退くのではありません。流れに乗せてください!」
趙雲の隊が住民を避難させた空き船着き場が、ちょうど風下にあった。
関羽は一瞬だけ目を細め、船頭に進路を任せた。
黄忠の矢が敵の射手を牽制し、馬超の騎兵が岸の増援を押さえる。
関羽の刀はその間、一度も振られなかった。
だが船が安全な流れに乗ったとき、彼は静かに言った。
「将の勇とは、部下の知恵を聞くことでもあるか」
船頭は返事もできず、折れた櫂を握り締めていた。
戦いのあと、敵の船から拾った水筒が俺の手元に残った。
蓋に子供の名前らしい字が刻まれていた。
俺は捕虜の名簿と照らし合わせ、持ち主を探した。
若い船員が名乗り出て、震える手で受け取った。
「娘が刻んでくれたんだ」
俺は黙って頷いた。
こちらの兵にも、家族の名を刻んだ道具を持つ者がいる。
戦場では互いに矢を向けるが、帰りたい場所は似ている。
関羽はその話を聞き、翌日の捕虜交換で水筒や衣類を本人に返すよう命じた。
誰かの持ち物を返すことが、軍の誇りを守る行為になる。
俺はその命令を書き留めた。
戦から戻った船は、傷ついた板を替えられて再び水へ出た。
修理係の少年は、穴の開いた古い板を捨てずに持っていた。
「俺が初めて直した船なんです」
俺はその板に日付を書いてやった。
戦果の旗より、彼にはその傷が勲章なのだろう。
関羽が浅瀬の先を指した。
「敵船はあそこへ誘い込める。だが味方の漁船も通る」
俺は川底を知る漁師に話を聞き、浅瀬を示す杭を一時的に外す時間を決めた。
敵を欺く策でも、暮らしの道を奪ってよいわけではない。
敵の船から助け出された少年は、毛布を握りしめていた。
敵兵の子だと聞いた兵が顔をしかめたが、関羽は「水に落ちた子に旗はない」と言って湯を渡した。
少年は飲む前に、同じ船にいた父を探してほしいと頼んだ。
夜が明けると、浅瀬を確かめるために現場へ出た。
昨日の約束が今日も守られているか、記録上の数字と目の前の景色を比べる。
修理箱のそばには、まだ片づけられていない道具が残っていた。
兵は先へ進みたがったが、俺は手を止めさせた。
「次にここを使う人が困る」
若い兵は不満そうにしながらも、道具を揃え、壊れたものを別にした。
しばらくすると孫権の旗のことを知る者がやって来て、俺たちのやり方の間違いを教えてくれた。
俺は礼を言い、作業をやり直した。
正しいつもりで進むより、間違いを教えてもらえる方がありがたい。
敵兵は武器を置いた後も、仲間の方へ何度も振り返った。
関羽はその視線を追い、「一緒に来い。別々には扱わぬ」と告げた。
関羽の江東精鋭撃破で見た光景がまだ頭から離れないのだろう。
俺は救護用の担架を脇に置き、温かい飲み物を差し出した。
何か言うべきか迷ったが、相手が自分から話し始めるまで待つことにした。
俺は関羽の江東精鋭撃破の経過を振り返り、救護用の担架が誰の手から誰の手へ渡ったのかを確認した。
降伏を迷う敵兵の名前も記録した。
手順を決めた人間だけでなく、実際に働いた人間の声を次の準備に生かすためだ。
船員たちが壊れた櫂を集めていた。
捨てるつもりだったが、老船大工が「短く切れば救助用の担架になる」と教えた。
俺は布を張り、試しに兵を載せて運ばせた。
櫂の曲がりがかえって手に馴染み、足場の悪い岸でも担ぎやすかった。
夜、救助した少年の父が見つかった。
父親は敵軍の漕ぎ手で、肩に深い傷を負っていた。
関羽は二人を引き合わせ、見張りに「逃がすなとは言わぬ。傷が塞がるまでは働かせるな」と命じた。
俺はその言葉を記録した。
関羽の船が帰港すると、修理係は船腹の傷を指でたどった。
勝利の報告より先に、俺は浸水の跡を記した。
次に川へ出る兵が同じ穴から水をかぶらぬよう、船大工に補強板を頼んだ。
川から戻った船大工は、救助に使った櫂をもう一度削り直した。
次に誰かが落ちたとき、迷わず手を伸ばせるように。




