消えたダンスマット
「失礼ですが、男の俺じゃなくてもできるんじゃないんですか? ルナールさんいますし」
俺は必死の思いで、奥の寝室で爆睡しているはずの怪力先輩の名前を挙げた。
あんな無茶苦茶な条件のステップ、俺みたいな男がやるより、身体能力が規格外のルナール先輩にやってもらった方が絶対に確実だと思ったからだ。
だが、その名前を口にした瞬間、リー神の青白い顔がさらにドス黒い怒りのオーラで包み込まれた。
「家出娘のことか」
――家出娘……
ルナール先輩に対するあまりに容赦のない単語に、俺は思わずゴクリと息を呑んだ。
「私はこの神界のプログラムを管理していて、その中でも神界の結界を破ったからな。お陰様でその時は4徹だったからな……顔なんか見たくもない。あの脳筋姉妹は、揃いも揃って私の胃に穴を空けるために存在しているとしか思えん」
リー神の言葉の端々から、過去にルナール先輩がやらかした結界破壊事件の凄まじいトバッチリが伝わってくる。4徹。
それはIT系の最高神にとって、死刑宣告にも等しい絶望の数字だ。
リー神がルナール先輩を「家出娘」と呼んで毛嫌いするのも、胃を壊すほどストレスを溜め込んでいるのも、すべてが一本の線で繋がってしまった。
とはいえ、胃痛でうめくリー神をここに放置するわけにもいかない。
結局、俺はリー様、キース先輩、サーリャさんに引きずられるようにして、問題の「デジタル神界の最深部」へと強制連行されることになった。
***
「……あれ?」
覚悟を決めて最深部のサーバー室の重厚な扉を開けた俺は、思わず拍子抜けした声を漏らした。
着くとそこは、すでに完璧に直っていた。
リーが「ダンスマットの形状に書き換わった」とパニックになっていた世界線セクター04の入力インターフェースは、のたうち回るようなバグの気配など微塵もなく、いつもの幾何学的なホログラムラインが整然と並ぶ、静かなシステム空間に戻っていた。
「さっきまではダンスマットのプログラムだったのに直っている……?」
リー神は眼鏡を何度もクイッと押し上げながら、自分の目が信じられないといった様子でホログラムの画面を狂ったようにタップし始めた。
隈のべっとり刻まれた顔が、今度は驚愕で真っ白になっている。
「リー様が幻覚でも観てたんじゃないんですか。4徹もすれば時空の歪みがダンスマットに見えてくるみたいな」
サーリャがどこからか取り出したペロペロキャンディを舐めながら、完全に他人事のダウナーな声で言う。
「いや……確かにここにあったんだ。私の座標計算に狂いはない。数分前まで、確実に因果律を無視した超巨大なダンスプログラムがシステムを上書きしていたんだよ!」
頭を抱えて叫ぶリー神の横で、キース先輩が顎に手を当て、いつになく鋭い目で修復されたシステム画面を見つめた。
「誰かの仕業ってことは?」
キース先輩のその静かな指摘に、管理室の空気がピキリと凍りついた。
リー神の動きが止まり、冷酷な琥珀色の瞳に張り詰めた緊迫感が走る。
「ありえるな。この規模のバグプログラムを、私の目を盗んで一瞬で完全に書き換え、元の正常な状態に修復できる存在など、神界広しといえども片手で数えるほどしかいない。アリアがやったとは到底思えんしな……。よし、神界全体で一度アナウンスするか。不審なログがないか、全セクターを徹底的に逆探知する」
リー神がドス黒いオーラを引っ込め、最高神としての冷徹な表情に戻って即座に指示を出し始める。
ダンス土方を免れてホッとしたのも束の間、なんだか今度は、神界の根幹を揺るがすような別の不穏な事件の匂いが漂い始めていた。
――直してくれた『誰か』には感謝したいけど……これ、絶対にまた面倒くさいことに巻き込まれる流れだよなぁ……
俺は冷や汗を流しながら、この先の自分の保留者生活の安全を、再び神(というかアリア様以外のまともな神様)に祈るしかなかった。




