魔物討伐 Part3
「っはぁ~、おはよう……って何この有様!?」
その時、事務所のドアがガラリと開き、豪快な生あくびと共に、頭にたっぷり寝癖を乗せたルナール先輩が姿を現した。
まだ完全に目が覚めていない様子で目をこすっていた先輩だったが、目の前に広がる、激しい戦闘の跡でボロボロに抉れた野原を見て、一瞬でその目を丸くした。
「あぁ……おはようございます……」
俺とキース先輩は、地面にへたり込んだまま力尽きてしょぼしょぼになっていた。
全身泥まみれで、クワを杖代わりに辛うじて体を支えている俺と、トタンの作業バケツを持ったまま、さすがに髪が少し乱れているキース先輩。
朝の爽やかな空気の中で、俺たち2人だけが完全にボロ雑巾のように燃え尽きている。
***
「うーん? つまり、話を整理すると、朝起きたら女神様に会って、そして仕事先に行こうとしたら家の眼の前に変な魔物がいて、討伐した……ってことでいいのかな? 突っ込みたいところ多いけど」
ひとまず事務所のリビングに戻り、ルナール先輩が淹れてくれた温かいお茶をすすりながら、これまでの経緯を説明した。
先輩はパイプ椅子にどかと腰掛け、腕を組んでうーんとうなりながら、なんとかこの異常な朝の出来事を咀嚼しようとしている。
朝ご飯を食べようとしたらアリア様が乱入し、ミュカに連行され、その後に魔物が出現して、さらにアリア様が脱走してきて事態を悪化させてまた連行された……という怒涛の展開は、寝起きの頭にはさすがにキャパオーバーだったらしい。
「にしても、リク。さっきの力は加護だね? 本来、加護というものはそんなハッピーセットのように沢山の魔術や魔法は付いてこないんだ。僕だってアリアから貰ったのは1つや2つしかない」
キース先輩が、湯呑みを両手で持ちながら、いつになく真面目なトーンで口を開いた。
その言葉に、俺は冷めかけたお茶を飲み込もうとして、あやうく喉を詰まらせそうになった。
1や2つ。元天界騎士で、さっき『ステラ・レグルス』なんていう大技をぶっ放したキース先輩ですら、最高女神から授かった加護はその程度なのだ。
それなのに、俺のステータス画面には、まるでゲームのフルコンプリート版かと思うほどの全属性の攻撃、防御、デバフ、バフがずらりと並んでいる。
「はあ……」
俺は曖昧に生返事をするしかなかった。
バッジをくれた時、アリア様は「ちょっとした加護をあげるさ」と、まるで近所のおばちゃんが飴玉でもくれるかのような軽いノリだったのだ。
それがまさか、神界の常識を完全にぶち壊すような特盛りハッピーセットだったなんて、その時の俺に知る由もない。
「じゃあ、その女神様にリクはよほど好かれてるんだね!」
ルナール先輩が、ポンと手を叩いて嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
屈託のない、悪意なんて一ミリも存在しない純粋な言葉。だが、その言葉が今の俺の胸に、重く、ものすごく重くのしかかってくる。
――なんだか面倒くさいことになってきたなぁ……
俺は、今も視界の端で不穏にピンク色に点滅している『メッセージが1件届いています』というウィンドウを思い出し、深い溜め息を心の中で吐き出した。
世界の頂点に立つ最高女神に目をつけられ、そのお節介に巻き込まれ、おまけに周りからは「よほど好かれてる」なんて茶化される。
俺の神界三日目の労働は、本番の作業が始まる前から、すでに前途多難という言葉では片付けられないほどの波乱の予感に満ちあふれていた。
***
その頃、本庁にある最高女神のきらびやかな執務室では、書類の山に囲まれたアリア様が、退屈そうに頬杖をついていた。
ミュカによって引きずり戻され、お説教の嵐の後に無理やりデスクに座らされたものの、彼女の頭の中はすでに目の前の退屈な仕事にはなかった。
美しく整えられた爪で机をトントンと叩きながら、チラチラと窓の外の遠い空ばかりを眺めている。
「うーん……遅いなぁ、リク」
ぽつりとこぼれたその呟きには、お気に入りの人間と離されてしまった寂しさが、隠しきれないほどに滲み出ていた。
アリア様の内心は、今もあの平屋の事務所へと飛んでいる。
『今頃リク、私のあげた加護を見て驚いているかな? メッセージを見て、私の優しさに感激してくれているんじゃないかい? ああ、早く返信が来ないかな……!』
そんなそわそわとした期待感で胸をいっぱいに膨らませているトップの姿を、デスクの傍らに控えていたミュカは、冷徹な琥珀色の瞳で見つめていた。
「……アリア様、もしかしてリク君のこと好きなんですか?」
感情の起伏を一切感じさせないフラットな声が、執務室の静寂を容赦なく切り裂いた。
あまりにも直球で、かつ確信を突いたその静かなツッコミに、アリア様はビクッと美しい肩を跳ね上がらせた。
「ななななな何で!? そ、そんなわけじゃ……!」
さっきまでの余裕はどこへやら、アリア様はプラチナブロンドの髪を激しく揺らしながら、見たこともないほどに慌てふためいた。
顔は耳の裏まで真っ赤に染まり、アメジストの瞳をあちこちへ激しく泳がせる。
あまりの動揺に、手元にあったウィスキーのボトルを落としそうになり、それを必死に両手で掴み直す姿は、世界の頂点に立つ最高女神としての威厳など微塵も感じられなかった。
ミュカはそんな主神の醜態を見ても表情一つ変えず、手元のタブレットに素早くペンを走らせた。
こうしてたまに見せる主神のわかりやすい反応を観察することに関しては、彼女の電子脳にとってもそう悪い刺激ではないらしい。
「アリア様って意外と初心ですよね」
ミュカは淡々と、しかしどこか楽しげに追い打ちをかけるような一言を放った。
神界を統べる冷徹なシステムの一端でありながら、この生意気で有能な助手は、主神の人間らしい一面をからかうスリルを密かに味わっていたのだった。




