魔物討伐 Part1
こんにちは、並木リクです。
突然ですが、俺は今、人生1危険な目にあっています。
「先輩! これ絶対無理ですって!」
思わず裏返った悲鳴が、どこまでも広がる真っ青な神界の空へと吸い込まれていく。
平屋の事務所で冷めかけた味噌汁をすすり、アリア様から届いた不穏なピンク色のメッセージに頭を抱えていたのは、ほんの数十分前のことだ。
朝食を終えるや否や、キース先輩から「じゃあリク、三日目の労働に行こうか」といつもの穏やかな笑顔で告げられ、連れてこられたのがこの場所だった。
俺の目の前にあるのは、およそこの世の物理法則を無視して激しくのたうち回る、おぞましい形をした巨大な『魔物の触手』である。
黒紫色の禍々しい皮膚からはドロドロとした粘液が滴り落ち、地響きを立てながら暴れ狂っている。
優に平屋の事務所3階分はあろうかという巨体がのたうち回るたび、強烈な風圧が俺の体を吹き飛ばしそうになる。
「先輩! そもそも、なんで神界にこんな凶悪な魔物が出るんですか!?」
必死にクワを構え直しながら叫ぶ俺に、キース先輩は思い出したように「ああ、言ってなかったね」と、トタンの作業バケツを片手にいつものんびりとした口調で解説を始めた。
「神界と言っても、そこまで神様たちの手は回ってないんだ。初めて、僕とルナにあったとき、ルナが『結界を破って来た』と言っていただろう? あれは、まさしく今の状況と同じで、守りがゆるくなってるんだ。魔物は、神様たちが作った異世界から突然転移してやって来るからね。全く、フリーはこういうのばっかだからね。むしろ野菜収穫の方が珍しいくらいだよ」
巨大魔物の猛攻をバックに、キース先輩はトタンのバケツを持ったまま、淡々とこの世の終わりみたいな事実を並べ立てた。
あまりにのんびりした口調なので一瞬騙されそうになるが、言っている内容は最悪だ。神々の世界の防衛システムがそんなにガバガバでいいのか。おまけに、保留者の仕事の基本が魔物退治で、初日の大根抜きがむしろレアケースだったなんて聞いていない。
「へぇ~って感心してる場合じゃなかった! というか先輩、元天界騎士ですよね!? だったら先輩が討伐して下さいよ!」
俺は理不尽の波に溺れそうになりながら、すがるような思いで叫んだ。
この頼れる先輩は、ついこの前までは立派な天界騎士だったはずだ。
それなら、この目の前でうねっている山のような怪物くらい、一振りの聖剣で鮮やかに一刀両断してくれるに違いない。
そう、俺の知っているファンタジーの騎士様なら、きっと――!
「まったく、僕も一応転生者だからね。リクに力を貸さないわけにはいかないか」
キース先輩は「やれやれ」といった風に小さく肩をすくめると、手元に持っていたトタンバケツを地面に置いた。
俺の胸に微かな希望の光が灯り、先輩が懐から取り出すであろう伝説の武器を固唾をのんで見つめる。
だが、次の瞬間、先輩の手に握られたのは聖剣でも魔剣でもなく、一本の白く輝いた『長弓』だった。
「……って先輩、弓使いなんですか!? 聖剣で魔物をてっきり、討伐してくれると思ってたのに!」
俺の期待は、見事な放物線を描いて奈落の底へと叩き落とされた。
思わず裏返った声で突っ込む俺をよそに、キース先輩は流れるような動作で光の矢を番え、ぐっと弦を引き絞る。
その姿は確かに凛々しくて格好いいのだが、この超至近距離で暴れ狂っている巨体に対して、遠距離武器の弓がどれほどの決定打になるというのか。
「僕はそこまで戦闘に特化した騎士ではなかったからね。援護くらいしかできないから残りは任せたよ、リク」
先輩はどこまでも爽やかな笑顔のまま、無慈悲なバトンを俺に放り投げた。
援護くらいしかできない、という言葉が俺の鼓膜を絶望的に震わせる。
しかも「残りは任せた」って、前衛でクワを握りしめている俺がこのフルパワー魔物の相手をしろと言うのか。チート能力無しの、ただの元学生に、一体何を期待しているんだ。
ピキィィィン! と鋭い風切り音を立てて、キース先輩の放った光の矢が魔物の触手を正確に射抜く。
魔物は一瞬その動きを鈍らせたが、肉体はすぐに再生し、今度は標的を完全に俺へと絞って、太い触手をムチのように大きく振りかぶった。
眼前に迫る圧倒的な質量と暴力の気配に、俺の脳内は完全にパニック状態となり、ただ生への執念だけでクワの柄を折れんばかりに握りしめるのだった。




