病室の窓から神界へ
ガタゴトと籠を揺らしながら馬車を乗っていると、馬を引いていたキースに声をかけた。
トカトカ農園からの帰り道、夕暮れ時の琥珀色の光が、馬車を引くキース先輩の横顔を逆光で照らしている。端正な顔立ちはやはりどこかの高貴な騎士のようだが、その目はどこか疲弊しきっていた。
「先輩、ちょっと良いですか?」
「うん、どうしたの?」
キースは前を向いたまま、静かに声を返してくる。
「さっき、俺が『加護を使う』って言ったとき、先輩は『あの女神』って言ってましたよね。ふと思ったんですがアリア様と何かご関係があるんですか?」
「……つい口走ってしまったね。仕方ない、君には話しておこうか。僕と、アリアの話を」
手綱を握る手に少しだけ力を込め、ふっと遠い目をした。
いつも冷静沈着な彼が、ほんの一瞬だけ、本当に苦いものを噛み潰したような、深い哀愁を帯びた表情を見せる。
「僕は元々ね、リク。君と同じ世界、地球から来たんだ」
「それは……先輩も転生者ということですか?」
思わず御者席の隣に座る先輩の顔を凝視した。
無駄のない洗練された挙動、神界の常識に精通した有能さ。
どこからどう見ても生粋の異世界エリート天使にしか見えなかったキース先輩が、まさか同郷の地球人だったなんて、夢にも思わなかった。
「ああ、そうさ。もうずいぶんと昔のことのように思えるけれどね。……あの頃の僕は15歳。中学3年生のころだったかな。酷く病弱でね。不可解な持病のせいで入退院を繰り返していて、本当に大変だったよ。外で元気に走り回る同年代の子たちを、ずっと白い病室の窓から眺めるだけが日課の、退屈な人生だった」
夕暮れ時の琥珀色の光が、手綱を握るキース先輩の細い指先を寂しげに照らし出す。
窓の外を眺めることしかできなかった少年が、世界の壁を越え、天界騎士となり、今こうして荒々しく馬車を御している。
その事実に、俺の胸の奥が少しだけ締め付けられるような気がした。
キースは手綱を握る手を少しだけ震わせながら、ポツリポツリと、しかし確かな足取りで過去を紡いでいく。
「それで、僕が入退院を繰り返していくうちに、まともにご飯が食べれなくなったんだ。」
「えっ……?」
思わず、隣の横顔に言葉を失った。
事務所でマンドレイクを「食材」として嬉々として調理し、誰よりも美味そうに飯を食べるあの先輩が、満足に食事すらできない状態だったなんて。
「もう、口も開かなくて目を開けるのも苦労してね。そしたらついに、意識が遠のいて『あ、僕の人生ここで終わりか……』ってときに、あの女神が僕のベッドの上にお菓子のゴミを大量に散らかしながら座っていたのさ」
「ええっ!? アリア様、病室に不法侵入したんですか!?」
感動的な臨終のシーンかと思いきや、いきなり最高神の生存報告が飛び出してきた。
「そうさ。神界の最高級シルクドレスの裾をベッドの柵に引っ掛けながら、チョコレートを食べていたよ。端末を操作ミスして、偶然僕の病室の座標に繋がっちゃったらしい。……感情がすぐ顔に出る人だからね、『あわわわ、間違えて瀕死の魂の前にポップしちゃったよ!』って、ものすごく青い瞳を泳がせて大慌てしていた」
キース先輩は当時を思い出して、やれやれと肩をすくめる。
しかし、その瞳にはどこか温かい光が灯っていた。
「それで、誤魔化すように、彼女は高級ウイスキーを僕の唇に一滴垂らしたんだ。最高神の気まぐれな【加護】だね。……おかげで僕は、未成年な上に死の直前にものすごく強いアルコール度数で思いきり咽び泣きはらしたよ。」
「恩を売る方法とアルコールハラスメントが同時に行われてますね……」
さすがはあの女神、感動的な救出劇すらも一級品のやらかしエピソードに変えてしまう。
「ん……? でも先輩、この世界に居るってことは……」
「ああ、結局ウィスキーの性能が強すぎて栄養過多で天国行きになったんだ。」
――何も言えねえ……
救出劇じゃなくて、ただの神によるトドメだった。
良かれと思ってウイスキーを一滴垂らし、結果として瀕死の少年をあの世へダイレクトアタックで送り届けてしまったプラチナブロンドの女神のドヤ顔が脳裏に浮かび、俺は深い頭痛を覚えた。
あの女神のことだ、死なせた瞬間はきっと青い瞳を引っくり返して大パニックになったに違いない。
「おかげで僕は、地球の病院のベッドから神界の転生ゲートへと、最短ルートで強制転送される羽目になったのさ。……まあ、そこで改めて健康な肉体を貰って天界騎士に就職したから、結果オーライではあるんだけどね」
「結果オーライのハードルが高すぎますよ、先輩……」
キースは手綱をきゅっと引き、馬車を事務所の前へと止めた。
「さあ、積る昔話はここまでだ。お喋りをしているうちに、カボチャのニトロ成分が分離して自然発火を始めてしまう。今日の夕飯は『カボチャの煮付け』にするよ。病室でまともなご飯を食べられなかった反動か、僕は今でも、みんなで囲む温かい食卓が大好きなんだ」
そう言って馬車から降りるキースの背中は、いつもの有能で、少しサイコパスで、だけど誰よりも頼りになる先輩の姿だった。
「キース! 私もカボチャの煮付けいっぱい食べるーー!」
「はいはい。その前に、自分の服についた泥を落としなさい」
二人のいつもの掛け合いを見つめながら、俺もシートから飛び降りた。
それぞれに過去と理不尽を抱えながらも、笑って泥にまみれているこの先輩たちを手伝えるなら――
「先輩、俺、カボチャを切るの手伝います!」
俺は防刃手袋をはめ直し、火薬の匂いがほのかに漂う事務所のドアを、元気に押し開けるのだった。




