マンドレイク鍋
土鍋の蓋を開けた瞬間、部屋中に湯気が立ち上る。
驚いたことに、あれほど強烈だった生臭い大根臭は消え失せていた。
代わりに鼻腔をくすぐったのは、昆布と鰹節の出汁によく似た、どこか懐かしく、暴力的なまでに食欲をそそる芳醇な香りだ。
琥珀色に澄んだスープの海で、輪切りにされたマンドレイクの胴体が、じっくりと出汁を吸って飴色に輝いている。
その上には、キース先輩が嬉々としてすり下ろした頭部が、まるで上質な淡雪のようにこんもりと盛られていた。
「わあぁ……! すっごく美味しそう! これがオデンなんだね!」
ルナが身を乗り出し、アメジストの瞳を爛々と輝かせる。
天界の最高階級たる彼女が、神妙な顔で取り皿と箸を構えている姿はどこかシュールだ。
「さあリク、熱いうちに食べておくれ。マンドレイクは鮮度が命だからね。すり下ろしてから時間が経つと、また叫び始めることがあるんだ」
「サラッと怖いこと言わないでください……」
キース先輩の不穏な催促に背中を押され、俺は恐る恐る箸を伸ばした。
狙うは、飴色に煮込まれたマンドレイクの輪切りだ。
見た目は完全に「味がしみしみの大根」だが、さっきまで俺の腕をへし折らんばかりに暴れていた怪異の肉体である。
――南無三っ……!
覚悟を決めて、一気に口の中に放り込んだ。
その瞬間、俺の脳内に衝撃が走る。
「っ……!!」
歯を立てた瞬間、ジュワッと溢れ出したのは、濃厚な和風だし。
そして、噛めば噛むほど溢れてくるのは、最高級のホタテや地鶏をも凌駕する圧倒的な旨味だった。
マンドレイク特有の薬草らしい爽やかな苦味が、出汁の甘みと完璧に調和している。
さらに、上に乗ったみぞれがピリッとした心地よい辛味を添えていて、箸が止まらなくなる黄金のバランスを形成していた。
「う、美味い……! なんですかこれ、めちゃくちゃ美味いです!」
「でしょ? 神界のマンドレイクは、天界の最高級肉にも匹敵する極上の食材なんだ。そこに君の提案した『オデン』の出汁が合わさることで、旨味が何倍にも膨れ上がっている」
キースが上品にみぞれを口に運びながら、満足そうに目を細めた。
「んん〜〜っ! 美味しいー! この、汁を吸ってじゅわっとするやつ、最高に幸せ!」
ルナもハフハフと息を吐きながら、猛烈な勢いでおでんを胃袋に収めていく。
その食べっぷりは、お祈りとお茶会に退屈していた最高級天使のお嬢様とは思えないほど豪快だった。
「これで9杯目! ほら、リクとキースも! ちゃんと食べないと駄目だよ!」
ふと、身体の芯からカッと熱くなるのを感じた。
泥まみれの格闘でクタクタだったはずの体に、凄まじいエネルギーが満ちていく。
指先の擦り傷は一瞬で消え去り、視界が驚くほどクリアになっていくのが分かった。
「……あ、あれ? なんか、すごく元気になってきたような……」
「おや、もう効果が出たんだね。言っただろう、マンドレイクは一級品の回復薬の原料だと。これだけ食べれば、並の怪我や疲労なら一瞬で全快するさ」
キース先輩がフッと不敵な笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んできた。
「体力も回復したことだし、リク。明日の朝一番の仕事も、元気にこなせそうだね」
瞳を怪しく光らせながら、空になった器をトントンと指先で叩いた。
その顔には「元気にさせたのは明日も働かせるためだ」とでも言いたげな表情が透けて見えている。
「えっ、明日も仕事あるんですか?」
俺は引きつった声を上げた。
いくらマンドレイク効果で体力が全快したとはいえ、精神的な疲労まではリセットされていない。
「もちろん。新人だからと言って、手は抜かないよ。神界の西の果てに、凶暴な『爆破カボチャ』が大量発生してね。明日はあれをすべて収穫……いや、討伐してもらおうかな。まぁ、楽しいピクニックとでも思ってもらえればいい。」
キースは爽やかに言い放った。
さらりと「収穫」を「討伐」と言い直したあたり、明日の獲物も間違いなくまともな農作物ではない。
むしろ『爆破』という物騒な単語がついている時点で、マンドレイク以上の命の危機を感じる。
「カボチャ!? 私、カボチャの煮付けも食べてみたい!」
――俺の神界での最初の生活は、どうやら、命懸けの食材調達ライフになりそうだ……
俺は、器の中に残った飴色のマンドレイクを見つめながら、これから始まる激動の日々に、静かにため息を漏らすのだった。




