Episode 3 外出する幽霊(その7)
「少し気になったことがあったんだ」
廊下を歩きながらレトは説明をはじめた。「この寮の管理人のことさ」
「何が気になったんです?」
レトのすぐ後ろをついて歩きながら、メルルは尋ねた。
「ノートン氏の遺体が見つかったとき、プードル氏は大声で助けを求めていた。両隣の住人は駆けつけてきたが、管理人は姿を見せなかった。あんな騒ぎなのに。どうしてだろう?」
「そりゃあ、近くにいなかったからじゃないですか? 実際、ニック・サーヴィスさんは、事件のことに気づいてなかったんですから。2階までは声が届かなかったんですよ」
メルルは簡単に答えたが、レトは納得していないようだった。
「そう、だね……。1階は6部屋あって、当時在室だった2人が駆けつけたわけだが、2階の住人は誰ひとり駆けつけていない。そちらにもサーヴィス氏を含めて3人も住人がいたのに。ただ、管理人室は1階にあるんだ。事件があった時間、彼はどこにいたのだろう?」
事件当時、2階にはニックのほかに、トム・ハーパーという交通課で勤務する男と、リッキー・ブランメルという衛生課で勤務する男が在室していた。しかし、ふたりとも騒ぎのことはまったく気づかず、ずっと部屋にいたと証言していた。騒ぎに気づかなかったのは、トムは趣味の模型作りに没頭していたため、リッキーはずっと眠っていたためだと説明した。裏付けが取れる話ではないが、おかしい話でもない。
レトたちは事件当時に寮にいた住人にひと通り証言を得ていたが、管理人だけ証言が取れていなかった。レトに何か考えがあったようで、管理人の聞き取りを最後にしていたのだ。
管理人室に着くと、老人は昼間に見たときと違う服装に着替えていた。あの服はどうも仕事用のもので、今は帰り支度を終えたようだ。
「グイック・ヴィンチ」
老人はぶっきらぼうに名乗った。
「ヴィンチさん。あの事件があったとき、あなたはどこにいましたか?」
「そのことは憲兵に説明した。知りたきゃ、あいつらに訊いてくれ」
ヴィンチはそれで義理は果たしたかのように立ち上がる。放っておくと、そのまま帰ってしまいそうだ。
「すみません。僕たちは直接、あなたからお話しを聞きたいのです」
レトは老人が座っていた椅子を指し示しながら言った。ヴィンチは不満そうに鼻を鳴らしたが、おとなしく腰を下ろした。「で? どこから話しゃいい?」
「事件当時……、つまり午前10時前後のあなたの行動を話してください」
「……行動と言っても、大したことはしていない。ここの2階に上がって、片づけごとをしてただけだ」
「片づけごととは?」
「片づけごとは片づけごとだ。なんだ? あんた、俺にいちゃもんをつけるつもりか?」
ヴィンチの態度はかなり挑発的だ。しかし、レトは涼しい顔で首を振った。
「ただの事実確認です。あなたの片づけごとは2階でしかできないことでしたか?」
「ああ、そうだよ」
「場所は、2階のどこになりますか?」
「どこだっていいだろ?」
「いいえ。きわめて重要です」
レトの口調が急に変わった。どこか冷たい響きに、メルルだけでなく、ヴィンチも顔色を変えた。「な、何が……」
「では、より踏み込んだ質問にしましょう。
あなたがいたのは、正面玄関の上あたりですね?」
この質問に、メルルは驚かされたが、ヴィンチはもっと驚いたようだった。ヴィンチは思わず腰があがり、「あ、あんた、なぜ……」と、狼狽した声を漏らした。
「認めるんですね?」
「み、認めるも何も……。そ、それがどうかしたのか? そこにいたから俺が犯人だと言いたいのか?」
「いいえ」
レトは落ち着いた声で否定した。
「ですが、あなた自身の言葉で、あのとき、あの場所で、何をしていたのか聞きたいのです」
ヴィンチはなお、狼狽した表情だったが、レトに促されるようにふたたび腰を下ろした。さっきまでの傲慢とも思える強気の態度は消え失せ、落ち着かない様子で視線をあちこちに向けている。
「お、俺は……、あの事件と無関係だ。本当に何もしてないし、知らないんだ……」
ヴィンチの口調は弱々しいものに変わっていた。その声は見た目相応の、老人のものだ。
「その確認のために教えてほしいのです。あなたはそこで何をしていたのですか?」
ヴィンチの目はおどおどしていたが、レトに対する警戒心は取れていないようだった。しかし、一度目をつむると覚悟を決めたのか、少し前のめりの姿勢で話し出した。
「時計を直していた」
……時計? 2階にある時計って……。
「寮の入り口にかかっている時計ですね?」
レトにはわかっていたのだろう。念を押すような口調だった。ヴィンチはうんうんとうなずく。
「そ、そうだ。昨夜の雷雨で狂ってしまったらしい。ずいぶんと針が進んでいたんだ。今日は休日だったこともあり、寮の住人は誰も気づいていなかった。だが、俺のような日雇い管理人は、管理に不手際があったと思われたらすぐクビだ。誰かに気づかれる前に、時計の針を正しい時間に戻しておいたんだ」
「それが午前10時ころ。事件があったあたりのことだった」
ヴィンチはこくんとうなずいた。「そうだ」
「時計の針はどれぐらい進んでいましたか? 何分のズレがあったか覚えていますか?」
「20分ほどだ」
「たしかですか?」
「時間を合わすために何度も確認した。たしかだよ」
ここまでやり取りをして、レトはメルルに振り返った。「と、いうことだ」
メルルは困惑して首をかしげた。「と、いうことって……」
「事件の時間系列が狂っていたのさ。正確には、ノートン氏は10時10分前、つまり、9時50分ころ、寮を出るところを目撃された。もちろん、生きているノートン氏だ。そして、10時に寮内で倒れているところを発見された」
それはレトの言うとおりだろう。しかし、そのことで何か話が変わるのか?
「たしかに、ニックさんが目撃したのが幽霊でなく、ノートンさん本人だとわかりましたが、それなら、別の問題が出てきましたよ。どうして、出かけたはずのノートンさんが寮の自室で死んでいたんですか? だって、ノートンさんは大事な用事で出かけてたんですから、自室に戻る理由なんて……」
そこまで言ってメルルは思わず自分の頭に手を当てた。そこにはお気に入りの三角帽子がのっている。
「あーーーー!」
メルルが思わず大声を出したので、ヴィンチは驚いて立ち上がった。「な、なんだ急に!」
「レトさん。これはそういうことですね!」
メルルは勢い込んで言った。メルルの考えがわからないヴィンチはますます困惑した様子だが、レトにはわかったようだった。
「ま、そういうこと」
レトは苦笑いを見せた。




