Episode 3 外出する幽霊(その6)
「あのひととは、今日、公園で落ち合う予定でした」
アイリーンは薄い水色のドレスを着ていた。単なる外出着というより、どこかかしこまった場所に行くような服装だ。長い栗色の髪を胸の前に垂らし、髪の色と同じ栗色の瞳は哀しみに満ちて、伏し目がちの様子だった。
「公園とは? いつの待ち合わせでしたか?」
「10時にグラン・パシェ公園です。今日は、公園からサン・ル・フォン通りまで歩いて、その通りにあるレストランで昼食をとる予定でした」
レストランで昼食をとるのに、公園から歩く予定を組むのか? メルルは理解できなかった。自分だったら直接レストランで待ち合わせするほうがいい。
「公園で待ち合わせするのは、よくあることでしたか?」
レトも同じことを考えたのか、そんなことを尋ねた。アイリーンは少しぼんやりした表情だったが、力なく首を振った。
「いいえ……。今回のようなことは初めて……。いいえ、2回目です。最初は、たしかつき合い始めてまもなくのころだったと思います」
「そのときもレストランで昼食を?」
「いいえ。そのときは晩餐でした。どうして、公園で待ち合わせするのか尋ねたら、少しでも私とふたりきりの時間を持ちたいからって……。そんなことを言ってました。レストランだと、食事をして帰るだけになってしまうからと」
ずいぶん可愛らしいことを考える。メルルはノートンのことがだいぶわかりかけてきた。おそらく、『食事をする』など目的のはっきりしたレストランのような場所では、目的以外の行動が取りづらい性格のようだ。アイリーンとふたりきりの時間を過ごしたいのであれば、目的もなくぶらぶら歩くのが一番のように思える。少なくともノートンにとっては。メルルはそう考えた。
「待ち合わせは10時だったのですね?」
レトはさっき尋ねたことをふたたび尋ねた。アイリーンは今度も弱々しくうなずく。「ええ」
「レトさん。ここからグラン・パシェ公園まで、どのぐらいの距離ですか?」
メルルは王都で暮らすようになって日が浅い。地理に通じていない場所も多いので、公園がどこにあるかも知らないのだ。
「ここからだと徒歩10分ほどの距離かな。数ブロック僕たちの事務所側へ戻ったところにある」
それを聞いて、メルルの頭にある光景が浮かんだ。それは、死んでしまったノートンが、幽霊の姿になり、急いで公園に向かって駆けていくところだった。アイリーンのもとへ、自分が死んだことを知らず待ち続けている恋人のもとへ幽霊になってでも向かおうとする姿……。
「あの……、アイリーンさんは、いつまで公園で待ってらっしゃったのですか?」
メルルは遠慮がちに尋ねた。
メルルの質問の意図は、レトだけでなくアイリーンも理解できなかっただろう。しかし、アイリーンは少し考える表情を見せながら答えた。「ずっと待ってました。あの公園で。私は出かける前に家族に行き先を告げていたので、家族から行き先を聞いた憲兵の方が駆けつけるまで、ずっとそこにいました」
「憲兵の方が来たのは……」
「たぶん、お昼過ぎだったと思います」
12時を回っていたということか。それだと2時間以上、このひとは恋人を待ち続けたということになる。自分だったらどのくらい待つだろう。恋人のいない身では想像でしかないのだが、あまり長く待たないような気がする。メルルはぼんやりとそんなことを考えた。
――それに……。
アイリーンはすでにプロポーズされたのだろうか? されていないように思える。これも直感でしかないのだが、もし、そうであれば、公園で待ち合わせをし、レストランで昼食をとる約束はしないように思う。結婚することが確定していれば、ふたりきりの時間の過ごし方はもっと日常的なものになるのではないか。そう。こんな何か特別な雰囲気のものには……。
そこまで考えて、メルルは背筋がこわばるのを感じた。もしかすると、ノートンは今日、アイリーンに結婚を申し込むつもりだったのではないのか。だからこそ、こんな回りくどいデートに誘ったのではないか。かつての思い出の道を歩きながら、どこかのタイミングでプロポーズする……。ありえる。かなり、ありえる……。
メルルは自分の思いつきに少し興奮しながら顔をあげた。
レトとアイリーンは、メルルの変化に気づく様子もなく、淡々と事件のあった時間帯について話している。
自分の思いつきは繊細な内容のものだ。事件の聞き取りの最中に挟みこんで話すものではない。メルルはじりじりとしながら、この件で話す機会がないか様子を伺った。
「あのひとは……、性格が穏やか過ぎると言うか、細かいことを気にしないところがありました。直接見たことはありませんが、部屋はよく散らかっているそうです。そのせいで、よく物をなくしているなどと言って笑ってました。本当は笑える話でないのに。
うっかりしたところもあって、忘れ物もちょくちょくでした。ただ、仕事ではしたことがないと、変なところで胸を張ったりして……」
聞けば聞くほどノートンは欠点の多い人物だと思える。しかし、どれも他人から恨みを買うような性格とは思えない。ひとによっては可愛らしい人物と思えるかもしれない。たとえば、目の前にいるアイリーンのように。
「……時間に対してもそうです。あのひとはよく遅刻しました。約束を忘れていたのではなく、出かける準備をしているうちに、その時間を過ぎてしまっていたということです。そういうひとなんです……」
それが、ノートンを2時間も待っていた理由なのか。そうであるなら、彼女は理解がありすぎると言うか、優しすぎると思う。メルルは少し反感を抱いた。私だったら、絶対説教してる。謝るぐらいじゃ許さない。次、絶対遅刻しないと思えるぐらいまで反省させる。絶対!
「どうかしたのかい?」
気がつくと、レトがメルルに振り返っていた。感情が表に出てしまっていたのか。メルルは慌てたように両手をぶんぶん振った。
「い、いいえ! 何もありません!」
それからは、メルルは身体を縮めてじっとしていた。「何もない」と言ってしまった以上、自分が思いついたことを発言する機会もなくなった。そうなれば大人しくしている以外にほかがない。
アイリーンが頭を下げて部屋から退出すると、なんとなく医務室が広くなった気がした。探偵事務所より狭いはずだが、3人が腰かけて話をした椅子以外はベッドひとつしかなく、ほかには小さな棚があるだけだった。棚にあるのはおそらく薬品類だろうが、それもあまり置いてはなかった。おかげで床が無駄に広いのだ。
「あの……、レトさんはこれからどうされるんです?」
さっき感じた気まずさが抜けきれないメルルは、遠慮がちに尋ねた。
レトはまるで気にすることはなかったように平静だった。くるりとメルルに顔を向け、「幽霊の問題を片づける」と答えた。
「片づけるって……。幽霊退治でもするのですか?」
メルルが驚いて聞き返すと、レトは「うーん」と首をかしげた。
「僕の考えでは違うけど。でも、これも一種の幽霊退治になるのかな」
メルルは、もっとわかりやすい表現で説明してほしいと思った。




