Episode 3 外出する幽霊(その5)
「間違いないよ。俺が見たのはディテール・ノートンだ」
ニックは少し強い口調で言った。少し怒っているようだ。
「では、あなたが見たノートン氏の特徴を説明いただけますか? つまり、どんな服装だったのか、ということですが」
レトは丁寧な口調で質問したが、ニックの態度が軟化することはなかった。不機嫌そうに口のはしを曲げた顔つきだ。
「……あいつは、いつものおめかし格好だったよ。濃紺のブレザーに、グレーのズボン。お気に入りの白いシャツに、ピンクの蝶ネクタイ姿だった」
ニックが説明するノートンの姿は、メルルがさっき見た姿と同じである。メルルは緊張で自分の手が汗ばむのを感じた。
「いつもの、ということは、その恰好は見慣れたものなのですね?」
「そうだな。あいつは普段だらしないが、デートのときは一所懸命だったな。ま、あいつも男だってことだ。女の前ではカッコつけたかったんだろうよ」
「ノートン氏にはお付き合いされている女性がいるのですか?」
「さっき、憲兵にも話したぜ。アイリーンって名前の女だ。ディテールと同じ庶務課で働いていて、あいつは彼女に夢中だった。いつだったか結婚を申し込むつもりだって聞いた」
「ノートン氏とは親しいのですね」
レトが尋ねると、ニックは仕方がないという様子でうなずいた。
「まぁ、な。あいつとは同期なんだ。ちなみに大学も同じだった。親友と言うほど親しかったわけじゃないが、いわゆる腐れ縁ってやつかな。あいつとは仕事の終わりに、この近くの居酒屋でよく飲んでいたよ。あいつの恋バナにつき合えたのは、たぶん俺ぐらいだっただろうぜ」
「今日、ノートン氏を目撃したとき、ノートン氏と何か会話を交わしましたか?」
レトは話を戻した。話の流れからすれば、挨拶ぐらいは交わしたように思える。
しかし、ニックは首を振った。
「いや、あいつを見かけたのはほんの少しだ。俺は門から脇の木立に入ろうとしたときで、ディテールは玄関から外へ出たばかりだった。互いの距離はけっこうあったし、俺もそうだが、あいつも急いでいるような様子だった。俺はあいつに軽く手を振っただけですぐ脇道にそれたんだ」
「それが10時10分のことだった」
「憲兵にも念を押されたが、それがどうかしたか? 間違いないよ。俺があいつを見かけたとき、あいつの頭の上に寮の時計が見えていたからな。時計の針はたしかに10時10分を指していたさ」
「ノートン氏はあなたに気づいた様子でしたか?」
「さぁ? こっちは立ち止まらず行ったから。あいつが反応したかなんて気にもしなかった」
「ところで、どうして脇道にそれたのですか? 寮に帰るのだったら、そのまま玄関に向かうのではないですか?」
「俺の部屋は2階の一番奥にあるんだ。玄関から部屋に戻ろうとしたら、自分の部屋までぐるりと大回りしないといけない。しかし、門から脇へ回ると、直接2階へあがる階段があるんだ。かなり近道でね。それで普段から俺は脇道から自分の部屋に戻っている」
「先を急いでいたとのことですが、急いでなくても同じ道を通っていたのですか?」
「そうだよ」
「ちなみに急いでいた事情と言うのは?」
「それ、言わないといけないか?」
ニックはしかめ面のまま聞き返した。「これは単なる聞き取りで、尋問じゃないって聞いているんだがな」
「その通りです」
「じゃ、個人的事情とだけ答えておく。それでいいだろ?」
「わかりました」
レトは深く追及しなかった。もちろん、何の容疑もかかっていない相手につっこんだ質問などできない。
「ところで、ノートン氏について、もう少しお話しいただいてよろしいでしょうか?」
「何だよ?」
「ノートン氏から何か困りごとや心配ごとなど、相談されたことはございませんでしたか?」
レトは質問した。「たとえば、居酒屋でご一緒されていたときとか」
「あいつの悩みごと……か……。けっこう下らないことばかり聞かされたぜ。たとえば、最近、よく物を無くすようになった、とか、アイリーンにどうプロポーズすりゃいいのか、とか。俺からすればどうでもいい話ばっかりだったが。聞きたいのはそういう話か?」
「そういう話です。ちなみにアイリーンさんへのプロポーズについてはどんなアドバイスをされたのですか?」
「こっちだって独身だ。いいアドバイスなんてできないって言ったんだが、あいつも食い下がるから、いい指輪を買ってやれって言ってやったさ。お嬢ちゃんだったら今流行の指輪のデザインとか知ってるんじゃないのか?」
メルルは急に話を振られて目を白黒させたが、「ええっと、パーリースタイルとか、銀のリングに赤い魔鉱石を埋め込んだマジックルージュとか、その程度であれば……」と、どうにか答えた。
「そうそう、そういう話。その話をしたのがちょうど十日ぐらい前のことだったと思うが、あいつ、考えてみるとか言ってたな。でも、あれから十日経ったが、あいつがプロポーズしたって話は聞いてないな」
ニック本人は親友ではないと言っていたが、ノートンにとっては無二の親友ではないのか。メルルはそう思った。そうでなければ、プロポーズのような繊細な相談を持ちかけたりはしないだろう。
レトが次の質問をしないので、しばらく部屋のなかは沈黙の空気に包まれた。その空気に我慢できなくなったのか、ニックが声をあげた。
「なぁ。本当にディテールは死んだのか? 本当に殺されたのか?」
「ええ。1階の自室で、です」レトは静かに答えた。
「ああ、くそっ! いったい誰がそんなことを。あいつは、かなりのんびりしたというか、そう、ユルいやつなんだよ。誰かと争いごとになってたとか聞いてないし、恨みを買うような狡いところもない。そんなやつを殺したいやつなんているのか? なぁ?」
さすがにその問いには答えられない。メルルはメモ帳に視線を落とすしかなかった。
「あなたに思い当たるところはないのですね?」
レトは念を押すように尋ねた。ニックは憤った表情をレトに向けた。「当然だ!」
ニックが去ると、医務室はふたたび沈黙に包まれた。レトは自分のあごのはしをつかむような姿勢で考え込んでいる。メルルは話しかけていいものか迷いながら声をかけた。「レトさん……」
「アイリーンさんから話を聞いておきたい、か?」
レトはメルルの考えを読んだかのように訊いた。メルルはうなずいた。「ノートンさんが殺されるほどの理由は、アイリーンさんとの関係にあるかもしれませんから」
「恋のもつれって話か。簡単に飛びつく話じゃないけど、確かめないわけにはいかないね」
そのとき、医務室の扉が開いて、フォーレスが顔をのぞかせた。「今よろしいですか?」
「どうぞ」
「本件に関係ある人物をひとり、ここに連れてまいりました」
部屋に入るなり、フォーレスはそう報告した。メルルは思わず椅子から立ち上がる。「もしかして……」
「アイリーン・コールズ。被害者とは恋人関係にある女性です」
フォーレスは落ち着いた声で続けた。




