Episode 3 外出する幽霊(その2)
王都メリヴェールは小高い丘の頂上にディクスン城がそびえ、その周囲を円錐状に街が広がった形状をしている。
探偵事務所は中腹当たりの商業地区の真ん中にあるが、どこに行くにも平均的な距離にあることが理由だ。事務所の機動性を考えてのことである。
しかし、今回の事件現場はメルルたちにとってかなり遠いところであった。探偵事務所とはディクスン城の向こう側……、つまり、まるで反対側にあったのだ。
事件現場にはレトとメルルのふたりが向かうことになった。『幽霊』という単語を聞いて、ぶるぶる震え出したヴィクトリアは捜査に参加していない。
――「……わ、私、そういうのダメなの。すっごく苦手なの!」
どうも、幽霊や屍霊など、霊的なものが生理的に苦手なようだ。日ごろ苦手なものがないと思っていたので、メルルには意外なことだと感じた。
事務所を出たとき、昼下がりの強い日差しがメルルの目を射た。それで、自分がいつもかぶっている帽子を忘れたことに気づいて、事務所へ引き返した。帽子は魔法使いがかぶるような三角帽子だ。かつて魔法の先生であるカーラからもらった大切なものでもある。メルルはそれをちょこんと頭にのせると、ふたたび駆け足で事務所から出て行った。
「男性職員独身寮……ですか」
現場へ向かう道を歩きながら、メルルはレトの背中に話しかけた。手にはさっきヒルディーから手渡された資料がある。事件について簡単なところは聞いているが、詳しいことは現場へ向かいながら確認しようと思ったのだ。
昨夜は急な雷雨があり、王都は稲光と豪雨を盛大に浴びていた。今日は昨夜の天気が嘘と思えるような快晴で、午後の通りは風も穏やかで清々しい。
「城勤めする者たちは、城内に常駐している者もいるが、多くは城外に住まいを持って通っているんだ。そのなかで男性独身者のみを集めた寮が今回の事件現場ということだ」
「お城で働いているひとって、ずっとお城で暮らしてるもんだと思ってました」
「職員は兵士と違うからね。仕事だって、経理処理や行政処理といったものだよ。城に常駐する必要がないんだ。そして、今日は安息日だからね。仕事は休み。職員たちは自宅か寮の自室で休日を過ごしているわけさ」
「王都には知らないことがまだまだありますねー」
「君は今年、ここに来たばかりだろ」
レトとそんなやり取りをしているうちに、ふたりは現場に到着した。
現場の寮は、古めかしい鋼鉄の柵に囲まれていた。門扉も鋼鉄製の柵でできている。
入り口には軍服姿の男がひとり立っていた。見知った顔の人物だ。
「こんにちは、フォーレスさん」
メルルは挨拶した。
「お疲れ様です。今回もご協力お願いします」
フォーレスは王都を守る憲兵である。ぴしりと敬礼する姿は長身と相まって凛々しく映る。顔立ちも美形なので、なおさら見栄えがいい。
「こちらこそよろしくお願いします。さっそくですが、事件のあらましをご説明いただいてもよろしいでしょうか?」
レトは挨拶もそこそこに事件の説明を求めた。はたから見るとそっけなく思えるが、これまでもずっとこんなやり取りをしているので、メルルはこの光景に違和感を覚えなくなっていた。
フォーレスも慣れたもので、すぐ書類を開いて説明をはじめた。
「事件は、本日午前10時ころに発生。被害者は王国官吏、ディテール・ノートン。遺体は自室で発見されました。人間の手によって扼殺されたと思われます」
「扼殺というのは検死官の見立てですか?」
「現場での検死はコジャック医師によって行われました。先生によれば、被害者は頭部に攻撃を受け、昏倒した後、扼殺されたとのことです」
「被害者に抵抗した様子がなかったんですね?」
「その通りです。被害者は頸部を圧迫されていたとき、すでに意識がなかった状態だと思われます。被害者の両手に抵抗した形跡がありませんでした」
レトはフォーレスと並んで歩きながら質問している。メルルはその後ろをついて歩きながらメモを取っていた。あらましを聞くかぎり、幽霊の出る幕はなさそうに思えるのだが……。
憲兵と並んで歩くレトたちの姿は奇異に映ったのだろう。寮の管理人と思われる老人がひとり、ほうきを手にした格好でこちらをじっと見ていた。捜査のために来たのだが、まるでこちらが不審者のようだ。
しかし、レトは管理人の視線を気にする様子も見せずに質問を続けている。
「被害者は今日、遺体として発見されるまで、ずっと自室にいたのですか?」
「そうです。ですが、被害者はよそいきの服装だったとのことで、出かける直前だったと思われます」
ここでフォーレスが立ち止まったので、メルルたちも立ち止まった。
「実は、このことで、奇妙なできごとが起こったわけでして……」
フォーレスは右手をあげて一方を指さした。指さした先には寮の建物が眼の前にある。古めかしい2階建ての建物で、正面入り口の上部に丸い時計がかけられていた。時計は今、午後3時を指している。
「遺体が見つかったのは10時でしたが、実はその10分後、つまり10時10分に、ここから門に向かって歩く被害者の姿が目撃されていたのです」
……え?
「つまり、遺体が外を出歩いていたんですか?」
メルルは思わず声をあげてしまった。それって、遺体がすぐに屍霊化したってことじゃ……。
フォーレスは静かに首を横に振った。
「いいえ。遺体は発見されてからずっと自室に横たわったままでした。発見者は同じ寮に住む、被害者の同僚で、遺体を発見してからずっと現場を離れず、そこで声をあげて応援を要請していたんです。外出する被害者の姿は、朝、外出先から戻ってきた別の同僚に目撃されていました」
「目撃された時刻は正確なのですか?」
「その人物は、こちら……、つまり門へ向かう被害者と同時に、入り口上部にかけられた時計を見たと証言しました。そして、その時計の針が10時10分を指していたとのことです」
「寮の時計は僕の時計と合っていますね」
レトは自分の懐中時計と見比べながら言った。「遺体発見時刻は何で確かめられているのですか?」
「被害者の自室にあった置時計です。発見者が、その時計が指していた時刻を記憶していました」
フォーレスは書類に目をやることもなく即答した。どうも、フォーレスもレトと同じことを考えて調べていたらしい。
「その時計の時刻も合っていました。ちなみに、証言者は別々に調書を取ったので、証言者同士で口裏を合わせる時間はありませんでした。こちらを混乱させるために虚偽の証言をしたとは考えにくい状況です」
メルルは顔をしかめた。それじゃあ、本当に……。
「死者が幽霊になって外出した、ってことになるのか……」
レトは寮の建物を見上げながら、小声でつぶやいた。




