Episode 3 外出する幽霊(その1)
「何をしているところなの?」
事務所へ入るなり目にした光景に、思わずレトはつぶやいた。
狭い事務所であるが、部屋は応接の場とするために衝立で仕切られ、事務のできる場はさらに狭くなっている。
それでも、ひとが通行できるだけの空間は取ってある。メルルは、そのわずかな空間に魔法陣を展開させて、眉をしかめて何か念じているところだった。
「ある魔法の実験中」
ヴィクトリアが机に頬杖ついた姿勢のまま答えた。「あの子、火属性だからできるかもって考えてね」
「火属性の魔法?」
「直接的に火を使う魔法じゃないわ。炎を起こすと当然発生するもの」
「……当然発生する?」
「そうね。名付けるなら『熱魔法』ってところかしら」
レトは視線をヴィクトリアからメルルに戻した。「熱魔法?」
メルルは魔法陣の中心に小さなナイフを置いていた。魔法陣は赤くなったり、黄色く光ったりと、お世辞にも安定しているようには見えなかった。
「あの子は今、そのナイフに熱を込めようとしてるの」
ヴィクトリアは説明を続けた。「魔法陣の力で炎を起こすと同時に、その力をすべて熱に変換しているのよ。そのナイフは柄も含めて鉄で出来ているから実験の対象になっているわけ」
ヴィクトリアは片手だけ顔から離して床のナイフを指さした。「鉄は熱伝導率が高いでしょ? 実験相手に最適ってこと」
「妙なことを考えるなぁ」
レトは自分の左肩に手を伸ばしながらつぶやいた。そこには一羽のカラス……アルキオネがとまっている。アルキオネはレトの手から逃れるように飛び立つと、部屋の中心にあるレトの机の上に舞い降りた。
「1分経過」
どこからか別の声が聞こえた。見ると、魔法陣の向こう側にコーデリアが懐中時計を手に立っている。彼女は時計で時間計測を担っていたようだ。
メルルはコーデリアの声を合図に、ふうーっと大きく息を吐いて背筋を伸ばした。同時に魔法を解いたらしく、変則的な光を放っていた魔法陣が消えてしまった。
「どう?」
ヴィクトリアが尋ねると、メルルは身をかがめてナイフに手を伸ばした。人差し指でほんの少しつついてから、手で持とうとする。しかし、すぐに「熱っ!」と小さく叫んでナイフを落とした。
「気をつけなさいよ。変換された炎の熱力がたとえ小さいものであっても、500度を下回るなんてないんだから」
「気をつけます」
メルルは素直にうなずいた。「でも、このナイフはそこまで熱くなりませんでした」
「どうして、こんな魔法を使ってみようと思ったんだ?」
レトは素直に尋ねた。メルルは魔法をヴィクトリアから学んでいる。魔法の知識を吸収し、さらに技術を磨いて、王立魔法学院へ進学するためだ。しかし、今の実験は将来受ける試験に益があるようには思えない。
「事件現場で容疑者を確保する際、どうやって相手にケガをさせずにできるか課題だと思ってたんです」
レトに振り返りながらメルルは答えた。
「私はレトさんみたいな剣術も、コーデリアさんのような格闘術もありませんから」
「でも、君には相手を無力化させる『脱力の陣』があるじゃないか」
「あれは万能じゃありません。魔法陣が逃れられると効果が消えてしまうんです。そして……、あの魔法陣は大きく拡大させることができないんです」
「それが問題になるのかい?」
「あの魔法は対象者の体力を10分の1に下げるものです。体力の低い者だと、すぐその場で動けなくなるからいいんですが、強いひとだと強引に魔法陣の外に逃げ出されてしまうんです。さっきも言いましたが、『脱力の陣』は展開できる魔法陣の大きさに制約があって、体力的に強いひとや、大勢を相手にするのが難しいんです」
「あの魔法陣で押さえられるのはせいぜい3、4人がいいところよね」
ヴィクトリアがさっきと同じ姿勢のままで補足した。
レトはちらりとヴィクトリアを見てからメルルに顔を向けた。「そこでさっきの魔法ってこと?」
「無力化させたい相手って、だいたい武器を手にしているじゃないですか。そして、武器はたいてい金属製です。手にしている武器を熱くさせて持てなくすれば、安全に容疑者確保ができるんじゃないですか?」
「本当に妙なことを考える」
レトは関心をなくしたように自分の席へ歩き出した。机の上では、アルキオネがレトを待っているように翼を広げてみせた。
「君はこの間、魔法陣から炎の渦を立ち昇らせるすごい魔法が使えるようになったじゃないか」
「聖天炎柱のことですか? たしかに、あれは強力な魔法ですけど、あれも魔法陣の大きさが決まっていて、その範囲でしか効果がないんです」
「強力な魔法といっても使い道が限られるってことか」
「私のように魔法レベルが低いと、効果の強い魔法陣は大きく展開できないんです。低レベルでも扱える、広範囲魔法を身につける必要があるんです」
「金属に熱を込める魔法の効果範囲はどれぐらいなの?」
「直径10メルテほどです。この事務所全体をだいたい覆うぐらいのものですね」
「なるほど」
レトは納得したようにうなずいた。「使いようによっては、聖天炎柱よりも有効ってことだね」
「ただ、メルルちゃんの魔法制御に問題があるのよねー」
ヴィクトリアが口を挟んだ。
「魔法陣の範囲内なら、すべての金属に熱を込められるけど、特にこれだけって選択して熱を集中させるのができないの」
レトが冷たい視線をメルルに向けると、メルルはもじもじと両手をお腹の前でこすり合わせた。
「……魔法が分散されると込められる熱が弱くなっちゃって……。複数の金属に熱を込めると、ただ温かいって状態になるだけなんです」
「……武器を持つ相手を暖めてやるだけじゃないか……」
レトの呆れた声に、メルルはシュンとなった。「はい……」
「あんまりメルルちゃんに厳しくしないで」
ヴィクトリアがレトをたしなめるように言った。「こうした不慣れな魔法ってのは、魔法制御力を鍛えてくれるんだから」
「そうですね」レトはうなずいた。「こういうことは、いつか実を結ぶこともあります」
レトの肯定的な言葉を聞いて、メルルの顔が明るくなった。「頑張ります!」
「何を頑張るんだ?」
衝立の陰から声が聞こえ、ヒルディーが姿を現した。気がつかないうちに事務所へ戻ってきたようだ。
「あ、お帰りなさいです」
メルルはぴょこんと小さく跳ねて『気をつけ』の姿勢になった。
「所長、お帰りなさーい」ヴィクトリアは片手だけひらひら振っているだけだ。レトはメルルの隣で頭を下げた。「お帰りなさいです」
「メルルの魔法の練習」
コーデリアは挨拶を飛ばして、ヒルディーの問いに答えた。ヒルディーはそれを聞いて小さくうなずいただけだった。
「事件ですか?」
ヴィクトリアは、ヒルディーが書類挟みを手にしているのに気づいて尋ねた。
「憲兵本部からご指名の殺人事件の捜査だ」
ヒルディーは書類挟みを自分の顔の高さまで上げてみせた。メルルの顔が緊張で青ざめる。「……殺人事件……」
「ついでに、だが」
ヒルディーは無表情でつけ加えた。「この件には幽霊がからんでいるそうだ」




