貴方を/貴女が
昼食終えてから、ふたりで本屋に向かう。私の行きつけの本屋は大通りから少し離れた位置にあり、かなり歩くことになった。けれどその間もブルーノとの会話が途切れることはなく、いつもよりも距離が短く感じた。
「どうぞ」
「ありがとう」
ブルーノが開けてくれた扉から本屋に入る。その瞬間、紙とインクの匂いが私の元まで届く。酷く落ち着く匂いに包まれながら、入口近くの本を見に行く。
大抵の場合、入口近くの棚に新刊が置いてある。店主の積み本が溜まっていると、入荷した本をバックヤードから出していないこともあるが、今回はしっかり本が並べられていた。その中には私の欲しかったマンガもある。
「それがメイアの好きな作品ですか?」
「うん。……ブルーノはマンガって読む?」
「読んだことは無いですが、メイアが好きなら挑戦してみます」
「そ、そそう」
私のために読んだことの無い形式のものに挑戦してくれる。その事実が嬉しくて、また胸が詰まった。
「どういうお話なんですか?」
「あ、そうだよね。あらすじは知りたいよね」
説明の時に言葉がおかしくならないように、深呼吸で気持ちを落ち着けてから、簡単にあらすじを説明する。
これは所謂、異世界ものの作品だ。この世界とは違う文明を発展させてきた世界の話で、そこで主人公は『女子高生』という身分だ。『女子高生』というのは、その世界で私たちと同じ学生を指す言葉で、教育課程の中で変化していく。最初は『小学生』から始まり『中学生』の次が『女子高生』と『男子高生』と呼ばれる。このふたつは男女によって呼び名が違う。今回の主人公は『女子高生』なので、女性だ。
そんな『女子高生』である主人公はある日、命を狙われる。その主人公を助けたのが、ブサイクの悪魔。ただこの作品の世界においてはイケメンらしく、主人公は自分を助けてくれた悪魔にドキッとする。この、美醜感覚の違いが作品に大きく関わっているのかと思えば違うみたいで、ほとんど触れられない。当たり前のようにこれがイケメンと押し付けてくる。正直、そこがこの作品の良いところでもあるんだけど、ブサイクとの恋愛ものなので人を選ぶようだ。
助けてくれた悪魔は、主人公が悪魔達の王――魔王を決めるための勝負で利用されていると教えてくれ、主人公を守ると宣言する。魔王になりたいのは彼も同じだろう、と怪しむ主人公。悪魔は「人間を使って魔王を決めるやり方が気に食わない」と話し、とりあえず信用することにした主人公と悪魔は共に行動することになる。
もちろんそんなふたりを周りが放っておく訳もなく、主人公を守りに来た天使や、悪魔のことを知っている人間などを巻き込んだ恋愛ファンタジー作品だ。
「かなり奥が深い作品でね、主人公を守りに来たって話す天使も何か抱えてるみたいだし、悪魔の方も主人公に隠し事があるみたいで……って、ごめん! すごい長々と話しちゃった」
短くまとめるつもりだったが、この作品特有の用語も説明していたら長くなってしまった。ブルーノは飽きてしまっていないだろうか。
「本当にメイアはその作品が好きなんですね」
「うん。前は惰性で読んでるって感じだったんだけど……」
「けど?」
ブルーノと出会って、悪魔に惹かれる主人公の気持ちがわかるようになってから、すごく大好きになった。とは流石な言えず「最近伏線が回収されてきて盛り上がってるんだ」と笑う。
ブルーノは特に違和感を覚えなかったようで「それなら今読んだ方がいいですね、買って帰ります」とマンガを探しに行こうとする。
「待って。良ければ貸すよ」
「いいんですか?」
「うん。全巻買うとそれなりの金額になるし、もし面白くて欲しいって思ったら買えばいいと思う」
「それじゃあお言葉に甘えます」
「明日持ってくるね」
あのマンガをまず貸して、好みに合わせて他の作品をおすすめしよう。恋愛が大丈夫なら恋愛ものを。恋愛がいまいち合わないなら、別のジャンルを。とりあえず明日、マンガを忘れないようにしなければ。
「ねぇ、本屋少し見てってもいい?」
「もちろんです。俺も見たいので」
私達は一緒に本屋を見て回ることにした。そんなに大きいお店ではないが、タイトルと作者名を細かく確認していたら日が暮れる。ざっと確認するだけにしよう。
新刊を重点的に、既刊は欲しい作者の作品が再入荷していないかを見る。新刊は特に気になるタイトルはない。既刊も、残念なことに好きな作者の持っていない作品はないようだ。古い作品だし、古本屋を見に行くべきかもしれない。今日はマンガを買ってしまったからやめておこう。また後日……ブルーノを誘ってもいいかもしれない。
そんな呑気なことを考えていたからだろう。私は油断していた。
「……きゃっ」
「メイア!」
足元の段差に気付かずに躓いてしまう。私は思わず目を瞑った。
「っと、大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう」
体はブルーノが支えてくれたが、そのせいで少しサングラスがズレてしまう。運が悪いことに、そこに人が通りがかった。
「うわぁっ!」
ブルーノを見た男性は怯えた顔で、私たちから逃げるように店を出て行った。いきなりのことに周囲からの視線が集まる。周囲の人々はブルーノを見て、先程の男性と同じく顔を青くする。
「な、何あれ……」
「おぞましく大きな瞳」
「肌も白くて死人みたい」
「まだ肌寒い程度なのに服を着すぎじゃない?」
「きっと体も顔と同じく、醜いのでしょう」
ひそひそ、ケラケラと小さいがブルーノに聞こえるような声量で、彼の容姿を嘲笑する。声量は抑えているから、いざとなればいくらでも言い訳をして逃げられる。その態度、そして彼の内面を知ろうともしないでバカにし、本人を傷つける精神。私はそれらが許せなくて、止めようと前に出るが、ブルーノに止められる。
「ブルーノ……!?」
「いいんです……全て本当のことですから……」
そうか、もう諦めてしまっているんだ。理解されることを。だから彼は知りたい、と私が言ったことに喜んだんだ。それだけでいいと笑うんだ。
そんなに、悲しいことがあってもいいのか。もちろん良くない。良い訳がない。
私は1歩前に出る。私の名を呼ぶブルーノの声が聞こえるが、気にしない。私は勝手に私のしたいようにする。
「確かに彼の容姿は褒められるものではありません。ですが、内面は平等に私達を包み、肯定してくれる空のように美しいです。人を貶めるような言葉を、本人の目の前で吐く人よりは綺麗な心を持っています。あなた方は容姿の美しさの代わりに心が醜いようですしね」
嘲るような、見下すような笑みを張りつけた私の言葉に、悪口がピタッと止む。彼らの標的はブルーノから私に移った。サンドバッグよりも、自分たちに牙を剥く存在の方がよっぽど脅威だ。
「何を言っているの! あのような化け物の内面を見ろ? 貴方は熊や猪と話せと言うの!?」
「いつこちらを妬んで襲ってくるかも分からないのだぞ!」
「頭がおかしいのではなくって? おぞましい姿の者が、言葉を交わす価値などあるものか!」
耳障りな言葉とも呼びたくない、音の塊が私に向かって投げられる。私はただ黙ってそれに耐える。
「……コイツら! メイアを――」
「ブルーノ、静かに待ってて」
「え……?」
「もう来ると思うから」
意味がわからないと言いたげなブルーノの横を、黒い影が通り過ぎた。常人の目に追えないその影は、私が待っていたものだ。
「テメェらかァ! 読書の邪魔をする馬鹿どもは!!」
大柄で筋肉質な体に、身長の高いブルーノよりも高い背丈。角刈りの頭に何故か白い布を巻いた男が大声を上げて、悪口を言っていた客に迫った。
「なっ、お、お前は……」
「うるさくする奴らは今すぐ店の外に出やがれ!」
いきなりの剣幕に、全員が固まってしまう。それを見て「出れねぇなら出してやるよ!」と主に悪口を言っていた3名を軽々と抱え、ゴミを捨てるようにポイッと放り投げた。
「はぁ、うるさかったせいで集中切れちまったじゃねぇかよ」
悪態を着く男に近づく私を心配そうに見つめるブルーノ。大丈夫だと伝えるように笑顔を返し、私は「すみません。ありがとうございました」と男にお礼を言った。
「お、嬢ちゃんか。絡まれてたみてぇだけど大丈夫だったか?」
「はい。ご覧の通りピンピンしてます。……煩くしてしまい申し訳ありませんでした」
「嬢ちゃんが騒ごうとしたわけじゃねぇだろ。最近増えた変な客も、これで寄り付かねぇだろ」
「私のせいでお客さん減っちゃいますね。本当に申し訳ありません」
「だからいいって。儲けたくてやってる訳じゃねぇし。気にすんな」
「でも、また怒られるんじゃ……」
「嬢ちゃんを助けなかったら、それこそ怒られる。アイツ、怒ると怖ぇんだよ」
「……あのぉ」
おそるおそる手を上げて、存在感をアピールするブルーノ。私は男との会話を切りあげて「どうしたの?」と尋ねた。
「その、おふたりのご関係は……?」
そういえば言ってなかったかもしれない。
「この人はこのお店の店主さん。私ここの常連で、店主さんの奥さんのお茶飲み友達なの」
「お茶飲み友達」
「うん。前にいろいろあってね」
「いろいろ」
「うん。いろいろ」
詳細はとりあえずは必要ないだろう。また時間がある時にでも話せばいいし。ブルーノは首を傾げながらも納得してくれた。
「今日はアイツに会いに来たんじゃないんだな」
「そこにいるブルーノとデートなの」
「おぉ。彼氏くんか。じゃじゃ馬だが、悪ぃ奴じゃないんだ。しっかり面倒見てやってくれ」
どう解釈しても褒めていない。面倒を見てもらうほど困らせてはいない……はず。自信が無いのは、思い当たる節があるせいだ。告白逃走とか、煽った相手から庇ってもらったとか。もう少し反省すべきかもしれない。
「知っています」
「じゃじゃ馬が!」
「いえ! そっちではなくて……悪い人じゃないって所がです」
ほのかに染まった頬に、伝染するみたいに私の顔も熱を持つ。面と向かって、彼氏から言われると照れてしまう。
「おアツいことだな、おふたりさん。ただたまにはうちのも構ってやれよ」
「もう! これ下さい」
「毎度あり!」
私から受け取ったマンガを持ってカウンターへと向かう店主の後を追いかける。
「値段はいくらですか?」
「475ヴェドだ」
お金を入れているポーチを覗くとちょうどピッタリある。私はピッタリのお金を渡した。
「ありがとうございました」
「おう。またいつでも来いよ」
「次はサーシャさんとお茶しに来ます」
「そうしてやってくれ」
ブルーノとお店を出る。少し離れた路地で、私はブルーノに頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え、あの……顔を上げてください!」
「本当にごめんなさい!」
「だから、顔を上げてください!」
まだ足りないくらいだが、ブルーノを困らせてしまうのは本意ではない。私は渋々と顔を上げた。
「何を謝ってるんですか?」
「私のせいで、ブルーノに嫌な思いをさせた。それだけじゃない。ブルーノが止めてくれたのに客達を煽って心配をかけた。だからごめんなさい」
私が躓いたりしなければ、ブルーノのサングラスがずれることはなかった。彼が非難されることも、あんなに悲しませることも心配をかけることもなかった。
「……どうして、メイアが泣くんですか?」
そう言われて、私は自分が泣いていることに気がついた。ポロポロと零れる涙を止めようと手で擦るが、次から次へと溢れてきて止まらない。私じゃない。泣きたいのは私じゃなくて、ブルーノなのに。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん――」
「いいんです!」
いきなりの大声に驚きで息を飲む。滲む視界で彼を見れば、とても苦しそうな表情をしていた。
「ぶるーの……?」
「貴女が謝る必要はありません! あの人達が言っていたのは本当のことですし、間違っていたとしても、謝るべき人はメイアじゃありません!」
「でも、私は――」
「俺は! 例え他の誰か何を言われても気になりません! それよりも貴女に憎悪が向いて、非難される方が嫌です!」
真剣に訴える姿を見て、私は謝罪だけでは足りないと気づいた。優しい彼を、私を気遣ってくれる彼を、私は傷つけて苦しめた。それは、ただ身知らぬ人を中傷していた人達よりも罪深いことに思えた。
「だから、泣かないでください。俺のために泣く必要は無いんです。俺は、貴女の笑顔が見たい」
謝罪は封じられてしまった。私のできる償いは、彼の言うとおりにすることしかない。私は必死に涙を拭い、口角を上げる。
きっと不格好で見るに堪えないだろう。可愛らしい顔の人なら美しく見えるだろうに、私は所詮どこにでもいる普通の顔だから。彼の望むように笑えてはいないはずだ。
それでも、頑張って笑顔を作る私を見て、彼がとても幸せそうに笑うから。美しく咲く花みたいに綺麗な表情をしているのだと錯覚した。
「……ありがとうございます、メイア。俺は貴女が――」
その先はくぐもっていて聞こえなかった。知る必要は無いと、知りたくないと思った。私と彼の願い事は違うだろうから。
なんで、いつの間に。私はこんなにも彼を好きになっていたんだ。こんなにも優しい彼を好きになってしまったら、いずれ後悔するはずなのに。
彼の魅力を覆い隠すものは、とても薄いヴェールのようなものだ。見ようと覗きこめば、いつでも見えてしまう。いつか覗き込んで、彼を好きになる人が現れる。そうなれば私は身を引くしかない。私は彼を好きではないのに告白して、愚かにも恋をした女なのだから。
ブルーノ。身勝手にも貴方を好きになった女に、もう少しだけ夢を見させて。その時が来たら私からしっかり伝えるから。だから今だけは、恋人だと。両想いなのだと。勝手な妄想を許して。
後はクライマックスだけですが、更新に間が開きます。本当にすみません。




