訪れてしまった春
お待たせしました。2人の恋の結末を見守ってあげてください。
あれからも、私とブルーノはお付き合いを続けていた。その関係は良好そのものだった。
学園の冬季休暇は、私もブルーノも寮居残り組だったので大体をふたりで過ごした。
春季休暇は全員帰省しなければいけなかったのだが、私の実家にブルーノが来てくれた。何故か毎日。流石に疑問に思って尋ねたら、領内にある宿に泊まっていると、ケロッとした顔で言い放ったのだ。連日の宿泊代と、ここまで来る労力を考えたら頭痛がしたので、家に泊めると提案したら大慌された。正直、こっちが慌てたいくらいである。
最終的には両親と3人で説得した。両親も最初はブルーノに脅えていたものの、割と直ぐに打ち解けていた。変わり身が早すぎて、娘歴の長い私でも驚きの速度で若干引いたのを覚えている。
ブルーノの優しい好青年。それなりに付き合っていれば、良い人間だと分かるが、両親が認めるスピードがあまりにも早かった。ブルーノは一体どうやって両親と仲を縮めたのだろう。本人は「メイアの両親と仲良くなりたくて、沢山話をしたんです」と笑っていた。確かに、沢山の会話をしたのなら時間を多く過ごしている。普通よりも早くても違和感はない、と思う。ブルーノがおかしな手段を取るわけもないし、考えすぎだろう。
なんやかんやありつつ、私はブルーノと過去最長になる恋人生活を楽しんでいた。自分の愚かさも忘れ、恋に浸っていた。
だからそう。これは、現在の状況は、きっと私への罰なのだ。
「聞いたか? 例の噂」
「あぁ、だけど本当なのか?」
「らしいぜ。まさかあのブサイクに春が来るなんてな」
まだ人がまばらに残っている放課後の教室。気力が無くて机に突っ伏している私の耳に入ってきたのは、今年度が始まってすぐに広まったとある噂。私の気力がない理由そのものである噂が、勝手に耳に入ってくる現在の状況は良くない。しかし動くのはもっと良くない。もしかしたら見たくないものを見てしまうかもしれない。だから何も考えないように意識を飛ばそうと努力する。
私の首元に柔らかい何かが触れた。
「脈はあるわね」
声を聞けばわかる。ヴェロニカだ。返事をするのも面倒だが、彼女を無視するわけにはいかない。ノロノロと顔を上げようとした私の耳に「メイアさん、生きてるー?」と、とても楽しげな男の大声が届いた。確認しなくても分かる。
「生きてます……」
「もうほぼほぼ死体だね。噂は君のところまで届いたんだ」
「届かないわけが無いでしょう。学園中がブルーノの噂で持ちきりじゃない」
「確かに。学園一のブサイク、ブルーノに春が! お相手は新入生の美少女! ……なんて、興味を引かれるなって方が無理な話だしね」
カルロの言う通り、その噂で学園中が賑わっている。
今年入ってきた新入生。絶世の美女だと話題になっていた子が、ブルーノに猛アタックしている。何でも一目惚れらしい。これは交際秒読みか!?
それが噂の共通部分だ。それ以外の部分は生徒たちが疑問を持ったり、面白おかしく加筆するせいで、色んなパターンが存在する。一体どこに一目惚れをしたのか。美少女はブス専なのか。美少女は借金などがあり、脅されているのではないか。はたまたブルーノが美少女に一目惚れし、惚れ薬でも盛ったのではないか。それ以外にもいろいろあるが、どうせ全てガセだ。
ブルーノが、美少女を好きになったからその子に惚れ薬を盛ったり、脅したりする訳が無い。彼は優しい人だ。真正面から勝負するはず。
ブルーノが違法な手を用いて美少女を惚れさせたりするわけが無い。そもそも惚れ薬ってなんだ。実際にあるのか。だったら私が欲しい。
「はぁー」
「大丈夫かい?」
「さっきほぼ死体って言ってた人間に、大丈夫って聞くのすごいですね」
「言い返すぐらいの元気はあるんだ。安心安心」
何が安心なのだろう。というか、カルロは何しに来たんだ。おちょくりか? 死体蹴りか?
「実際に思い詰める必要は無いと思うけどね」
「えぇ」
「…………思い詰めますよ。だって、私はとっくにブルーノのことが大好きですから。別れることを想像するの辛いです」
2人は顔を見合せた。カルロは私を指さして首を捻り、ヴェロニカはやれやれ、と言いたげに首を振った。意味がわからないが、失礼なことを考えられている気がした。
「なんでそんな反応なの」
「……一応聞くんだけどさ、君らって春季休暇は一緒に過ごしてたんだよね?」
「はい。ブルーノがうちの領地に遊びに来てくれて、毎日一緒に過ごしてましたよ。両親もブルーノを気に入ってました」
「なんで彼が君の領地に来たと思う?」
「本人は家にいてもすることがないので、せっかくだから親睦を深めたい、と仰ってました。律儀な人ですよね」
「律儀……」
「だって、わざわざ私に会うことを選んでくれたんですから。恋人を優先してくれるなんて優しいです。滞在中は気を回してくれてくれたりもしましたし」
「少し哀れだな」
「はっきり言わないと伝わらないタイプだから仕方ないわよ。彼も、カルロくらい態度と言葉に出せばいいのに」
二人の会話の真意はよく分からない。なんだろう、私が馬鹿にされていることだけは分かった。
「そうだね。僕たちみたいに、普段から愛を囁きあっていればいいのにね」
「私は言ってないわよ」
「態度で語ってくれているだろ」
なんかイチャイチャし始めた。破局寸前まで追い詰められた人間の前でイチャつくのはやめてほしい。ガラスの心にさらにヒビが入る。
私とブルーノは、2人みたいに愛し合って付き合い始めたわけじゃない。私は打算で、彼は優しさで。そうやって始まった。だからいずれ終わらなきゃいけないものだった。それに傷つく権利は私には無い。だって、私が最初に始めたんだから。
分かっていたはずだ。覚悟していたはずだ。それでも、身勝手に心が痛む。苦しいと泣き叫ぶ。
痛い痛い痛い。渡したくない。傍にいてほしい。彼のことが好きだ。私が先に好きになったのに。もっと可愛く生まれたかった。素敵な女の子ならよかった。醜い心も、平凡な外見も嫌いだ。
愚かな女の本心。沢山の負の感情。それらを拾って遠くに投げ捨てて、そうして最後に埋まっていたものを見つけた。
それは願い。ずっと心にあり続けた、私が好きになれる私の本心。醜い感情の中で光を放つ、純粋な輝きを持つ本音。
"ブルーノに幸せになって欲しい"
そのために、どうすればいいのか。私はもう既にわかっていた。
嫌だと叫ぶ自分を押さえつけ、私は立ち上がる。
「メイアさん?」
いきなりの行動に、驚いたように目を見開くカルロ。その隣のヴェロニカは私を見て微笑む。
「行くの?」
「うん。言わなきゃいけないことがあるから」
「そう。……多分中庭よ」
「ありがとう」
私は教室を出ようと扉へ向かう。
本当は嫌だ。このまま彼が私に気遣ってくれる可能性に賭けたい。優しさで、私を振らないでいてくれる。そんな夢に浸っていたい。
でもそんな選択をしたら、私はさらに私が嫌いになる。
だから行くんだ。私の奥の、ブルーノを幸せにする、という願いを叶えるために。
扉へ手を掛ける。小刻みに震える手を見つめ、失う恐怖に襲われ奥歯をかみ締めた。臆病な私の背中に「メイア」と声が届く。
「頑張りなさい」
声に背中を押された気がした。自分の手を見れば、震えが止まっている。私は振り向かずに「うん! 玉砕してくる!」と返事をして、ブルーノのところへ向かうために走り出した。
運がいいことに教師とは出くわさない。ただ一直線に中庭へと向かう。その途中、図書室の前に、よく知った顔の男がいた。
「メイア……?」
「リベルト……!」
走っていた足がゆっくりと止まった。
彼の姿を見掛けることはあったが、面と向かって会話をするのは、口論となったあの日ぶりだ。
話したいことがあった。伝えなきゃいけなことがあった。そしてそれは、今言わなければ一生言えなくなってしまうことでもある気がした。
「リベルト、言いたいことがあるの」
「奇遇だな。俺もある」
偶然……ではないだろう。リベルトも、私も、言おうとしていることは同じかもしれない。もしそうなら、先に言わなきゃいけないのは私の方だ。
「先に言ってもいい?」
「あぁ」
「……私ね、リベルトと昔みたいに仲良くしたい」
リベルトが息を飲んだ。
「昔は、3人で一緒に遊んでたよね。私は楽しかった。だからリベルトが敵意を向けるようになって悲しかったし、怒って煽ったりした。でもそうしたい訳じゃなかった。本当は昔みたいな関係に戻りたかったんだ。私は、そんな簡単なことにずっと気づけなかった」
リベルトは目を伏せて黙って私の言葉を聞いている。何も言わずに、耐えるように。
「この間……と言っても数ヶ月前だね。あの時は本当にごめんなさい」
頭を下げて、リベルトの反応を待つ。不安と緊張で声が聞こえてこないことに焦る。多分、体感時間がいつもより長くなっているんだろう。冷静に分析してみても、不安は消えない。緊張で心臓の動きが早くなる。
「……顔を上げてくれ」
言われた通り、顔を上げる。私の目に映ったリベルトは、真っ青な顔をしていて血色の悪い唇は震えていた。
「メイアが謝る必要はない。元はと言えば俺が悪い。幼い頃から信じていた理想が叶わず、くだらない嫉妬に駆られてお前に当たった。お前に非はないのに。そんなことをする男を、アイツが好いてくれるはずもないのに」
それは神の前に跪き懺悔をする罪人の告白のようだった。苦しい気持ちをどうにかしたくて、逃げ出したくて、吐き出す。そうしても苦しさは消えない。でもそれしか出来ない。だから許しを乞う為に心を縛る罪を吐き出す。
私も同じような姿をしていたのかもしれない。そう考えると見ているのが辛かった。
「あの男に負けるのも当然だな。俺は醜い、顔も、心も。でもいつまでもそのままではいられない。顔は変わらない。けれど心持ちは変えることが出来る。より良い方へ、誇れる自分にできる」
苦しい顔は少しづつ明るく、勇気を奮い立たせるように変化していく。前を向いて、その瞳には光が反射していた。その姿が眩しくて、一瞬だけ目を細める。
「……メイア、今まで本当にすまなかった。今すぐにとは言えない。でもゆっくりと、変わっていく。そしていつか、また3人で遊びに行こう。もちろん、お前の彼氏が許せばだが」
「ふふ、心配すべきはヴェロニカの方じゃない?」
「あの男は拒否するだろうから聞かない」
「だね」
まだぎこちない笑顔。距離感を図るようなやり取り。でもきっと。遠くない未来に自然と笑い合える。そんな予感がしていた。
「……それにしても、急いでいたんじゃないのか?」
「あ、うん! ……さっきの事だけど、私の彼氏の心配はしなくていいよ」
「どうしてだ?」
「これから振られてくるから! じゃあまたね!」
リベルトに手を振って、また中庭をめざして走り始める。
「……おいっ! どういうことだ、メイア!」
また今度。お茶でも飲みながらゆっくり話すから。心の中でリベルトに説明をした。心の中なので本人には聞こえないが、リベルトなら許してくれる。昔から面倒見が良い人だったから。
図書室を過ぎれば中庭はすぐそこだ。
いつも人で賑わっているが、今日はさらに多い。それが話題の中心であるふたりがいることの証明だった。
私は人混みをかき分けて、中心を目指す。
「ブルーノ様。私――」
「だから何度も――」
少しづつ声が聞こえてくる。何を話しているのか知りたい気持ちもあるが、それ以上にブルーノを幸せにするために言わなくちゃいけないことを言う、という決意が私を動かす。
人混みを抜けた。目の前には私を見て驚くブルーノ。そして私よりも低い身長に、ぷくぷくとした頬に慎ましいサイズの瞳。さらにそばかすもある。紛うことなき美少女。可愛らしさの具現化。この世にこんなにも可愛らしい子がいてもいいのか。天から遣わされた女神とも思える女の子がいた。
美少女はブルーノの筋肉質な腕に、自分の丸太のような腕を絡ませている。
「メイア……! 違いますこれは――」
「分かってる」
「え……?」
私は1度目を瞑って深呼吸。それからブルーノを真っ直ぐ見据えた。覚悟は決まっている。この先の未来が怖くても、望むものではないとしても。私はそれでもいい。
大きく息を吸い込んで、私は言葉と一緒に息を吐き出した。
「ブルーノ、別れよう」




