劇場での遭遇
劇場に着いてスタッフに案内された後、わたしは演劇を見に来た人達が自分の席を探したり、楽しみだと笑いあったりするのを、上から見ていた。
どうやら彼もしっかりと対策を考えていてくれたみたいで、チケットを受付に見せた私と彼が案内されたのはVIP席。周りには演劇界を知り尽くしている、というオーラを纏った人達しかいない。その人達はほかの観客などどうでもいいようで、ブルーノがサングラスを取っても悲鳴どころか、一瞥すらされない。
流石にこの案は想像がつかない。というよりは、私には実現できないブサイク対策だった。
この劇場は数ある劇場の中でも、かなり上位。通常の席でもそれなりのお値段がするのに、ここはさらに上のVIP席。いくらになるのか想像もつかない。口が裂けても絶対に聞かない。
VIP席なのもあり、周りはかなり着飾っていて少し肩身が狭い。だが、気にしているのは自分だけ。ブサイクがいても反応すらしない周囲の人々が他の人の服装にケチをつける訳もなく、私が居心地悪さを感じているのみだった。
「楽しみですね、メイア」
「うん」
楽しみなのは本当だ。初デートで、初演劇でもあるので。学園にも演劇同好会はあったと思うが、なかなか見る機会がない。なので値段のことは気にしないで楽しもう。うん、楽しむ。値段は考えない。
「今日の演目は、今流行りの恋愛ものらしいですよ。メイアはこういうのは好きですか?」
「うん、好き。小説とかマンガとかでもよく読むよ、恋愛もの」
「そうなんですね。……もしよろしければ今度どんな作品を読んでいるか、教えてもらえませんか?」
「もちろんいいよ。ブルーノも興味あるの?」
「作品が、というよりは、メイアが読んでいる本に興味があるんです」
少し照れているのか、頬を掻きながらはにかむ。その姿が可愛らしくて、またもや胸が締め付けられた。
「メイア……! 大丈夫ですか? 体調が悪いんですか? 今すぐ医者に――」
「大丈夫! そういうのじゃないから」
これはブルーノへの可愛さから来るものなので、お医者さんにかかる必要は無い。お医者さん側も来られたら困るだろう。どこを見ても異常など存在しないのだから。なんならバカップルだと追い払われるかもしれない。それはブルーノにも迷惑だ。
「これは、なんというか……その……発作……じゃなくて、とにかく! 正常な反応だから!」
うまく説明が出来ず、最終的にゴリ押しすることにした。ブルーノは私の勢いに押され「それならいいんですが……」と引き下がってくれた。
「えっと、じゃあ劇終わったら本屋に行こうよ。私、新刊が欲しいんだ。そこで好きなの紹介する」
「その……俺なんかが、行ってもいいんですか?」
「本屋に行っちゃいけないのは、本を大切にしない人だけだよ。ブルーノはそんな事しないでしょ」
「でも……」
彼が伝えようとしたのはそういうことでは無い。分かっていて私は分からないふりをする。彼に精一杯伝えたいんだ。貴方は堂々としていていいんだって。
「大丈夫だよ」
それに本当に私の行きつけの本屋は大丈夫なのだ。あそこの店主は人の顔には興味が無い。自他ともに認める本の虫で本と、奥さんにしか興味がなく、本を読む自分を邪魔する人間と、本をぞんざいに扱う人間、それに奥さんに危害を加える人間にしか嫌悪を示さない。人としての問題はあるが、本に関しては信頼できる人だ。
読書の幅も広く、自分が読んでいる作品は仕入れてくれるので、恐ろしい外見の悪魔と人間のマンガも仕入れてくれる。アレは少しニッチな作品らしく、仕入れていないお店も多いのだ。
ブルーノのおかげで、あのホラーとしか思えなかった作品が恋愛に見えるようになってきた。外見への偏見を捨てれば、優しく主人公思いな悪魔はとても魅力的で、主人公が惹かれていく理由もよくわかった。なんか、主人公への感情移入も出来てきて、前よりもずっと読むのが楽しい。
そういう話をするのもいいだろう。ブルーノのおかげだと、は言い難いのでもう少し違う言い方を考えなければ。
それは後で考えよう。まずは目の前の劇だ。ブルーノと話している内に開演間近になっていた。初デートの初演劇。素敵な作品だといいな、と期待に胸を踊らせた。
そうして開演を告げるブザーが鳴り、幕が上がる。
始まった舞台は、運命をテーマにしたものだった。簡単に言えば、政略的な結婚相手がいる主人公が地位も権力もない男性に運命を感じ、惹かれあっていく話だ。その心が運命だと示す男性と、その家に生まれた自分が歩むべき決まった運命の男性。そのどちらを選び、どちらを捨てるか。主人公を演じる役者の表現力が素晴らしく、終始ハラハラしながら3人を見守り、劇が終わった後のカーテンコールでは、惜しみない拍手を捧げた。
「すごく良かったね!」
「はい、演劇にもいろいろありますが、本日のは当たりでしたね。役者の演技力が素晴らしかったです」
「脚本も登場人物達の魅力を見せつつ、どうしようもならない絶望を叩きつけてきて、途中で不安になったよ。まさかあそこからハッピーエンドにもっていくなんて……」
「確かに、しかも伏線が最初からありましたね」
「え! 気づかなかった……」
「舞台装置の方でしたし、役者にばかり目がいってしまうので、気づきにくかったかもしれませんね」
「そっか」
最初から伏線があったと聞くと、また見たくなってしまう。それ以外にも細かい所にいろいろ隠されているのかもしれない。さっき終わったばかりなのに、もう見たくなるなんて……これが演劇。
「楽しんでもらえたなら良かったです。チケットを用意してくれた兄たちも喜ぶと思います」
「お兄さん達?」
「はい。お祝いにと」
「仲が良いんだね」
「……昔から、気を使ってくれたんです」
前にあまり良い環境ではないと思ったけど、少なくとも兄という味方はいたようだ。彼にとって生きにくい世界の中で、手を貸してくれるお兄さん。私に兄妹はいないから分からないが、当たり前のことでは無いと思う。家によっては自分の地位を安定させるために、他の兄弟を蹴落とすこともある。彼の家がそうではなかったことに安堵した。
「良かった。ブルーノのことをわかってくれている人がいて」
何様だと思われるかもしれないが、心の底からの本心だ。私と彼の付き合いは浅い。それでも彼に幸せになって欲しい、と願うくらいには心を寄せている。こんなにも人として好きになれる人に出会えて私は本当に幸福だ。
「メイア……あの――」
「あれ? 異色カップルじゃん」
ブルーノの言葉を遮った声。それには聞き覚えがある。しかし思い出せず、確認するために声のした方に振り向いた。
「カーラ! 貴女が何でここに?」
そこに居たのはくすんだ茶色のくせっ毛に、丸いメガネをした同じクラスのカーラ・ボルツィだった。愛嬌のある表情と、そばかすがチャームポイントで、告白された回数は両手の指では足りないらしい。私が告白をした回数よりは少ないと思うが、告白された回数ゼロの私には羨ましい話だ。可愛いのに容姿で人を差別しないし、面食い令嬢の噂を聞き付けた時には取材に来た変わり者である。
カーラは二ィっと口角を上げている。その愛らしいはずの表情に背筋がゾッとなる。
「私はネタに行き詰っだから、気晴らしに来たの」
「ネタ?」
「何を隠そう、私は演劇同好会で脚本と舞台監督を任されているのだ」
「そうなんだ……」
「取材の時に話さなかったけ?」
「聞いてない……と思う」
「じゃあ伝え忘れたのか、ごめん」
まさか、すぐ近くに演劇同好会の人がいるとは。そして不明だった面食い令嬢への取材理由が解明された。気になって考えてはいたのだが、蓋を開ければ大した理由ではなかった。
「ここで会ったのも何かの縁! ううん、きっと演劇の神様の思し召し! 2人のこと取材してもいい?」
キラキラと目を輝かせて私達を見つめるカーラ。子どものような瞳を前にして「嫌だ」とは言い難い。
協力出来ることがあればやりたい。力になりたい、だけど今日は初デート。あまり他のことに時間を取られたくない。どうするべきか。ブルーノの意見を聞くために隣を見れば、とても不機嫌そうな顔をしていた。聞かなくても、嫌なのだとわかる。
「協力はしたいんだけど、ごめん。この後の予定もあるから」
「そっかぁ、なら仕方ないね」
カーラはすんなりと引き下がった。かなり押しが強そうなのに意外だ。
「あ、意外に早く引き下がったなとか思ってるでしょ」
「おおおお思ってないよ」
「その挙動不審な態度で言っても説得力皆無」
バレているし、これ以上誤魔化しても利はないので「ちょっとだけ」と少しだけ嘘を混ぜて答えた。
「まぁ、いいよ。別に私も急いでいる訳じゃないから。しばらくは既存の脚本でどうにかなるし」
「そうなんだ」
「そうなの。来年の夏前くらいには用意しなきゃだけど、筆が乗らないと1文字書くのに1日かかるから。今のうちにって思ってただけ。おふたりのデートの邪魔をする気はないので安心して、ブルーノさん」
「それなら早くどこかへ行ってくださいませんか」
言葉の一つ一つに無数の刺があるかのような言い方に、私は慌てて「わ、私達この後お店予約してるから、心配になったみたい」と印象が悪くならないようにカバーした。
「ごめんごめん。じゃあ、またね」
気を悪くした様子はなく、カーラは笑顔のまま駆け足で劇場から出ていった。
取材の時に話したくらいだが、悪い人ではないようだ。今度、なにか聞かれるかもしれないが、付き合ってもいいだろう。脚本の参考にされるくらいで実害は無さそうだし。
「嵐みたいな方でしたね」
「うん。押しが強いけど、悪い人じゃなさそうだし。ブルーノが良ければ、少しだけ私達のことを話してもいいかな?」
「……メイアが嫌じゃなければ」
「ありがとう」
私は交友関係が狭すぎるし、演劇同好会にも興味がある。今度は私から話しかけてみよう。
「でも、今は他の人のことは考えないでください」
「え?」
「俺とデートしてるんですよね。なら、俺の事だけを考えてください。今日の貴女の1番は俺にしてください」
ブルーノは両手を私の頬に添えて、上を向かせるように持ち上げる。その顔には神に祈りを捧げる人を思い起こさせる切実さがあった。
彼は多くの人から拒絶され不気味がられてきた。そのせいで人見知りなのかもしれない。だから知らない人と話して怖くて、私で安心したいのだろう。
昔、怖い話を聞いて眠れなかった時。母が私の手を握ってくれた。暖かな人の温度が恐怖をやわらげてくれた。私もブルーノを安心させてあげたくて、彼の手の上に自分の手を重ねる。
「わかった。じゃあもし、知ってる人に話しかけられたら一緒に逃げよう」
逃げる、という響きはこちらに非があるようであまり良くない気がしたが、他に言い方も思いつかなかった。というか巻き添えにするな、とか思ってたらどうしよう。ブルーノは優しいが、優しさにも限度はある。不安に思って、彼の反応を待つ。
「……本当にいいんですか?」
彼は声を震わせていた。ずっと欲しかったものを与えられた子供みたいな。万年赤点の人間が努力の末にテストで満点を取った時みたいな。願望を叶えて、歓喜に打ち震えるかのような声と表情に、私は首を傾げた。
そんなに大層なことを言ってはいない。それなのに彼の反応は過剰に思えた。でも否定をする理由もない。なので「うん、でもブルーノが話したい人がいたら、私に付き合う必要は無いからね。私が勝手に逃げるだけだから」と補足する。
「俺にはそんな人いないので、誰かに話しかけられたらメイアと一緒に逃げます。どこまでも、メイアとずっと」
何か嫌なことでもあったのかもしれない。一種の現実逃避の仕方かも。ならそれを指摘するのはやめた方がいい。
「そろそろ、お昼食べに行こうか」
「はい!」
朝のことが嘘だったみたいに、自然と私の手を握るブルーノ。その力がさっきよりも強く感じたのはきっと私の気のせいだ。




