617.会う約束
「ミリー!ねえ、レンさんから返事が来たの!」
「良いお返事をいただいたようですね」
「うん!思い切って書いてみてよかった!ミリーのおかげよ!」
ユリが注文していた書籍が届いたのでそれをミリーが持って行くと、すぐにユリのはしゃいだ声で出迎えられた。先日レンドルフが女性薬師を探している先輩騎士の妻にユリを紹介していいかと依頼して来た手紙に、ユリがレンドルフも同席して欲しいと返信していた。どうやらその件で、レンドルフから承諾の返事が来たようだ。
ここ最近、余程忙しいのかレンドルフの手紙は素っ気ない白い封筒と便箋ばかりだった。だがユリの手の中では、宝物のように大切そうに抱えられている。
「来週に個室のあるカフェですって。ねえ、この前注文したワンピース、間に合うかしら」
「お嬢様がお望みならば、いくらでも急かせますよ」
「そんな無茶は言わなくていいのよ」
ユリの立場は王家の次に高い身分とされ、資産も把握出来ない程莫大であると言われるアスクレティ大公家の直系であるので、その気になればワンピースなど当日中に持って来させることも出来る。が、ユリの感覚では、無理強いを通すようなことは好まない。
それは彼女を陰謀渦巻く魔窟でもある貴族社会から距離を取らせたいという、祖父レンザの願いでもあった。ユリ自身も、血筋だけで大公家を継ぐのは無理だと分かっているので、ありがたく社交もせずに望みの生活を送らせてもらっている。将来的に大公家から出てどんな身分でも暮らして行けるように、敢えて使用人達にも距離の近い下位貴族にありがちな態度で接するようにレンザからも命じられているので、ユリはあまり高位貴族特有の思考にならない。
「あのワンピースなら、この髪留めが合うかしら?でも全身レンさんの色って引かれるかな」
先日注文したワンピースは、白い生地にピンク色のシフォンを重ねた花を思わせる柔らかな印象のものだ。それを見たユリの脳裏には、花と言うよりも薄紅色で柔らかな髪質のレンドルフのイメージしかなかった。合わせる髪留めは、ユリがきちんとコレクションのようにケースに並べているレンドルフからの贈り物入れの中から選び出す。最初に手にしたのは、クロヴァス家の家門の色を思わせる深い真紅から、少しずつグラデーションを付けるように淡くなって行く珊瑚玉の並んだ髪留めだ。一番色の淡い珊瑚は、レンドルフの髪色に近い。
「あ、でもいつもの姿じゃマズいかも…」
ふとユリは、あの研究施設に務める自分とレンドルフが繋がりがあることを周囲に知られないように、中心街で会う時は変装していたことを思い出した。
ユリが所属している研究施設は、大国キュプレウス王国との共同事業だ。余程のことがない限り近隣国以外と外交をしない彼の国は、どの国からも繋がりを渇望されて止まない。だからこそその研究施設との繋がりは、オベリス王国の貴族には喉から手が出る程価値のあるものなのだ。
しかし、元々キュプレウス王国との共同事業に至ったのは、主導して進めたアスクレティ大公家が中枢政治とは最低限の関わりしか持たず、権力欲の薄い家風であったことが大きい。だからこそ、甘い汁に群がるような権力者からは徹底的に近寄らせずにいる方針を貫いている。
それでも少しでも利権にあやかろうと、ユリと親しくしているレンドルフを狙う者まで現れた。その為、周囲にはユリとレンドルフの縁は切れたように見せかけて、ユリが変装してレンドルフと会うようにしていた。
「だからこその個室の予約なのではありませんか?」
「そうかな…一応、レンさんに確認してみるわ」
変装した姿は三種類あるのだが、そのどれもが新調したワンピースは似合わない。ユリは少しだけ肩を落としながら、レンドルフに確認するべくミリーにレターセットの準備を頼んだのだった。
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「アナ様の記憶には、王都壊滅、国土半壊エンドの経緯はどのように?」
「そ、その…はっきりとは覚えていないのじゃ。バッドエンドにならぬように攻略本を読み込んでおったからの。おそらくプレイしてはおらぬ。ただ、ざっくりと全部読んではいたから、ユリがそれを引き起こした、というのはぼんやりと」
「ユリシーズは、ただ愛情が欲しかっただけなんです!愛とか恋とかそういうんじゃなくて、もっとこう…人として?とにかく、誰かからの愛情…いや、それよりももっと浅くてよかった。ただ人として尊重…普通に接して欲しかっただけだったのに寄ってたかって蔑ろにし続けて最終的に善悪の区別も付けられない程に壊れてしまったんですよ!」
思わず前のめりになってニーノは早口で力説していた。その勢いにアナカナは一瞬目を丸くしたが、一切引いた様子は見せないでいた。アナカナの記憶にはないが、その熱い様子にどこか懐かしいものを感じていた。心の深いところで、ヒラリと温かいものが触れて行った気がしたのだ。
ニーノは前世がユリシーズ最推しだった。画面の向こうの彼女に肩入れし、どうにか幸せになれる道を必死に模索していた。転生以後は多少記憶が曖昧になっている部分はあっても、頭の芯が熱を持つような感覚だけははっきりと覚えている。
そして今世でようやく見付けたユリは、ゲーム内では見せたことのない笑顔ではいたが、どこかそれは固く、服は粗末で手は荒れていた。虐げられていた貴族令嬢という設定であったので、ゲームとは形は違えどこうして働かされているのは虐げられている証だろうとニーノは思い込んだ。けれどそのぎこちない笑顔と可憐な姿は画面越し以上に鮮烈で、ニーノはどうしようもなく惹かれてしまい、今世では絶対に彼女を幸せに導くのだと決意を固めた。
だが、今となってはそれは全て勘違いで、むしろ彼女には警戒されて距離を取られていただけだった。ニーノは今でも時折ベッドの中で、不意に思い出しては身悶えしていた。
「ええと、ユリシーズはエドワードに執着して、彼を玉座に就ける為に王位継承順が高い者を暗殺したとして処刑される訳ですが」
「その暗殺でわらわがナレ死するのじゃ」
「あ…そ、そうですね」
現在アナカナは、王位継承順第一位の王太子に次ぐ継承者だ。まだ暫定であって、同位に叔父エドワードと異母弟がいる。しかしエドワードを王にしようとするのならば、王太子だけでなく、王太子の長子アナカナは確実に邪魔な存在だ。ゲーム内では名前は出て来なかったが、候補者数名が暗殺されたとの記述が出る。どう考えてもその中からアナカナが外れることはなさそうだった。
このエピソードはアナカナも覚えていて、自分がゲームに登場することもなくサラリと死んだのだと転生後に知ってかなり絶望した。
「確か王族暗殺の罪で処刑される際、大公家の子飼いの者が各地に魔寄せの香をバラまいて疑似スタンピードを起こすのじゃったな」
「あとはヒロインがエドワードを選ばず、確率は低いですが政略としてガリヤネ国王女と婚約した場合に限り、辺境のスタンピードを起こすのがユリシーズに入れ替わります」
「ニーノがプレイしたバージョンはそうなのじゃな。わらわの方は、そこまで詳しく語られていたかの記憶はないの。自身の身と引き換えに禁術を使ったのを辛うじて覚えているくらいじゃ。実際に説明がなかったのか、わらわが覚えていないだけかは分からぬ」
だが、とアナカナは考え込む。
「そうなると、ユリが関わっている可能性はほぼないのではなかろうか」
以前ユリにエドワードのことをどう思うかと聞いてみたところ、それこそ歯牙にもかけない様子だった。何故エドワードの名を出して来るのか全く分からない、と言いたげな態度だったのをアナカナは覚えている。今のところ、偶然の一度の出会い以降ユリとエドワードが接触したという話も聞かない。
それに現実世界のユリは、大公家当主で祖父のレンザに溺愛されている。
アナカナが一時期、ほんの僅かな期間だが大公家別邸に身を寄せていたとき、ユリは使用人達にも愛されていた。それを体感しているアナカナからすると、ゲームのユリシーズのように愛情を求めても得ることが出来ず、やがて闇落ちした人物になるとは到底思えなかった。
「そうなんですよね。それに今のところクロヴァス辺境伯家からスタンピードの予兆という報告も入っていませんし。だから今回の地震はただの自然現象の可能性が高いかと」
「ううむ。ガリヤネ国王女はレンドルフに執着していなさそうで、ユリは大公家で大切にされている…呪いや禁術の出る幕はなさそうじゃな」
もしスタンピードの予兆の報せがあれば、騎士団から応援が派遣されるであろうし、その先陣を切って向かう部隊の中にレンドルフが入るのは間違いない。アナカナもニーノも荒事からは遠い立場の人間だが、さすがに国内でスタンピードが起こるかもしれないという情報くらいは拾える。
それにレンドルフは王城内で変わった様子もなく、至極真面目に務めを果たしているのだ。
「一応、それでもガリヤネ国には注意しておいた方がよさそうじゃ。あの国は王家が腐っておるからの…あ!腐敗政治という意味じゃぞ!」
「それの他に何が?」
「ぉぉぅ…ニーノの世代ではひょっとして使わんのか…その、びーの、えるというヤツじゃ…」
「ああ!」
「知ってたんかい!」
「言われなきゃ気付きませんでしたよ。確かに今のガリヤネ国王は、見目麗しい少年や青年を集めたハーレムを持っているという噂もありますね」
あっさりと頷くニーノに、アナカナは妙に悔しそうな顔で口を尖らせたのだった。
ガリヤネ国王は、歴代好戦的な王が冠を戴くことが多い傾向にある。そうやって一時期は、この大陸一の大国キュプレウス王国に追いつくのも時間の問題とまで言われた程に国土を広げて来た。けれど急速に広がった分、それを治めるには元の国力が不足していた。特に国王は戦上手でも内政は得意ではなく、しかし他者に任せることを嫌って周囲は媚びへつらう者ばかりで固めた。その為、足元を掬われる形で奪った土地はあっという間に奪い返されて、ただいたずらに土地もそこに住む人々も無駄に疲弊させるばかりだった。
そして現王は周囲の情勢に合わせて戦を仕掛けるようなことは慎んでいるようだが、抑圧された残虐性が国内に向かっているとの評判だ。その証左として、ガリヤネ国は死刑が頻繁に執行されている。オベリス王国や、他国にも死刑制度は現存しているが、どちらかと言うと抑止力の意味が大きいので、執行されることは滅多にない。しかしガリヤネ国では、その数は数十倍にも上ると言われていた。しかも娯楽として人々に見せる為に、軽い罪状でも凄惨な公開処刑を行う。そういったことが常態化しているらしい。
「とにかく、しばらくはガリヤネ国に注意しながら静観かの」
「ですね。あんまり首を突っ込むと、大公家の暗殺者が問答無用で首を落として来そうですから…」
「そちは何故かユリの正体を知っている危険人物じゃからの」
「俺はただ推し活をしてただけの平凡な前世持ちですよ!」
ニーノは最後には矛盾だらけの言葉を泣きそうな様子で発しながら、自分の首を守るように手で押さえたのだった。
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レンドルフは朝から落ち着かない様子で、何度も袋の中を取り出しては確認して戻す、を繰り返していた。今日は一日休みの日なので、ユリにベルを紹介する日にしていた。
袋の中身は、様々な小物が大量に詰まっていた。刺繍のあるハンカチに、小さな石の付いた小物入れ、シンプルなリボン、携帯用の文具セットなど、どれも明らかにレンドルフが使うものではないサイズとデザインのものばかりだ。
これはレンドルフがユリと会えない間に、どこか出掛ける度につい買い集めてしまったものだ。ユリに呪詛のことを話す訳にはいかないが、少しでも無事を祈りたいという気持ちのせめぎ合いの結果、ちょっとしたお守り的な効果を期待出来るような品を買いあさっていた。だがさすがにこれはあからさまではないかと思い至り、それとは関係なさそうな小物を一緒に購入した結果、倍の勢いで増えて行ったのだ。
「全部だとさすがに重たいか…?だけど少しでも効果を上げたいし、でも妙に健康に気を遣っているのを怪しまれたくないし…」
他にも身支度を整えたものの、他の服の方がいいだろうか、荷物の出し入れのせいで少し汗ばんだので臭ったりしないだろうかなどと無駄にやることが多かった為に、結局のところ出掛ける時間になって慌てて全部詰め込んで寮を出ることになるのだった。
「ベルさん、お待たせしてすみません」
ベルとは王城の通用門を出たところで待ち合わせをしていたので、そこに向かうともう既にベルが立っていた。レンドルフも故郷の男性陣からの教えに従って女性を待たせないようにと時間前に向かったのだが、ベルがいたことで血相を変えて走って行った。
「まだ時間前なんだから気にしないで〜。実はオルトが出勤する姿が見たくて、一緒に来たの」
「え…じゃあかなりお待たせしたのでは」
「いいのいいの。私が勝手に早く来たんだから」
確かにベルの言うことはもっともなのだが、それでも何となく申し訳なく思ってしまうのはもはやレンドルフの習性のようなものだ。
「うふふ、良かった。レンドルフくんが元気そうで」
「ええと、俺はずっと健康ですよ?」
「ここのところ追い詰められた様子だったからね。でも、今日は表情が明るいわ」
「…そんなに分かりやすくて、大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ。今日は全然問題なし!」
改めて言われてみると、ユリのことは心配であるが今日会えることで心が浮き立っているのも事実だった。
「じゃ、今日はよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
ベルに少し強めに背中を叩かれ、レンドルフはその勢いのまま足を一歩踏み出したのだった。




