612.会えない人
「一度、ベルと会わせてもらえないか?」
レンドルフがユリと顔を合わせられなくなって、ひと月が経過していた。
王城内の図書室だけではなく、空いた時間に国立図書館にも足しげく通って呪詛についての資料を読み耽ったが、もともとオベリス王国は呪詛よりも魔法が発達した国なので大した資料はなかった。国内にも専門家は数名いるが、彼らを訪ねればレンドルフが呪詛に関して興味を持っていると誰かに悟られてしまう。それが巡り巡ってユリの耳にも入らないとも限らない。それに専門家ならばベルがいるのだ。しかしベルの方もなかなか芳しい結果は出ず、行き詰まっているような状況だった。
レンドルフはいつもと変わらない生活を心掛けているが、よく見ると微かに目の下にクマが浮き出ていて、気を抜くと表情にも疲れが滲むようになっていた。実際にはユリと出会う前の生活に戻っただけなのだが、今思うと一体どうやって毎日を過ごしていたのだろうといちいち考え込むばかりだった。
別にユリに会うことは禁止されている訳ではないので素知らぬ顔をして会えば良いと思う反面、顔を合わせてしまえば平静でいられる自信がなかった。
そんなレンドルフを見兼ねたのか、再びオルトが部屋を訪ねて来てそんな提案をしたのだった。
「ですが…」
「相手が誰であろうと絶対に他言はしないし、レンドルフへの態度を変えることもない。たとえお前の大切な人が人妻でも未成年でも」
「それはないです!」
慌てて否定するレンドルフに、オルトはまあまあと宥めた。
「ベルが見ればどんな呪詛なのか、どの方向から呪詛返しが来ているか、手掛かりが得られる可能性が高い。会って話すことが出来ればもっと情報が拾える。だから教えてくれないか?偶然を装って会えるような相手か?」
「……キュロス薬局に、います」
「あの金髪の?」
「いえ、黒髪の。滅多に表には出て来ませんが、他に人がいない時に訪ねて行くと会えるので…」
「ええと、それは…」
そこまで聞いて、オルトはレンドルフにまつわるかつての噂を思い出して妙な味のものでも飲み込んだかのような顔になった。
今はすっかり鳴りを潜めているが、薬局で受付を担当している二名の職員の内一名にレンドルフが懸想し、距離を詰め過ぎて完膚なきまでに振られたという噂があったのだ。そしてその後レンドルフは複数の女性と付き合っているという目撃情報が流れて、一時期は呆れた目と羨望の眼差しを向けられていた。けれどその相手全員に対してどこまでも実直な態度を崩さないレンドルフに、周囲は「そういうこともあるか」と納得しつつあった。
ユリの務めているキュロス薬局は、キュプレウス王国との共同事業の研究施設の一部である。王城の使用していない敷地を買い上げて、施設はキュプレウス王国主権の治外法権を認めさせていた。キュロス薬局は王城と施設を繋ぐ外交窓口のような存在で、これまで王城内の薬局が遠く不便だった為、そこに設置することで王城との摩擦を多少の緩和をさせる目的があった。
キュプレウス王国は、この大陸だけでなくおそらく世界一と言われる大国で、全てを自国で賄える為に殆ど外交をしない。だから国力が大幅に低いオベリス王国が共同事業を行えるのは奇跡に近かった。この施設はオベリス王国の王侯貴族にとって垂涎の的であり、少しでも繋がりを持ちたい者は多い。
その為、ユリと親しそうなレンドルフが狙われたことがあり、それ以降は薬局の受付の女性には避けられて縁は切れていると噂を流し、中心街でユリと会う時は彼女が変装するようになったのだ。
そのことをオルトにかいつまんで説明すると、彼は更に複雑そうな顔になって行った。
「じゃ、複数の女性と付き合ってるって話は」
「全部、同じ相手、です」
「なるほどなぁ」
耳まで赤くなりながら俯いてボソボソと話すレンドルフに、オルトはそんな状況ではないと分かっていながらも口角が上がってしまいそうになるのを堪えるのに苦心していた。
随分と荒唐無稽な話ではあるが、レンドルフの性格を鑑みれば複数の女性と同時に付き合っているというよりもずっと説得力があった。
「でもその黒髪の女性の方は前にチラリと見かけたが、ベルより小さいよな?レンドルフよりそっちを狙うべきだろうが…って、例え話だ!ごく一般論としての感想だって!」
明らかに強そうな男性よりも小柄な女性を狙う方が有り得るだろうと思ってオルトが口に出したが、一瞬レンドルフから剣呑な空気を感じたので慌てて付け加えた。レンドルフも無意識にそんな空気を出してしまったことに気付いて、すぐに軽く頭を下げた。
「あの、彼女は優秀な人ですが、あの施設では助手の立場です。もし彼女を攫ったとしても、得たい情報を知っているとは限らないし…それに、あの施設の職員は全員大公家の庇護下にある筈です」
「ああ、大公家を敵に回す割には得るものは不確定、ってことか。だが、お前を狙うのも一筋縄にはいかないだろう」
「確かに大人しく捕まるつもりはないですが、絶対にないとは言い切れないです。それに、例えば人質交換と言われたら…従うと思います」
「まあ…そうだろうな」
もしユリを攫ったならば、レンドルフだけでなく大公家が犯人を追うだろう。しかも大公家が本気を出せば、実行犯との繋がりの痕跡をいくら消しても必ず黒幕を突き止める筈だ。そんな危険を冒すより、物理的な部分で苦労はするだろうがレンドルフを押さえてしまえば、欲しい情報を持ち出すように交換条件を出すことが出来る。レンドルフを狙った相手は、ユリ自ら動いてもらう方が成功率は高いと判断をしたらしい。
もし失敗したとしても、その場合はレンドルフを消してしまえばいいのだ。実家のクロヴァス辺境伯家も高位貴族ではあるが、王都から遠い上に中央の政治基盤はほぼ無いに等しい。それに後継でもない成人した当主末弟ならば、家門にとってもさして価値はないと思われても不思議はない。
ただ、それはごく一般的な貴族家の考え方で、家族に愛されている末っ子に万一のことがあれば北の赤熊一族が只では済まさないだろうが。
「本当は俺が変装しようかと思ったんですが、この体格なので。そこで彼女の方が変装すると言ってくれて、それで三パターンを」
「それ、一つだけで良かったんじゃないか?」
「何だか楽しそうだったので、いいかなぁ、と。それに、彼女に一方的に負担を掛ける訳ですから、楽しんでもらえるならそれで」
ずっと俯いて喋っていたレンドルフが顔を上げると、もう隠せなくなっていたオルトの笑い顔に怪訝な顔をして首を傾げた。
「あの…オルトさん、今の話に笑う要素ありました?」
「いや、すまん。お前らしいなぁ、と思ってしまって」
「俺らしい、ですか?」
「フラれてヤケになったせいで同時進行で複数を侍らせている、って噂になっただろ。全くレンドルフにメリットがないのに、当の本人は恋人優先で気にも留めていないんだからな」
「こっ…!?」
オルトに恋人認定されて、レンドルフは否定しようとして言葉に詰まってしまう。慌てたせいでまるでニワトリのような声が漏れてしまい、ますますオルトは笑いが止まらなくなって、レンドルフは更に真っ赤になって行ったのだった。
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ユリは朝から別邸の調薬室に籠って、入手した薬草の成分はそのままで粉々にする為に、せっせと強化したガラス瓶の中に氷魔法を掛けていた。
この瓶詰めの薬草の有効成分は、非常に熱に弱い。抽出するには粉になるまで砕く必要性があるが、乳鉢などですり潰すだけでもその摩擦で変質してしまう程だ。
その為、氷の魔石などで乳鉢と乳棒を冷やしてすり潰す、或いは高価な魔石が手に入らない薬師は冬場に外で作業をするなど、結構な苦労が付随する作業だ。
幸運にもユリの属性魔法は風と氷で、この作業をするのに非常に相性が良い。簡単にヒビが入らないようにように強化の付与を掛けたガラス瓶に薬草を詰め込み、その中に氷魔法を放って完全に凍らせてから、瓶の中で小さな竜巻を作り出して粉々にするのだ。
「やっぱり、上達してる」
あっという間に瓶の中身を細かい粉末状にしたユリは、瓶を目の高さに掲げて振ってみた。以前ならば、多少水分が残っていた為に瓶の側面に少し粉がへばり付いていた。けれど今の状態は完全にサラサラとした状態で、すぐに底に落ちる。これはもうこれ以上ないくらい最高の状態になっていた。
「これは、レンさんのおかげね。うん」
ユリはレンドルフの為に、様々なスープを携帯食として遠征に持参出来るように日々ひたすら粉にしまくっていたのだ。栄養価が高く日持ちがするようにだけでなく、それこそ作りたてにも引けを取らないくらい味の良いものに拘った。遠征時に多少温い湯でもきちんと溶けて口当たりが良くなるよう、均一な粉末状を心掛けていた。
そうやって一年近く携帯食の試作を繰り返していたおかげで、ユリの粉砕技術は大幅に向上していたらしい。
「ここまで上手く出来てると、ギルドでも多く買い取ってもらえるよね。もうちょっとミス兄達に追加で採取して来てもらおうかな」
エイスの街に隣接する森への魔獣の定期討伐は、もう終盤を迎えようとしていた。ここ数年はユリもミスキ達のパーティ「赤い疾風」に同行して、回復薬や麻痺粉などの提供と引き換えに薬草採取の協力をしてもらっていた。昨年はそこに長期休暇中のレンドルフも参戦して、約一月間ほぼ毎日のように一緒に行動していた。
今年はレンドルフは騎士団の任務を優先しているので、さすがに参加はしていない。そしていつもの形でユリは参加予定だったが、「赤い疾風」のリーダーでもあるタイキがユリに対して謎の拒絶反応を示した為に今年は不参加にしたのだ。
地震の直後に倒れてから不調が続いていたタイキが、ユリと顔を合わせた瞬間に攻撃態勢に入った事件があった。それは身を呈してタイキの母ミキタと兄ミスキが止めたおかげでユリは無傷だったが、その後もユリと顔を合わせる度にタイキは自信の能力を制御出来ない状態が続いていた。
最初は意識が飛んでいた為に覚えていなかったが、その後はユリに対して思うところはないのに無意識に体が臨戦状態になっていたのだ。タイキは竜種の血を引いている為、攻撃と防御の両方を兼ねる強靭な鱗を体表に纏うのだが、ユリの前に出るといくら止めようと思ってもその鱗が出現してしまう。タイキ自身は必死に止めようと思っていても、全く制御出来ない症状だった。
その為ユリの安全を考慮して、今回はユリの希望する薬草をなるべく優先的に採取するという契約を取り交わして同行はしないことにした。
今の定期討伐期間は他の地域や他国からの冒険者達も多く来ているので、基本的にユリは「赤い疾風」のメンバー達と一緒でなければ森には立ち入らないようにしている。レンドルフがいれば、どこかに出掛けることもあるが、今は任務中で身動きが取れない。
結果的にユリは、大公家別邸と王城に隣接する研究施設を行き来するだけで大分暇を持て余していた。
「このままタイキの専属契約も終わりかな…」
タイキは異種族の血が入っている為、通常の人族用の薬が効かない。タイキに限らず、獣人や亜人種などにはよくあることなので、彼らは薬師ギルドから紹介されたり個人の伝手などで専用の薬を調薬してくれる薬師と専属契約を結んでいることが多い。
これは正式な薬師に頼むことが多いが、薬師見習いでも扱える範囲の薬草であれば契約を交わすことが出来るし、その分も加味して安価で調薬代が済むこともあって、見習いにもそれなりに需要がある。
ユリは別に金銭的に困っている訳ではないが、祖父レンザが薬師を目指すユリの為に経験を積ませようとお膳立てしてくれた専属契約だ。この国ではこれまでに見つかったことのない竜種の血統ということで手探りな部分もあったが、それでもこれまでにタイキとはきちんと関係を築いて来た。しかし今は傍に近寄って顔色を見ることも出来ないのでは、役目は果たせない。
「せめてこっちから、辞退の申し出をしないとね」
いくらユリと親しくなったとは言っても、大公家に後ろ盾になってもらっている彼らからすれば、やはり気まずい思いをしていることはユリも分かっている。それならば、大公家側のユリから辞退を言いだすことが正しいことだと考えてしまうのだ。
ユリはポツリと寂しげに呟いて、手にした薬草粉末の瓶をもう一度ユラリと振った。
「そうだ!春の野菜は苦味が少ないから、それで緑の粉末スープを作ろう!見た目よりも味と栄養優先で!」
野菜を中心にすると真緑のスープが出来てしまうので、見た目で忌避されることは多い。けれどレンドルフならば必ず口にしてくれることは分かっているので、味さえ良ければ気に入ってくれる筈だと確信していた。
ユリは切り換えるように勢いよく立ち上がって、野菜の在庫を確認する為に厨房へと向かったのだった。




