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縁遠い護衛騎士と悪縁寄せ令嬢の幸運なご縁  作者: すずき あい


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閑話.元夫婦の密談

ちょっと閑話が続きます。


朝のひんやりした静かな空気の中、湯の湧く音だけがやけに大きく響いていた。沸騰した湯を魔道具に注ぐと、フワリとコーヒーの香ばしい匂いが周辺に広がった。挽いた豆を通過して、下の器に透き通った茶褐色の液体が滴り落ちて、金属に似た音を立てた。


ミキタは一つ一つ丁寧にテーブルを拭いて回り、全てを終えて戻って来るとちょうど注いだ分が全て下の器に溜まっていた。


窓の外に目をやると、これから市場に向かう荷車が行き来していた。その数はまだ少なく、近隣の農家の足踏みペダルで動く滑車の付いた人力荷車が大半だ。もう少しすると、馬などに引かせた大型の荷車が郊外からやって来て、ようやく街が目を覚まし始める。


まだ微睡みのような時間をミキタは窓際に一番近いカウンターの席に座って眺めていたが、不意に立ち上がってカップを二つカウンターの上に並べた。


そのカップにコーヒーを注ぐと同時に、店の扉が静かに開いた。


「よっ、体調はどうだい」

「……酒は出さないよ」

「厳しいねえ。ま、こっちもまだ残務に追われてっからな。徹夜明けのコーヒーの方がありがてえや」


扉の向こうからヒョイと顔を覗かせたのはステノスだった。ミキタはニコリともしないで、スッとコーヒーが注がれたカップを滑らせる。ステノスは相変わらずヘラリとした笑みを浮かべながら、遠慮なくカウンターの椅子に腰を降ろした。歩く時は殆ど音はしないのだが、古い椅子はステノスの体重を受け止めてギシリと軋んだ音を立てた。


「で?白状する気になったかい?」

「何のこと?」

「アンタが小首を傾げても可愛かないんだよ」


ミキタはカウンターの中に置いてある椅子に座り、ティースプーンを片手に取る。先の丸いスプーンであるのに、妙な物騒さを醸し出していた。


「タイキのこと。アイツがミズホ国の生まれだって分かってたんだろう?」


口元は笑っているが、ミキタの目は明らかな殺気を含んでいて、スプーンの先をステノスの眼前に構えた。


「一体何の…」

「正直に言わないと、目ん玉かじくり出すよ」

「お前が言うと洒落になんねえんだよ」

「洒落じゃないからな」


いよいよミキタは口元の笑みまで消して、ステノスは降参とばかりに両手を上げた。ささやかな抵抗として、椅子の背もたれに目一杯体を押し付けて距離を取ったが、カウンターなので大差はなかった。


「あー、確信はなかったが、ひょっとしてとは思ったよ」

「いつからだい」

「あの坊主が竜種の血統って情報を知ってから…って、確信はなかったって言ってるだろ!」


ステノスがそう白状した瞬間ミキタが容赦なくスプーンを突き出して来たので、ステノスは慌ててそれを手で止める。


「あの女が来て、そこでようやく、なんだって!第一、竜種って言われたら距離的にはガリヤネ国の生まれだと思うだろーが。お前さんだってそう思ってたんだろ?」

「…まあ、そうだね」


必死に言い募るステノスの言葉に、ミキタは納得したらしくスッと後ろに下がった。ひとまず命の危機は脱して、ステノスは全身で息を吐きだす。


「懐かしいな〜。宝物庫で敵と味方で出会って、その場で求婚した日のこと。まるで舞台にでもなりそうな出会いじゃねえか」


ステノスはコーヒーを一口啜って、昔に思いを馳せながらミキタの顔を眺めた。それなりに年齢を重ねて若い時の尖った鋭さはなくなったが、だからと言って完全に刺がなくなった訳ではない。むしろその刺を上手く隠すようになったので、色々な意味で目を離せなくなっている。


「あの時の雰囲気だけは男前だったヤツはどこに行ったんだか」


視線に実体があれば確実に腹を貫かれていたであろう鋭い目で、ミキタはステノスの腹回りを睨んだ。若い頃から比較的肉付きの良かった部位だが、加齢とともに加速度的に重厚感が増している。ステノスはそんなミキタの視線を涼しい顔で受け流すかのように、自分の腹を軽くポンポンと叩いた。


「ここン中にちゃーんといますよ?」

「じゃあかっ捌いて取り出してやろうか」

「だからソレを向けるなよ!」

「ただのスプーンだろうが」

「アンタはそれでも出来そうだから怖いの!」


今度はミキタがステノスの腹に向かってスプーンを向けたので、ステノスは慌てて両腕で腹を庇った。



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かつてミキタは傭兵団を率いる頭目を務めていた。ステノスはこの大陸に渡って来て数年の頃で、ようやく言葉に誤解がなくなって来たおかげで個人で護衛などを請け負って生計を立てていた。

その二人が出会う切っ掛けになったのは、ステノスがガリヤネ国の貴族に雇われていた時に、その貴族の屋敷を襲って来たのがミキタ率いる傭兵団だったことだ。


その貴族は手段を選ばずに収集した宝物と共にあちこちから恨みも集めていて、ステノスも契約だったので護衛はしていたが大分やる気はなかった。

ミキタはその貴族に騙されて奪われた家宝を取り返して欲しいと依頼を受けて、そのついでに悪事も表沙汰にしてやろうと貴族の屋敷に攻め入った。


貴族は事前に多くの護衛を雇ってはいたが、その人柄からか誰もがやる気がなく烏合の衆状態だった。対してミキタの傭兵団は王族に仕える騎士団並みの統制を誇り、護衛達をあっという間に蹴散らしていた。ステノスは適当なところで離脱しようと思っていたのに、何故かその気配を嗅ぎ付けられて貴族に張り付かれてしまった為に、隠し通路のあった宝物庫で二人は鉢合わせた。

扉を蹴破って駆け込んで来た若き日のミキタに、ステノスはその辺の転がっていた宝物の中で一番派手で大きかった宝飾品を掴んで、即座に跪いてミキタに求婚したのだった。


当然雇い主である貴族は猛然とステノスを罵って胸倉を掴みかけたが、ミキタから視線を外さないままのステノスの裏拳が顔面に決まってその場に倒れて動かなくなった。そして普段の二割増のキリリとした表情を作ってミキタを見上げているステノスにミキタの一切の躊躇ない右ストレートが決まって、今よりもずっと細身のステノスの体が見事な弧を描いて吹き飛んだのだった。



「あれで聖獣の花嫁様から直々にお言葉を賜ることになるとは、予言者もビックリだったな」

「聖獣様の花嫁、か。そんなこともあったねぇ」



ミキタは伸びている貴族を縛り上げて、宝物庫から依頼されていた家宝のティアラだけを奪還すると、そのままさっさと屋敷を後にした。が、片頬を腫らしたままステノスが後を付いて来て、いくら振り切っても撒くことが出来ずにいた。依頼を完了して数日、ずっと付いて来るステノスにいっそ始末して埋めるか、という意見まで出始めた頃、豪奢な馬車がミキタ達のところにやって来たのだった。


使いの者は家名を名乗らなかったが、身なりや帯同している護衛からして相当な身分であると察し、ひとまずは逆らわない方がいいと判断して言われるままに屋敷への招待を受けた。そして何故か当然のようにステノスも一緒に来る数に入っていた。


その先の屋敷には見るからに高貴な壮年の女性がいて、自身を「聖獣の花嫁」と名乗った。そして使用人が手引きして「聖獣(ウィアム)の鱗」を密かに売り捌いていて、その行方を探していたのだと告げられた。

ミキタとしては依頼されたのはとある貴族の家宝のティアラであったので思わず首を傾げたが、何とその時ステノスが持ち歩いていたずだ袋の中から虹色に輝く宝飾品が出て来て、それが探していた品だと言われたのだ。その宝飾品は、件の元貴族の宝物庫でステノスが出会い頭に適当に拾って、ミキタに求婚の言葉と共に差し出した品であった。どうやらどさくさに紛れて勝手にステノスが持ち出したらしい。


ミキタは自分の与り知らぬことだと言いかけたが、ステノスが「由緒ある品だと思われましたので、いずれの御方にお返しするため保管するよう彼女に申しつかっておりました」とシレッと言い放ったのだ。


おそらく「聖獣の花嫁」である彼女もステノスの口先だけの適当な嘘だと見抜いたようだったが、その剛胆さが却って心を捉えたらしく、相当額の報酬と数日間屋敷での歓待を受けることになった。

その間に彼女と幾度か杯を交わしたミキタは、戻って来た「聖獣(ウィアム)の鱗」を愛しげに撫でながら、彼女から色々な話を聞いた。


始まりは定かではないが、ガリヤネ国はこの大陸では最も古い国と伝えられている。そのガリヤネ国にはウィアムと呼ばれている守護聖獣がおり、それは翼のある竜であり、ガリヤネ国の初代王に血を分け与えて加護と繁栄を約束したそうだ。しかしその約束は初代王の有していた国土以上には効果がない為、いくら戦で国土を広げても約束のない土地は貧しいままで、却って国庫を圧迫した。

現在も初代王の時に比べれば倍近い国土の広さではあるが、要は半分負債を抱えているようなものなので、守護聖獣を有している割に周辺国からは頭抜けることが出来ないでいるらしい。


そして後に出来た風習らしいが、ウィアムには王家の姫を花嫁として嫁がせるという制度が出来た。王家の血を引いていれば構わないらしいが、複数いる中からウィアムが指名をするということだ。

今の花嫁を務めている彼女は元王姉で、もう40年以上その地位にいるそうだ。子はいないので、次の花嫁を捜しているそうだが、ウィアムがなかなか彼女以外に興味を示さないらしい。


その彼女は口では「困った」と言いつつ、どこか嬉しそうな感情が見え隠れして、ミキタはずっと年も身分も上の彼女を不思議と可愛らしく思ったのだった。


本来ならば国家機密にあたるものまで聞いてしまった気がするが、ミキタはただの平民の傭兵だから問題ないと思われたのだろう。それにもしここで聞いたことをどこかに漏らしたとしても、普通に考えれば人知れず消されるか、本当に運が良ければ喋れないようにされて一命を辛うじて拾うかくらいだろうことはミキタでも分かっている。その分別があるからこそ話してくれたのは察していたので、ミキタは開き直って滅多に聞くことのない雲の上の人々の話題を楽しむことにしていた。


その後、ミキタと傭兵団が功績を上げた扱いになり、何故かステノスは傭兵団の一員として当然のような顔をして居座るようになってしまったのだった。



「ま、本当に聖獣様が竜だったかはともかく。代々王女を花嫁に娶るってんだから、子供が生まれてもおかしくねえってことだろ。だから俺はそっちが有力だと思ってたの!」

「…まあ、あたしもそう思ってたからね」

「だからこそ、あの三男坊を返さなかった。そうだろ?」

「何を今更偉そうなしたり顔してるんだい」


ガリヤネ国はオベリス王国と同じく王制ではあるが、こちらの国よりもずっと王の権力が強い。そして生まれついてなのか周辺に染まるのかは分からないが、ガリヤネ国の王は代々非常に好戦的で欲深い。そして残虐なことを好むため、周辺国に比べて圧倒的に処刑数が多かった。中枢にいる貴族達も王家の方針に染まり切っていて、定期的に行われる残酷な処刑を娯楽として見物しているという。


そんな王家でも未だに簒奪されたり粛正されたことがないのは、ひとえに「聖獣の花嫁」に選ばれるのが王族の血を引く者のみで、そのおかげで加護を得ているからに他ならない。


オベリス王国も死刑制度はあるが、深刻な人手不足の影響は未だに根深く、死刑にされてもおかしくない罪人も最期の瞬間まで国の役に立つような労役を課せられることが大半だった。死刑とどちらがマシかは当人達にしか分からない。


傭兵稼業をしていた頃にミキタ達もガリヤネ国で依頼を受けたが、余程実入りが良くなければなるべく避けたい国の一つだった。もしタイキがその聖獣と王家の姫の血を引く子であったと知られれば、間違いなく現王家に狙われて命が危うくなったであろう。ミキタは竜種の血統だと判明した瞬間から、その可能性を鑑みて絶対に渡してはならないと誓ったのだった。



------------------------------------------------------------------------------------



「で、ミズホ国の方はどうなんだい?」

「どうって何だよ」

「もしタイキが望むとして、国に返して幸せになれるところなのかい」


ミキタの言葉に、ステノスは少しだけ視線を彷徨わせた。その様子だけで、ミキタはミズホ国にもタイキの安寧はなさそうだと察する。


「前にミズホ国には皇王と天帝がいるって話をしたの、覚えてっか?」

「ああ。コウオウってのが政治をして、テンテイってのが信仰を司る神殿みたいな家門、ってヤツだろ?ミズホ国はその二つが混じらないような制度だとか何とか」


その昔、まだ統一された国という体裁が整っていない戦乱に明け暮れた時代に、大きな力を持つ天帝の一族が覇権を取ったかに思えたが、その当主があまりにも政治に向かなかった為に国が滅亡の危機に瀕した。その責を負わされて幽閉された天帝の一族は、その後皇王として国を治めた一門から政治的な権力から切り離されて、その強大な力を民の精神的支柱として信仰の対象に据えた。


「その天帝の一族ってのが、竜族だ」


ステノスが声を極限まで落として呟いた言葉に、ミキタでさえヒュッと息を呑んで二の句が継げなかった。



「天帝の長は、竜神を父に持つ双子の竜姫(タツキ)だ。その竜神は、『創世記』に出て来る四頭の神獣の一柱だと言われている」

「まさか」

「その辺は本当かどうかは知らねえけどな。ただ、そう思われても仕方がねえくらい、人智を超えた力を持った姫君達だ。さすがに詳細は言えねえが」

「アンタは知ってるような口ぶりだねえ」

「知りたくなかったけど知っちまった…てとこだ。その辺は察してくれ」


昨夜ステノスは、「山鳥殿」と呼ばれるミズホ国の宰相の影武者をしていたと言っていた。それだけ国の中枢にいたのならば、知り得ることも出来たのだろうとミキタはそれ以上の追求を止める。


「そんで、皇王は七代ごとに竜姫と子を作るように定められる。その子は必ず次代の皇王になる」

「……どう考えても、タイキには向いてないね」

「そりゃ、お前さんとこで暮らす以上の最適解はねえさ」


程良く冷めたコーヒーをグイ、と飲み干して、ステノスはカップをミキタの方に滑らせる。ミキタは「褒めても何にも出ないよ」と言いつつ、そのカップに新しいコーヒーを注いだ。


「それに実際は皇王の子じゃねえ。……大殿…『山鳥殿』の子だ」

「…アンタの主人が姫を寝取ったてことかい?」

「いや。ああ…どうだろうな。大殿からすれば、狙ってたのかもしれねえし、後始末をしただけかもしれねえし…」


少しだけステノスは、口の中で自分に言い聞かせるかのようにブツブツと呟いていた。


「取り敢えず、もう大殿はこの世には居ねえ。もう理由は分からんが、ただ少なくとも寝取る寝取られるような男女の機微なんかは欠片もなかったことは確かだ。ありゃ人らしさ皆無のバケモンだ。よっぽどの覚悟がなけりゃ…いや、気でも触れさせてねえと抱けるもんじゃない」

「随分な言い草だね」

「触れた端から体が腐る毒の体なんだよ、竜姫殿は。ただし、種を貰えば必ず子を授かる。それも男だと決まっている」



遠い記憶の奥底から、ステノスはもう顔もはっきりと思い出せない当時の皇王を呼び起こす。腺病質でオドオドした様子は覚えているが、顔立ちは靄が掛かったようになっていた。七代ごとに竜姫と子を成す皇王は、成人してすぐに竜姫との新床で次代を継いで命を散らす。短命が決められているいわば捨石のような中継ぎの王だ。

ただ言いつけに従って流されるような皇王が、竜姫の閨を目前に雲隠れするとは誰も思っていなかった。万一に備えて見張りとして付き添っていた「山鳥殿」が見逃したとは思えなかったが、その場で身代わりになると宣言して寝所へ消えて行った彼の背を見送ったのがステノスだった。



「皇王が雲隠れしちまったから、代わりに大殿がお務めを果たした。ま、一応大殿も皇家の血が入ってたから、どうにか誤摩化せる算段だったのかもな」

「そいつが、タイキの父親だってのかい…?いや、アンタがこっちに来たのは30年は昔だろ。ミズホ国に戻ることもなかった筈だ」

「まあ聞けって。竜姫殿は、種を貰って数日で卵を産む。そんで約一年かけて魔力を注ぎ、孵化を促す。だが、産まれた卵を持ち出してこの大陸に持ち込んだヤツがいた。そいつも何を考えていたのは今となっては知りようもねえ」


これまで竜姫の卵が持ち出されたことは一度もなかった。盗もうと思えば出来なくもない状況ではあったが、神に等しい信仰の対象として崇められている相手に、そんな無体なことを仕掛けるなど誰も夢にも思わなかったのだ。


「それを実行したのが、お前さんの二番目の旦那であり、俺と同じ大殿に仕えていたランガだ」


ステノスはミキタの反応を伺う為に一旦言葉を切ったが、彼女は何らかの感情を押し隠しているようには思えたが、その内心はステノスには一切垣間見ることは出来なかった。


「これは俺の予測に過ぎないが、おそらく竜姫の魔力がなかった為に孵化に時間が掛かったんじゃねえかな。それこそ15年近くな。だからあの三男坊はまだ未成年って訳だ」

「……そうかい」


予想よりも静かな声がミキタから漏れた。その様子に、ステノスは少しだけ怪訝な顔になって片眉を上げる。


「大方、そのオオトノとやらの忘れ形見を側に置いときたかったんだろうさ」

「ああ…ランガ(アイツ)ならやりかねねえ」

「無表情のくせに、ロマンチストだったからね」

「よくご存知で」

「旦那だからね」

「妬けるねえ」

「言ってろ」


口調の割にミキタは妙に穏やかな顔で窓の外に顔を向けて、遠い目をして微かに笑った。ステノスは珍しく不機嫌そうな表情になって、残ったコーヒーを飲み干して銀貨を数枚カウンターの上に置いた。


「たまには奢ってやるよ」

「遠慮するぜ。それに乗っかると後が怖ぇからな」


カウンターから立ち上がり、ステノスは軽く片手を振った。そして店の扉に手を掛けたまま一度振り返る。


「ああ、このことは」

「言うわけないだろ。あたしを見くびるつもりかい?」

「違ぇねえ」


そう笑いながら、ステノスは今度こそ扉を押して人通りが増え始めた朝の街に消えて行った。



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ミキタはステノスが使っていたカップを流し台に置くと、今度は新しいカップを用意してコーヒーを注いだ。


「ミルクと砂糖はどうする?」


スッとカップを滑らせるように置くと、カウンター奥の階段のある場所からミスキが音もなく現れた。

ステノスが来てすぐに潜んでいたのは分かっていたが、敢えて声は掛けなかったのだ。おそらくステノスも分かっていただろう。顔を出したミスキの顔は、怒っているようにも泣きそうにも取れた。


「…どっちも」

「あいよ」


慣れた様子でミキタはカップにミルクと砂糖を追加する。いつもなら「自分でやりな」と砂糖壷とミルクピッチャーを差し出すのだが、何となく今日は入れてやりたい気分だったのだ。


スプーンでクルリと混ぜて差し出すと、ミスキは口の中で小さく「ありがとう」と呟くとミルク多めで少し温度の下がったコーヒーをコクリと一口飲む。それと同時に眉間に深く刻まれていたシワが少しだけ浅くなった。


「タイキは?」

「夜中に一回起きて、腹を鳴らしてたから軽食を食わせた。今はまだ寝てる」

「そうかい」

「あのさあ…」


ミスキは手に持ったままのカップの中のコーヒーがユラユラと揺れているのを、しばらく見入って口を噤む。口数の多い彼にしては珍しく、考えが言語化して出て来ないらしい。けれどミキタは急ぐことはせず、空になった自分のカップに半分程コーヒーを追加した。


「…前にさ、レンがユリに言ったらしいんだ」

「うん?」

「全て本当のことを話すことが、良いことだとも正しいとも思わない、ってさ。だから言いたくないことは生涯言わなくても構わない、って」

「まあ〜レンくんてば、器が大きいこと」


ミキタの軽口にミスキは乗る様子はなく、ただジッとカップの中で揺れる白褐色の水面を見つめていた。そして長い沈黙の後、ミスキがゆっくりと息を吐きだして呟く。


「父さんも、だから話さなかったのかな…」


ミスキの呟きに、ミキタは何かを答えようとして口を開きかけたが、また再び口を閉じた。


ミスキの父親はステノスだ。だが、物心ついた頃にはステノスは死んだと思われていて、ミスキが父と呼ぶのはランガ以外にいない。ランガは何事にも興味の薄そうな態度で、ミスキに対してもそこまで近しい様子ではなかったが、それでも冒険者としての基礎や心構えを授けていたのは確かだ。そしてミスキはランガによく懐いていた。それこそ、幼かった次男のユウキの世話に手一杯だったミキタよりも。


「さあねえ。あの人のことは、何年一緒にいてもよく分からなかったからね」

「そっか…」

「でも、薄情な人間ではなかったと思ってるよ」

「うん…」


どこか上の空のミスキに、ミキタは下げかけた眉をキリリと引き締めて、敢えていつものようにニヤリと笑い顔を作った。


「で、タイキが実は30ばかりの年上だと知ったアンタはどうするんだい?兄貴とでも呼ぶかい?」

「なっ…!そんな訳ないっての。タイキはまだ未成年の、俺の可愛い弟!」

「そうだね。そんであたしの可愛い息子だ。それでいいだろ?」


まだ冴えない顔をしているミスキの額をミキタは軽く指先で小突くと、残っていたコーヒーを一気に飲み干して、勢い良くカウンターの上にカップを置いた。その仕草は、まるで酒でも呷っているかのようだった。


それを見てミスキも、ようやく何かを吹っ切ったように笑みを浮かべたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


ステノスの過去にちょっと踏み込んだエピソードを入れました。厳密に言えば、ステノスと「山鳥殿」は異母兄弟なので、タイキはステノスから見ると甥っ子になります。

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