607.来訪と到来
「ちょいと邪魔するよ」
全てを片付けたのを見計らったかのように、店の扉が開いていつものように騎士服を着崩したステノスが顔を出した。そして中にいたクリューと目が合うと、ヘラリとした掴みどころのない笑みがヒクリと引き攣った。
「げ」
「失礼ね〜『げ』ってことはないんじゃない〜?」
「お前らがいるってことは、アイツらもいるんだろ。てっきりいつもの拠点にいるかと。いや、今はいねえのか」
「上にいるよ。だから痛い目見ないうちにとっとと有り金置いて帰りな」
「いや、言い方。どこの盗賊団の巣窟だよ」
ミキタはステノスが料理の買い取りに来たのだろうと、すぐに鍋と軽食を詰めた容器の入った袋をカウンターの上にドンと置いた。
ステノスはエイスの街の自警団をまとめ上げた功績を功績を評価されて、今は王城騎士団駐屯部隊の雇われ部隊長を務めているが、かつてはミキタの最初の夫であり傭兵上がりの冒険者だった。しかし依頼中にスタンピードに巻き込まれて、死んだという報告と共に僅かな遺品だけが戻って来た。
その後ミキタは幼い子供を抱えて女手一つで店を切り盛りし、やがて再婚したものの冒険者だった二人目の夫を亡くした後に、ステノスが突如フラリと帰って来たのだ。だがミキタの苦労を見て育ち、二人目の夫に懐いていた長男のミスキはステノスを蛇蝎のように嫌っていて、血の繋がりもなければ初対面だった末っ子のタイキも、兄を見習ってステノスを拒否していた。
ミキタもとうの昔に見限っていたので、戻って来たステノスに対しては常に塩対応で、時折激辛になる。それでも何となく腐れ縁で付かず離れずという奇妙な関係を続けている。
一応ステノスも子供達の気持ちを尊重するということで、定期討伐などでミスキ達が戻っている時期にはあまり立ち寄らないようにしていた。だが今回は立て続いている地震のために騎士や自警団などに無理をさせているので、彼らからも人気の高いミキタの店に直接料理を買い取りに足を運んだ。本格的な定期討伐が始まれば、ミスキ達は英気を養う為にミキタの元に足しげく通うが、まだ始まっていないので大丈夫だと踏んだのもあった。
結果的にその読みは大外れになってしまったが。
「ミスキが下りて来る前にさっさと失せな」
氷の溶けた自分のグラスに入れる為なのか、それとも別の目的があるのか、アイスピックを手にしたままミキタが剣呑な目をステノスに向けた。
「ちょ!その前に、客!客が来てるんだよ!」
「客?今日は店は開けてないよ。またの機会に」
「コメはないか?」
慌てるステノスの背後から、黒髪の女性が顔を出した。彼女は女性にしては長身で、平均的な身長のステノスの頭の上から目元が見える。
「あ、テンリさん」
「おお、ユリ嬢か。ここは酒場ではないのか?貴女のような少女がいるということは、ただの飯屋だったか?」
「ええと…私、これでも成人してます」
「何と!」
ステノスの後ろにいたのは、ミズホ国から人探しにやって来て、今はムラサキのところで世話になっているテンリだった。本名はミズホ国様式で姓を先に言うとテンカ・ユリなので、同じ「ユリ」だとややこしいので略して「テンリ」という呼び名にしたそうだ。
彼女はスラリとした細身の長身で顔立ちも整って美しいがどこか中性的な為、一瞬性別を迷う外見をしている。そんなテンリの目から見たユリは小柄で子供のように見えたのだろう。ユリは久しぶりに未成年扱いされたので、苦笑しながら訂正する。テンリは本当にユリを未成年だと思っていたようで、大きく目を見開いて驚愕の表情を浮かべていたのが妙に可愛らしく見えて、ユリとしても不快な気持ちにはならなかった。
「ここでコメが食えるってムラサキから聞いて、近所をウロウロしてたのを連れて来たんだ。ちょいと残ってねぇか?」
「ああ、ムラサキんとこで預かってる客人かい。コメか…まあ、ちょっとはあるけどね」
「是非お頼みしたい。貴国の小麦は美味だが、やはりコメ食わないと力が出ない」
「い、いや俺が吹き込んだんじゃねえよ!」
テンリの言葉にミキタがステノスに冷たい目を向けたので、ステノスは慌てて否定する。ステノスもミズホ国の生まれで、この大陸に渡って来てかなり長いのだが未だに「コメがないと力が出ない」と口にするのだ。ミキタにコメを出させる為にステノスが入れ知恵をしたのかと思われたのだ。
「今日は他の料理に使う為に、固めにしてあるんだよ」
クリームソースに混ぜ込んでコロッケにする為に、コメは芯が残るくらいに固めに炊いてあった。生ではないので食べられないこともないが、ステノスの好みを知っているミキタは、今残っているコメの状態がそれには程遠いことを知っている。それに新たに炊こうにも、タイミングが悪く明日に注文しておいたコメが届くので今ある分は全て使い切っていた。
「いっそチャヅケにするかい?あんたの口に合うかは分からないが、そのたるんだ男が何度も口うるさく注文したから、そこそこあっちの味に近いものは出せると思うよ」
「何という僥倖!しかしこんな麗しいご婦人の料理に文句をつけるなど、許し難い」
「待て待て待て!そこは感謝するとこじゃねえの!?」
「「どこが」」
ミキタだけでなくテンリにまで半眼で見られ、ステノスは「スイマセン…」とシオシオと背中を丸めてカウンターの端にそっと腰を下ろした。一見遠慮しているようで、ちゃっかり自分も食べて行くつもりらしい。ミキタはそれ以上は何も言わずに、溜息を一つ吐いてコンロの上に小さな鍋と焼き網を乗せた。
鍋の中で湯を沸かしてその中にユリから貰っている魚と海藻を乾燥させて粉にした調味料を入れ、更に遠征用にと試しに作っていた溶けない紙に包んだ茶葉を放り込む。今回選んだ茶葉は、発酵させないものを煎って香ばしさを出したものだ。
そしてそれが煮立つ間に、十分に温まった焼き網の上に干した白身魚の切り身を乗せた。これは干した時間が短く、表面は乾いているが中には水分が残っているのでホクホクした身と濃縮された旨味が味わえる。
少し固めのコメを深皿に盛って、その上に焼き上がってほぐした白身魚、刻んだネギとゴマを振り掛けて、その上から熱い汁を注いだ。ミキタの慣れた手際を、カウンター越しにステノスとテンリがキラキラした眼差して見つめていた。
「はいよ。熱いから気を付けるんだよ」
「かたじけない」
「少なっ」
「贅沢言うんじゃないよ。そもそもアンタはとっとと戻らないといけないんだろうが。嫌なら引っ込めるよ」
「いやいやいや、大変ありがたく存じます」
テンリには一人前にちょうど良さそうな大きさの皿だったが、ステノスの前にはその半分くらいのサイズの皿を置かれた。思わず心の声がそのまま出てしまったステノスに、ミキタはサッと皿に手を伸ばす。取り上げられては堪らないと、ステノスは大慌てでその小さな皿を抱え込んだ。これは残っていたコメの量が一人前くらいしかなかったのと、二階にいるミスキが下りて来てステノスと鉢合わせたら面倒なことになるので早く出て行ってもらいたかったのもあった。
「美味い…」
テンリは木の匙でチャヅケをそっと啜り、うっとりとした顔で溜息を吐いた。いつもは凛々しく精悍な顔立ちのテンリの頬が緩み、少し潤んだ目には匂い立つような色気が宿っている。しかしその色香が向かうのは、チャヅケである。
彼女は無言で熱さもものともせずモリモリと食べだしたので、どうやら口に合ったらしいとミキタは少し安堵の笑みを漏らす。それから追加で良い漬かり具合になっていたヌカヅケを小皿に乗せてテンリの前に差し出した。テンリは口をモグモグさせながら、ミキタに向かって目を見開く。口の中に入っているので喋れないが、その顔だけで驚きと喜びに満ちているの分かる。
「いいよ、好きなだけ食べとくれ」
「……ありがとう」
テンリは躊躇なくヌカヅケを口に放り込んでポリポリと良い音を立てて咀嚼し、立て続けにチャヅケの汁を啜った。この国では貴族は音を立てて汁を啜るのはマナーが良くないと断じられるが、平民はそこまで煩くはない。特に荒くれ者と言われることもある冒険者などは、「熱くて美味いものを悠長に食ってられるか!」という風潮なので珍しいものではない。
ふと視界の端で、ステノスが妙にウルウルした目をミキタに向けていたのに気付いた。ミキタは小さく舌打ちをして、漬かり過ぎてシナシナになったヌケヅケの端の部分を皿に乗せてステノスの前に滑らせる。ステノスはそんなヌカヅケもそれはそれで喜んで食べるので、嫌がらせにはなっていないのをミキタも承知している。案の定ステノスは満面の笑みでヌカヅケを自分の前に引き寄せた。
「そいつを食ったらとっとと出て行きな。ああ、テンリさん、だっけ。あんたはゆっくりして行きな」
「へいへーい。分かってますよ〜」
すぐにヌカヅケを完食すると、ステノスはカウンターの上に金貨を二枚置いた。これは買い取る料理の分も含めてだろうが、それでも少し多めだった。けれどそれはいつものことなのでミキタは遠慮なく受け取る。
ステノスとミキタの間で、息子達がこの店で食べた分の代金と、パン屋を営んでいる次男への店への仕入れ代金を全てステノスが持つと約束を交わしているのだ。それが行方不明になっていた間に苦労を掛けた妻子への慰謝料だとステノスは主張している。
「ご馳走さん。じゃこいつは貰って…」
「何しに来た」
ステノスがそう言って腰を上げると同時に、カウンターの奥の二階に続く階段から地を這うような声が遮った。
「や…やぁ、元気そうだな」
「何しに来たって聞いてんだ」
「い、今帰るとこデスヨー」
階段を降りきったところに、昏い目をしたミスキが立っていた。普段は温和な笑顔と飄々とした態度で腹黒さを隠しているミスキだが、今はそんな気配は欠片もない。パッと見はあまりミキタに似ていないミスキだが、こうした威圧を出す時はやはり親子だと周囲を納得させた。
敵意を向けられているステノスはいつもヘラヘラとして掴みどころがない人物だが、不思議と人の心を掴むのに長けていて、中年太りの体型からは想像も付かない程に剣の腕が立つ。彼が本気になったところを見た者はあまりいないが、視線一つで店に来る荒くれ者を制圧するミキタの元夫であるという事実だけで一目置かれている。
実際に衝突したことはないが、ステノスとミスキが本気でやり合ったらおそらくステノスの方が勝つだろう。しかしステノスは最初から息子とぶつかる気はない。
ステノスは気まずそうな様子で肩を竦めると、カウンターの上に置いてある持ち帰り用の料理に手を伸ばした。
「すげぇ、良い匂いがする…」
コトリと音がして、ミスキの背後から細くて背の高い人影が姿を現した。
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誰にも会わないように、レンドルフは王城内の団員寮の自室に戻って来た。通用門にいる門番とは顔を合わせるのは仕方ないが、幸いにも顔見知りでなかったことに胸を撫で下ろした。今のレンドルフは、知り合いと顔を合わせても作り笑いも出来る気がしなかったのだ。
部屋に入って灯りを点すと、カーテンを閉めて行かなかったので真っ黒な窓ガラスに自分の姿がくっきりと映った。色合いの沈んだ姿でも明らかに顔色の悪さが目立ち、思わずレンドルフは微かに乾いた笑い声が漏れてしまった。しかしその表情は笑顔とは程遠く、ひどく引き攣ってまるで泣く寸前の顔に見えた。
「これじゃ、ベルさんにも言われる筈だ…」
こんな状態でユリと会っては、確実に何かあったと思われるだろう。その理由を聞かれても絶対に言えないと言い張れば、ユリのことだからそれ以上は追求しないでくれるだろうが、心配をかけてしまうことは避けられない。
そんな自分の顔を見ていられなくて、レンドルフはすぐにカーテンを引いた。
そしてそのまま上着も脱がずにベッドに腰を下ろす。少し勢いを付けて座り込んだので、レンドルフ用に特に頑丈に作らせているベッドが一瞬悲鳴のような軋む音を立てた。
「…っく」
誰にも見られない場所に来て気が緩んだのか、レンドルフは肺の奥から引き絞られるような感覚が込み上げて来ると同時に、目からボロボロと涙が零れた。
両手で顔を覆うと、閉じた瞼の裏にユリの面影が浮かぶ。何かを真剣に吟味している横顔、心配げに見上げて来る視線、食事を頬張って思わず零れる笑み、そして一番多い楽しげに真っ直ぐに向けて来る笑顔。それらが次々と浮かんで来ては、楽しかった筈の一日が一瞬で絶望に変わって胸が締め付けられる。
(落ち着け。泣いていても解決しない)
必死に言い聞かせているが、それとは裏腹に涙が止まらず指の間を伝って床に水滴が落ちる。ジッとしていられない程の焦燥感はあるが、あまりにも漠然とし過ぎていてどうしたらいいかも分からない。それに調べようにも、今日は図書室は開いていない。今のレンドルフには出来ることはほぼなかった。
どのくらいそうしていたかは分からなかったが、ふと窓の方からコツリと小さな音が聞こえて来た。おそらく伝書鳥だろうとレンドルフは反射的に手を翳しかけたが、時間的にユリからだろうと思い当たって一瞬動きを止めた。
けれどその動作が手紙を受けるものと判断されたのか、カーテンの向こうからスルリと青い鳥を模した伝書鳥が入って来て、レンドルフの手の上で封筒に変わる。
淡い緑色の封筒に、少しだけ右に流れるユリの字で書かれた自分の名が目に入る。その上に涙がポツリと落ちてインクが僅かに滲んでしまい、レンドルフは慌ててベッドの上に置いてから顔を拭くために洗面所に駆け込んだ。
洗面所に設置されているレンドルフの身長に合わせた鏡を覗き込むと、我ながら酷い顔をしていた。急いで顔を洗って再び鏡を覗き込んでも、大差がないように感じられた。
「返事…書かなきゃな」
まだ涙が容赦なく滲んで来るので、レンドルフはタオルを首に掛けたまま足を引きずるようにして部屋へと戻って行ったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
テンリは「519.異邦人と来訪者」から登場します。




