606.いつか言われた言葉
「もう今日は店は開けないで、ジャンジャン酒を呑んじまおう!」
「わぁ〜ミキティカッコいい〜」
ゴロゴロと床に転がった酒瓶を使っていないテーブルの上に拾い集めて、ミキタは宣言するように言い切った。その姿に、クリューが小さくパチパチと拍手を送る。
「ミキタさん…ごめ」
「おおっと、それは言いっこなしだよ。どうせ今夜はこれ以上は営業も出来なかったろうさ。それに、他に客がいなかった分、片付けも楽で良かったよ」
「そうじゃ。ミキタのミスなんじゃから、ユリちゃんは気にせんでいいぞ」
割れてしまったグラスの破片を箒で集めながら、バートンはククッと笑いを堪えるようにしていた。滅多にないミキタの失態がツボに入ったらしい。それでもユリはすまなさそうに眉を下げて、倒れてしまった椅子などを店の端に寄せる。
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今日は夜の営業の開店直前にユリとレンドルフが訪ねて来たので、そのままいつもの流れで料理を提供したのですっかり開店した気になってしまい、表の看板を「オープン」にしておくのを忘れたのだ。そしてレンドルフが帰ってから薬草採取を終えて戻って来たミスキとバートンに指摘されて、ようやく誰も客が来なかった理由に気付いたのだった。
だがすぐに看板を変えようとした瞬間、体が浮く程の衝撃が襲い、全員が床に投げ出された。キッチンの棚から酒瓶が幾つも転がり落ち、そのうち一本がカウンターの上を転がって、置いてあったグラスを砕いてから床に落ちてこちらも砕けた。
ユリは何とか体を起こして、テーブルの下に潜り込んでソファ席に縋り付くようにしがみついた。いつもレンドルフが座るソファ席は壁に固定されているので、そこに掴まっていれば体の軽いユリが放り出されることはない。ミキタは近くにいたクリューを片手で掴んでテーブルの下に引きずり込む。テーブルの下に潜り込むと同時に天板の上に吊るしてあった灯りの魔道具が落下して来たが、幸いにも誰にも当たらず壊れることもなかった。
最初からしばらくの間の揺れは大きく、全員体勢を低くしてやりすごした。時間は大したことはなかった筈だが、最初の数秒は永遠に続くのではないかと思えた。そしてやっと治まっても、なかなか動く者はいなかった。
例外はミスキで、まだ少し地面が揺れ動いているにもかかわらず、即座に二階へと駆け上がって行った。二階は居住空間で、そこには体調が悪く臥せっている弟のタイキがいる。三人の息子を食べさせる為に昼夜問わず店を切り盛りしていたミキタに代わって、長男のミスキが末っ子のタイキの世話をして来た。それは今も変わらずにいるのだ。
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そして安全を確認した今、どうせもう客は来そうにないとミキタは今日の営業を潔く止めることにした。
「あの…今日の料理は大公家で買い取ります」
「いいよお、そんなに気を遣わなくて。ああ、でもユリちゃんの好物はちゃんと持ち帰れるように詰めてあげるよ」
「でも」
「大丈夫よ〜。どうせ騎士団か自警団が買い取りに来るわよ〜」
「そうですね…」
それでも言い募るユリに、クリューがヒラヒラと手を振って宥める。
このエイスの街では、何か緊急事態が起こって急遽控えている駐屯部隊の騎士や自警団の者達が出動することになった際、彼らがいつでも温かい食事がとれるように近隣の飲食店から料理を買い上げるという制度がある。これはこの街特有の制度で、他にも高額ではないが特別手当てなどが出る為、皆率先して事態の沈静に走り回ってくれるのだ。今回も先程の地震で安全確認の為に夜通し走り回る人々がいるだろう。
ミキタの店にも、鍋ごと買い取りに来ることは予測が付く。鍋に一杯のシチューが残っていても、それを買い上げてもらえば損にはならないのだ。
「ここいら周辺は特に何もないようじゃな」
「最近地震が多いからね。みんな対策してるんだろうさ」
バートンがガラス片を入れた袋を外の集積所に置いて帰って来た。ついでに周辺を見て回って来たらしい。
「近頃そんなに地震多いのぉ?」
「去年の冬から数えて、これで三回目だね。でもまあ、今回は魔道具には異常はなかったみたいだね」
「ああ、それで大公家があちこちで魔道具の交換してたんだ〜。ユリちゃんも大変だったよね」
「いえ…私よりもレンさんが」
前回はユリが身に付けていた魔力制御の装身具が機能を停止してしまい、ユリの特殊魔力が漏れ出してしまっていた。大公家の人間ならばある程度慣らされているが、耐性のないレンドルフはそのせいで戦闘にも影響が出て怪我をしてしまったのだ。そのことを踏まえて、大公家ではレンザの指示で魔道具や装身具の見直しを行っていた。
そのおかげなのか、それとも今回の地震は影響のないものだったのかは分からないが、少なくともユリの身に着けている装身具に異常はなかった。
不意に小さな鈴の音のような音が鳴って、ユリとクリューとバートンの三人が同時に鞄やポケットを探った。これはギルドカードに誰かからメッセージが届いたときに鳴る知らせだ。魔獣討伐などに赴く時は音を消しているが、普段はこうしてすぐに分かるようにしている。ただ音自体は控え目なので、室内では誰のギルドカードにメッセージが来たか分からなかった為に持っている全員が反応したのだ。
「あ、レンさんから」
確認すると、ユリのギルドカードにメッセージが入っていた。すぐに開くと、文字の向こうから少し焦ったような口調を思わせるレンドルフのメッセージが見えた。
『ユリさん。さっきの地震は大丈夫?誰か頼れる人と一緒にいますか。安全な場所にいますか。何か困ったことがあったらすぐに連絡を下さい。ノルドで駆け付けます。必ず、助けるから』
すぐに読み終えてしまう短いメッセージだったが、レンドルフが本気で心配をしてくれているのが伝わるようだった。ユリは店内にいた全員がこちらを見ているのを自覚しながら、つい口角が上がってしまうのを止められなかった。
「ユリちゃん、レンくんから熱烈な口説き文句でも書かれてた〜?」
「くっ、口説き文句なんて書かれてません!ただ心配してくれただけです!」
そのユリの様子が可愛らしくてついクリューが揶揄うように声を掛けると、ユリは顔を赤くして首を振った。そして「ほら!違うでしょ!」とギルドカードにメッセージを表示したままクリューの方に向けた。ユリとしては、純粋に心配してくれただけだと証明するつもりだったのだが、覗き込んでそれを読んだクリューは目頭を押さえてヨロヨロとカウンターの席に崩れ落ちるように座り込んだ。
「……ダメ…尊すぎる…」
下手な口説き文句にも勝る真っ直ぐなレンドルフのメッセージが眩し過ぎたクリューは、カウンターに肘を付いて組んだ両手を額につけたまま小さくブツブツと呟いていた。
「クリューさん?」
「年寄りには若者達のやり取りが眩し過ぎただけだよ」
「はあ…」
クリューの奇行にユリは首を傾げたが、ミキタは「理解しなくていいから」と呆れたようにそう付け加えたのだった。
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「洗濯が終わるまでもう少し時間が掛かるから」
「すみません、お手数掛けます」
「別に私は何もしてないのよ。オルトが最新の洗濯用魔道具を買ってくれたから、放っておいても乾燥とシワ取りまでしてくれるの」
シャワーを浴びて薬草茶の臭い落とし、持って来ていた新しいシャツに着替えて再びベルの元に戻ったレンドルフは、まだ白い顔をしていた。ベルは敢えてそこには触れずに、濡れてしまったテーブルクロスを交換して、レンドルフの前に新しい水のカップを置いた。そして自分の前にも今度は水の入ったカップを置く。
「…あの、ベルさん。さっきの話、本当に呪術なんでしょうか…あ!その、ベルさんを疑っている訳じゃなくて」
「いいのよ。信じたくない気持ちは分かる。でも、レンドルフくんの体にほんの少しだけど、呪術の残滓が絡み付いているのが見えるの。魔力感知とは違う、呪術師だけが見分けられるもの」
呪術が使われる呪いは、人の執着によく似ている。だから時折、死に瀕した者が生に執着するあまり、周囲に呪いに似た残滓を振り撒くことがある。ベルは呪術師としての能力を失った今も残滓くらいは感知することが出来るし、視力を失った左目は呪術を見ることも出来るのだ。
先日、大門の前で護衛を務めていたレンドルフに微かな残滓が纏わりついていたので、治癒院かどこかで近くに死に向かう患者でもいたのだろうと思った。その時はレンドルフや周囲に影響のある強いものではなかったので、しばらく経てば消えるだろうと考えていた。
だが、家にいたベルが思わず飛び出して大元を探してしまった程、今のレンドルフには細いが強力な残滓が絡み付いている。
「そう、ですか…それなら、何か方法はありませんか。その、呪い返しを防ぐ方法とか」
「……ない訳じゃないわ」
「それは」
「呪詛の大元を浄化してしまえばいいの。聖女、聖人に比類する聖魔法の使い手が浄化をすれば」
「だったら」
前のめりになるレンドルフに、ベルは困ったように眉を下げて目を伏せた。
「その大元の場所が分からなければ、呪詛は解けない。でも…呪術は気付かれないことを前提にして構築される。見付けるのは…とても難しいわ」
いくら呪術が衰退していると言っても、未だに目に見えないところで密やかに行われている。呪われていると分かっている者は氷山の一角で、現在進行形で死に向かう呪いに掛けられていると自覚のない者はどれほどいるのか、ベルには想像も付かない。そもそも呪術は気付かれた時点で失敗したも同然なので、見つからないように実行される。
そんな呪術の大元を見付けて浄化することは不可能に近い。けれどベルはレンドルフの顔があまりにも痛ましくて、少しだけ言葉を濁した。
「もし、呪術に気付かないままだったとして、呪い返しが影響を及ぼすのはどのくらい掛かりますか」
「それは…ごめんね、私もよく分からない」
「い、いえ、ベルさんが謝ることではないです。俺が調べてみますから」
他者の魔力を利用して代わりに呪詛を掛けさせる「無二の媒介」は、術者と魔力の相性がほぼ一致するくらいに相性が良くなければ成立しないと伝えられている。しかも術者が相手のことを数年に渡って観察するくらいに理解も必要になる。それでありながら、相手には自分の存在を知られてはならないという条件にも縛られる。確かに自分に術が跳ね返らないことは有益だが、それだけの手間をかけるくらいならば、自分への呪い返しは多少受けるものの、それを分散させて盾にする「傀儡の媒介」と使った方が楽なのだ。
幼い頃から呪術師として教育を施されたベルでさえ文献でしか知らないのには、それ相応の理由があるのだ。
「呪術は私の方が専門よ。私も協力する」
「っ!ありがとうございます!」
「オルトの協力も必要だから、このことは話すけどいいわね?私達は呪術のことは誰よりも知ってる。だから他言はしないわ」
「はい、お願いします」
ベルの言葉に、レンドルフはほんの少しだけ肩の力を抜いたようだった。けれどその顔色に血の気が戻ることはない。表情も強張っていて、ほんの少しでも感情が揺らげば壊れてしまいそうに張り詰めているのがベルにも伝わって来る。
「取り敢えず、私は明日お世話になってる呪術研究者の教授のところに行って、何か文献がないか探してみるわ」
「俺も王城の図書室に…あ、そう言えば調べようと思っていたことがあって。もしかしたら呪詛に関係しているかも」
「聞かせて」
レンドルフは、今日一日ユリと過ごして不意に気付いた頭の痣のことを説明した。そして髪の毛で殆ど見えなかったが、見えていた部分を繋ぎ合わせて何となくそれらしき形を紙に描いてみせる。ベルはレンドルフの話を聞きながら、描かれた痣の模様らしきものを眉間に皺を寄せて眺めていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。
「私にも心当たりはないわね。でもこれも調べてみるわ」
レンドルフが紙を渡すと、ちょうど洗濯が終わったらしく部屋の奥から金属を叩くような小さな音が聞こえて来た。
まるでアイロンを掛けたかのような仕上がりのシャツを受け取ると、レンドルフは王城に戻ることにした。
「ねえ、レンドルフくん」
礼を言って家を出ようと玄関の扉に手をかけると、ベルに声を掛けられた。レンドルフが振り向くと、ベルは傍に近寄って来て真上を向くように見上げて来た。
「余計なお世話なのは分かってるけど、しばらくはその大切な子とは顔を合わせない方がいいと思うわ」
「え…?」
「その子には隠さなきゃいけないのに、今のレンドルフくん、全然隠せてない。貴方の顔を見たら、絶対に何かが起きてるって不安になるわ」
「……そんなに、分かりやすいですか」
「後で鏡を見ればいいわ」
「…忠告、感謝します」
レンドルフはベルに向かって深々と頭を下げて、次に顔を上げた時には泣きそうな顔のまま無理矢理口角を上げていたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
少しずつ過去に散りばめた伏線を回収して参ります。毎回ざっくりとした大筋だけを決めて、ディティールは流れと勢いで、というスタイルなので、今更ながらこの伏線って書いてたっけ?とか諸々あって頭を悩ませております…
評価、ブクマ、いいねなど反応ありがとうございます!誤字報告もいつも感謝です!かなり初期の話の誤字報告が来ると、ありがたさ9割5分、恥ずかしさ3割くらいの気持ちがはみ出して転げ回る心地です。それでも丁寧に読んでいただいてるなあ…とありがたく思っております。
今後もお付き合いいただければ幸いです。




