第十一話 最初の交易
西暦二一六八年七月二日。
ローゼリア王国西部。
ベルナ村。
かつて巨大魔物グランドファングに襲われ、アストリア連邦軍と初めて接触した小さな村。
その村外れに、今まで存在しなかった奇妙な建物が建てられていた。
白い簡易施設。
その隣には数台の機械。
そして、大勢の村人が集まっていた。
「……これが?」
村長ハロルドは、目の前に置かれた機械を見ながら尋ねた。
アストリア農業技術庁の技術者、マーク・エヴァンスは頷いた。
「小型耕耘機です」
翻訳端末を通じて、ローゼリア語へ変換される。
『小型耕耘機』
村人たちは首を傾げた。
「何をするものなんだ?」
ハロルドが聞く。
マークは笑った。
「畑を耕します」
「畑を?」
「はい」
「馬も牛も使わず?」
「使いません」
村人たちがざわめく。
「そんなことができるのか?」
「魔法か?」
「いや、魔力は感じないぞ」
その反応は、もう見慣れつつあった。
アストリア人にとって、機械は日常。
ローゼリア人にとって、機械は魔法より不思議なもの。
「実際に見ていただくのが早いでしょう」
マークが操作席へ乗り込む。
起動。
低いモーター音。
機械が動き始める。
「おおっ!」
村人たちが一斉に声を上げた。
車輪が前進し、後部の耕耘装置が回転する。
硬かった土が、次々と掘り起こされていった。
「……速い」
農夫の一人が呟いた。
通常、この広さを人力で耕すなら何日もかかる。
馬を使っても、相当な時間が必要だった。
それが目の前の機械は、歩くより少し速い速度で畑を進んでいる。
そして通過した場所は、綺麗に耕されていた。
「嘘だろ……」
別の農夫が思わず笑った。
「俺たちが半日かかるところを、あいつ何分でやるんだ?」
◇◇◇
三十分後。
予定していた区画の作業が終了した。
マークが機械を停止する。
集まっていた村人たちは、完全に黙っていた。
「……終わりです」
その言葉で、ようやくざわめきが戻る。
「もう?」
「全部?」
「本当に?」
農夫たちは実際に畑へ入り、土を確かめる。
「柔らかい」
「ちゃんと深く掘れてるぞ」
「これ一台で……」
ハロルドが呆然と機械を見る。
マークは説明した。
「もちろん、何でもできるわけではありません。土壌に合わせた調整や整備も必要です」
「だが、これがあれば……」
若い農夫が尋ねた。
「もっと畑を増やせるのか?」
「人手と水が確保できれば可能でしょう」
「もっと食べ物を作れる?」
「はい」
その瞬間。
村人たちの見る目が変わった。
珍しい道具ではない。
自分たちの生活そのものを変え得るものなのだと、ようやく理解したのである。
◇◇◇
次に実演されたのは、小型電動ポンプだった。
ベルナ村には小川がある。
しかし畑まで水を運ぶには、人間が桶を担ぐか、水路を掘るしかなかった。
技術者が太い管を小川へ入れる。
「こちらを起動します」
スイッチが入った。
モーターが回る。
数秒後。
ホースの先から、大量の水が勢いよく流れ出した。
「うわっ!」
子供たちが歓声を上げる。
水は用意された水路を通り、畑へ流れ込んでいった。
農夫たちは言葉を失った。
「水を……勝手に?」
「電力がある限り動きます」
「疲れないのか?」
技術者は少し笑った。
「機械ですから」
若い農夫はしばらくポンプを眺め、
「……ずるいな」
と呟いた。
周囲から笑い声が起こる。
「機械は、人間の代わりに働かせるためのものですよ」
◇◇◇
その日の夕方。
村長の家では、アストリア農業技術班とローゼリア側の役人、周辺村の代表者による話し合いが行われていた。
机には、土壌分析結果や農地の地図が並んでいる。
「今回の実証試験では、大きく三つを確認します」
マークが説明する。
「耕作効率、水の利用、そして収穫量です」
ローゼリアの役人が尋ねる。
「機械を増やせば、それだけ収穫も増えるのでは?」
「必ずしもそうではありません」
「違うのですか?」
「農業には、土、種、水、肥料、気温、病害虫など多くの条件が関係します」
役人が資料を見る。
そこには、畑ごとの土壌成分まで記録されていた。
「土まで調べるのですか?」
「はい。作物によって必要な栄養が違います」
ローゼリアの農業は、長年の経験や農民の勘に大きく依存している。
対するアストリアは、農地を測定し、数値化し、その結果に基づいて管理する。
根本的な発想が違った。
「では、これを王国中でやれば……」
役人が言う。
マークは首を横に振った。
「一度に変えるのは危険です」
「危険?」
「食料生産は国民の生命に直結します。新しい方法を導入して、もし失敗すれば大変なことになります」
「……なるほど」
「まずは村単位。それが成功すれば地域単位。そして十分な実績が得られてから、より広い範囲へ」
村長ハロルドはその説明を聞きながら、少し意外に思っていた。
これほど進んだ国なら、何もかも一気に変えてしまうのだと思っていた。
だが彼らは、そうしない。
試し。
調べ。
確かめてから広げる。
「……強いだけじゃないんだな」
「何か?」
マークが振り向く。
ハロルドは笑った。
「いや。何でもない」
◇◇◇
翌日。
七月三日。
ローゼリア王国王都アルフィリア。
王立病院。
そこへ、アストリアから初めて本格的な医療支援物資が届けられていた。
抗菌薬。
消毒薬。
鎮痛薬。
輸液。
滅菌器。
簡易画像診断装置。
王国宮廷医師長ヨハン・ベルクマンは、箱に詰められた薬を見つめていた。
「これは、どれほど効く?」
アストリア医療団のレイチェル・カーター医師が答える。
「病気によります。万能薬ではありません」
「では、どのような病に?」
「例えば、細菌による感染症です」
「細菌?」
「目では見えないほど小さな生物の一種です。それらの一部が病気を引き起こします」
ヨハンは半信半疑だった。
ローゼリアでも、病が人から人へ広がることは知られている。
だが、その原因については悪い空気や魔力異常、呪いなど様々な説が存在していた。
「では、傷口が腐り、高熱を出している患者は?」
レイチェルの表情が変わった。
「診察させてください」
◇◇◇
三十分後。
二十代の若い農夫が運び込まれた。
数日前に農具で脚を深く切り、その傷が悪化したのだという。
患部は赤く腫れ、患者は高熱に苦しんでいる。
ヨハンは言った。
「治癒魔法も使いました。しかし熱が下がらない」
セシリアも診察室にいた。
「傷そのものは塞げても、体内に残ったものまでは除けなかったのでしょう」
アストリアの医療団は検査を始めた。
採血。
画像診断。
傷口からの検体採取。
初めて見る器具に、ローゼリアの医師たちは食い入るように見ている。
やがて診断結果が出た。
「細菌感染の可能性が高いです」
レイチェルは抗菌薬の投与を開始した。
それだけで終わらない。
傷口の処置。
輸液。
体温と血圧の継続監視。
「……魔力を使わない」
ヨハンが呟く。
「なのに、これほど細かく身体の状態が分かるのか」
「治療するには、まず何が起きているかを知る必要がありますから」
その言葉を、ヨハンは長く覚えておくことになる。
◇◇◇
翌朝。
農夫の熱は下がり始めていた。
「本当に……」
ヨハンは何度も体温を確認した。
昨日より明らかに容体が良い。
「薬だけで?」
レイチェルは答える。
「薬だけではありません。身体が回復できるよう、適切な処置を組み合わせています」
「魔法なしで……」
そこでセシリアが口を挟んだ。
「ですが、逆に考えれば」
「逆?」
「アストリアの医療と治癒魔法を組み合わせれば、もっと多くの人を助けられるのでは?」
室内が静かになった。
レイチェルがセシリアを見る。
ヨハンも見る。
科学医療。
治癒魔法。
どちらか一方を選ぶ理由はない。
「例えば」
セシリアは続ける。
「治癒魔法で傷の回復を早め、貴国の技術で感染を防ぐ」
レイチェルの目が変わる。
「術後の回復期間を短縮できる可能性がある……」
「ええ」
「魔力による再生促進作用も調べる必要がありますね」
いつの間にか。
教える側と教わる側という関係は消えていた。
研究者同士の顔になっていた。
◇◇◇
七月四日。
ローゼリア王国西部港湾都市リヴェール。
港には、いつもの数倍の人々が集まっていた。
沖合から近づいてくる巨大な船を見るためである。
アストリア籍貨物船。
全長二百四十メートル。
アストリアでは珍しくもない中型商船。
だがローゼリアでは、王国海軍最大級の艦船さえ小舟に見えるほど巨大だった。
「軍艦じゃないんだよな?」
港の商人が尋ねる。
「商船らしい」
「これで?」
「そうらしい」
「じゃあ軍艦はどれだけでかいんだ……」
誰かが呟いた。
海軍関係者だけは、その質問に答えを知り始めていた。
そして、できれば考えたくないと思っていた。
貨物船が接岸する。
積まれているのは兵器ではない。
農業機械。
医薬品。
浄水設備。
発電装置。
工具。
建設機械。
各種の生活物資。
大きなクレーンによって、コンテナが次々と荷下ろしされていく。
「これ全部、商品なのか……?」
商人たちの目が輝いた。
今まで。
アストリアとの関係は王国政府や軍の話だった。
だが、ここからは違う。
商人。
職人。
農民。
一般市民。
彼らの生活へ、超大国との接触が入り始める。
◇◇◇
港湾施設の会議室。
ローゼリア商業組合の代表者たちは、アストリアの貿易担当者と向かい合っていた。
一人の商人が尋ねた。
「我々から、あなた方へ売れる物などあるのですか?」
その顔には不安があった。
アストリアには何でもあるように見える。
ローゼリアから買う必要などないのではないか。
だが、アストリア側担当者は資料を示した。
「むしろ、欲しいものはかなりあります」
「……本当ですか?」
「はい」
最初に表示されたのは、青色の結晶。
魔導石。
「まず、これです」
商人たちが顔を見合わせた。
「魔導石?」
「我々の国では珍しくもないが……」
「アストリアには存在しません」
「ない?」
「少なくとも、地球には存在しなかった物質です」
アストリア側が求める品目は多かった。
魔導石。
特殊鉱石。
魔物由来の素材。
薬草。
魔法植物。
魔導器。
魔法書。
さらに、未知の香辛料や農作物。
「これも?」
商人が一種類の香辛料を指差した。
「ええ。食品会社が興味を持っています」
「これはどこにでもあるぞ?」
「我々の国にはありませんから」
そこで。
商人の表情が変わった。
そうか。
彼らには。
自分たちが普通だと思っている物がない。
「……売れる」
小さな声。
隣の商人が振り向く。
最初の商人は。
もう一度資料を見る。
「売れるぞ」
今度は大きな声だった。
「我々の商品が!」
部屋の空気が変わった。
援助を受けるだけではない。
こちらからも商品を売れる。
商売ができる。
ローゼリア商人たちにとって、その意味は大きかった。
◇◇◇
同日。
アストリア連邦共和国。
国家科学技術局。
特別研究施設。
厳重に封鎖された実験室。
中央の透明な容器に、青い魔導石が置かれている。
周囲には何十種類もの観測装置。
物理学者。
材料工学者。
量子研究者。
重力制御技術者。
さらに。
ローゼリアから招かれた魔導士。
「準備は?」
「完了しています」
主任研究員アーロン・ウェスト博士が頷いた。
「では、開始してください」
魔導士が魔導石に手をかざす。
魔力が流れ込む。
淡い光。
その瞬間。
研究室内の数値が跳ね上がった。
「反応確認!」
「局所重力場、変動!」
「電磁場ではありません!」
「熱量は?」
「説明できません!」
「質量変化、微量ながら検出!」
ウェストの表情が変わる。
「空間センサーは?」
「歪曲反応!」
「再確認!」
「間違いありません!」
研究者たちが一斉に動く。
異世界へ転移して以来。
何度も観測された。
魔法。
その現象が。
初めて。
厳密な管理下で。
科学的な観測装置によって記録されていた。
「……これが」
ウェストは画面を見つめた。
「魔力」
地球にはなかった。
少なくとも。
人類が認識していなかった。
新しい現象。
「博士」
若い研究員が声を震わせる。
「もし、この現象を制御できれば……」
ウェストは答えない。
頭の中では。
すでに無数の可能性が浮かんでいた。
エネルギー。
材料。
医療。
通信。
重力。
空間。
そして。
軍事。
「まだ何も分かっていない」
彼は言った。
「最初から応用を考えるな」
「はい」
「まず、魔力とは何なのか」
「そこからだ」
だが。
声とは裏腹に。
ウェスト自身。
興奮を抑えることができなかった。
科学者にとって。
未知ほど魅力的なものはない。
◇◇◇
七月五日。
ノヴァ・キャピタル。
連邦大統領府。
「交易開始から三日」
グラント大統領は報告を読んでいた。
「反応は?」
国務長官キャサリンが答える。
「概ね良好です」
「ローゼリア政府だけでなく、商人や地方領主からの問い合わせも増えています」
「何について?」
「農業機械、医薬品、発電設備、建設機械」
少し間を置き。
「それと、自動車です」
グラントが笑った。
「早いな」
「セント・アイリスを見た使節団が話を広めたようです」
「道路がないだろう」
「そのため、まず道路整備が必要だと説明しています」
「そうなるだろうな」
経済産業長官が続ける。
「一方、我が国企業からもローゼリア産品への関心が急速に高まっています」
「魔導石か?」
「それが一番ですが、それだけではありません」
香辛料。
薬草。
繊維。
宝石。
未知の木材。
魔物素材。
魔法工芸品。
アストリアの巨大市場。
四億八千万人。
そこへ。
異世界の商品が流れ込もうとしている。
「輸入は慎重に」
グラントが言う。
「生態系への影響を調査しろ」
「もちろんです」
「未知の病原体もある」
「検疫体制はすでに強化しています」
「よろしい」
国家科学技術局長官エレナ・モーガンが資料を出した。
「それから、魔力研究についてですが」
グラントが顔を上げる。
「何か分かったか?」
「分からないことが増えました」
一瞬。
沈黙。
グラントが笑う。
「科学らしい答えだ」
モーガンも苦笑する。
「ですが、一つだけ確実です」
「何だ?」
「魔法は錯覚でも迷信でもありません」
「物理的な現象として、実在します」
会議室が静かになった。
「我々の既存理論では説明できません」
「しかし」
モーガンは続ける。
「観測できる」
「測定できる」
「再現も可能」
「であれば」
グラントが言う。
「研究できる、か」
「はい」
モーガンの顔に。
科学者らしい笑み。
「必ず」
◇◇◇
同じ頃。
ローゼリアから遥か東方。
別の大陸。
レムリア大陸。
そこには。
ローゼリアやガルディアとは比較にならない国家がいくつも存在していた。
魔導技術。
鋼鉄製艦船。
工業都市。
魔導航空機。
巨大な陸軍。
異世界の列強。
その一角。
ヴァレリア帝国。
帝都ヴァレリス。
帝国外務院。
高官たちが。
一通の報告書を囲んでいた。
「アストリア連邦共和国」
外務次官がその名を読む。
「突然出現した未知の国家」
「ローゼリア王国と国交を樹立」
「ガルディア王国軍五万を撃退」
将軍の一人が鼻で笑った。
「五万を千人以下で?」
「荒唐無稽だ」
情報官が答える。
「我々もそう考えました」
「ですが」
別の資料。
「同じ内容の報告が」
「異なる三つの経路から届いています」
将軍の笑みが消えた。
「……三つ?」
「商人」
「ローゼリア王国の外交筋」
「そしてガルディア王国の関係者」
「全てが」
「アストリア軍の圧倒的勝利を伝えております」
外務次官は腕を組んだ。
「誇張はあるだろう」
「だが」
「何もなかった話が」
「三方向から同時に出るとは考えにくい」
「どうします?」
帝国外務卿は。
しばらく考え。
一言。
「使節を送る」
室内が静かになる。
「直接見る」
「それが一番早い」
「承知しました」
外務卿は。
窓の外を見る。
世界の西方。
つい数週間前まで。
列強諸国にとって。
大した価値のない地域だった。
そこへ。
突如現れた。
未知の国家。
「……面白い」
彼は小さく呟いた。
「西方に」
「何が現れたのか」
アストリア連邦共和国の存在は。
もう。
小国だけの秘密ではなくなり始めていた。
巨大な世界が。
ゆっくりと。
新たな超大国へ。
視線を向け始めていた。
◇◇◇
そして。
ベルナ村。
日没。
ハロルドは。
新しく耕された畑を眺めていた。
隣には。
小型耕耘機。
以前なら。
何日もかかった仕事。
今日は。
あっという間だった。
若い農夫が。
嬉しそうに言う。
「村長」
「来年は」
「東の荒れ地も畑にできるかな」
ハロルドは。
少し考え。
頷いた。
「ああ」
「できるかもしれんな」
「じゃあ」
「もっと麦を作れる」
「そうだな」
「腹いっぱい食える?」
老人は。
笑った。
「ああ」
「きっとな」
遠く。
アストリアの技術者たちが。
機械の点検をしている。
世界を変える。
そんな大げさなことを。
村人たちは考えていない。
ただ。
今年より来年。
少し。
暮らしが楽になればいい。
それだけだった。
だが。
大きな変化というものは。
案外。
そんな小さな場所から。
始まるものなのかもしれなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、アストリアとローゼリアの間で本格的な交易が始まりました。
軍事力だけでなく、農業・医療・産業・巨大市場といった「超大国としての力」が異世界へ影響し始めています。
一方で、アストリア側も魔導石や魔法という地球には存在しなかったものから、多くを得られる関係にしています。
次回は、交易によるローゼリア国内の変化とともに、アストリアの存在を知った遠方の国家が動き始めます。




