第十話「友好条約」
西暦二一六八年六月二十八日。
アストリア連邦共和国。
首都ノヴァ・キャピタル。
連邦大統領府。
会議室中央の長机には、二つの国旗が並べられていた。
片方はアストリア連邦共和国。
もう片方はローゼリア王国。
その前には、両国の代表者たちが向かい合って座っている。
アストリア側には、大統領アレクサンダー・グラント。
国務長官キャサリン・ウォーカー。
国防長官リチャード・ハリス。
経済産業長官。
農務長官。
その他、政府高官たち。
ローゼリア側には、外交使節団代表エドモンド・フォン・ラウゼン伯爵。
宮廷魔導士セシリア・アルノール。
外交官、財務官、王国騎士。
その表情には緊張が浮かんでいた。
ガルディア王国軍の侵攻は阻止された。
第一軍は降伏。
第二軍もローゼリア領からの撤退を開始している。
ひとまず、王国存亡の危機は去った。
そして今日。
両国関係は、新たな段階へ進もうとしていた。
「それでは」
国務長官キャサリンが口を開いた。
「最終確認を行います」
テーブル上の端末に条約文が表示された。
同時に。
ローゼリア側の前には、自国語へ翻訳された紙の文書が置かれている。
アストリア側が作成した翻訳AIと。
セシリアによる言語理解魔法。
さらに双方の専門家による確認。
何度も修正が行われた結果。
ようやく、両国が同じ意味として理解できる条文が完成していた。
正式名称。
アストリア連邦共和国及びローゼリア王国間友好通商条約。
内容は比較的単純だった。
両国の相互承認。
外交関係の樹立。
大使館の設置。
相互通商。
民間交流。
船舶の入港。
研究者の交流。
そして。
互いの主権を尊重し、一方的な内政干渉を行わないこと。
軍事同盟ではない。
アストリアがローゼリアを属国化するものでもない。
あくまで。
対等な国家同士の条約。
それがアストリア政府の方針だった。
「ローゼリア王国政府として、異議はありません」
エドモンドが答える。
グラントが頷いた。
「我が国にも異議はありません」
双方の代表が立つ。
条約文へ署名。
アレクサンダー・グラント。
そして。
ローゼリア国王アルフレッド三世から全権を与えられたエドモンド・フォン・ラウゼン。
二つの署名が並んだ。
続いて握手。
無数のカメラが、その瞬間を記録する。
アストリア連邦共和国にとって。
異世界で初めて締結した正式な国家間条約。
ローゼリア王国にとって。
これまで存在すら知らなかった超大国との国交樹立。
「今日という日が」
エドモンドが言った。
「両国にとって、長き友好の始まりとなることを願っております」
グラントは微笑んだ。
「我々も同じ願いです」
こうして。
地球文明と魔法文明。
二つの異なる文明の間に。
初めて正式な橋が架けられた。
◇◇◇
条約締結から一時間後。
別の会議室。
今度は。
雰囲気が少し違っていた。
外交ではなく。
経済。
「では」
アストリア経済産業省の担当官が言った。
「ローゼリア王国側が、優先的に輸入を希望する品目について確認させてください」
ローゼリア側の財務官が。
少し困ったような顔をした。
「それなのですが……」
「はい」
「正直に申し上げますと」
一度。
隣のエドモンドを見る。
「何を輸入すべきなのか」
「我々にも分からないのです」
アストリア側の担当者が首を傾げる。
「分からない?」
「はい」
財務官は苦笑した。
「貴国へ来てから」
「我々はあまりにも多くの物を見ました」
自動車。
鉄道。
電気。
冷蔵庫。
空調設備。
農業機械。
通信機器。
医療機器。
上下水道。
建設機械。
ありとあらゆるもの。
「最初は」
財務官は続ける。
「武器を購入できれば、と考えておりました」
国防省の担当者が少しだけ表情を変える。
「ですが」
財務官は言った。
「今は考えが変わりました」
「と申しますと?」
「我が国に本当に必要なのは」
少し考え。
「民を豊かにする物なのではないかと」
会議室が静かになる。
エドモンドが頷く。
「アストリアの軍事力が強大であることは、もう十分に理解しました」
「ですが」
「その軍事力を支えているものが何なのか」
彼は首都を見て。
工場を見て。
農場を見て。
初めて理解していた。
「豊かな国民」
「大量の食料」
「高度な産業」
「教育」
「交通」
「医療」
「それらがあるからこそ」
「貴国は、あれほど強い」
アストリア側の人間たちは。
少し意外そうにエドモンドを見た。
異世界の小国。
だが。
決して。
物事を理解できない人々ではない。
「ですから」
エドモンドは言った。
「まずは」
「我が国の民の生活を変えられる物から」
◇◇◇
同日午後。
アストリア農業技術研究センター。
ローゼリア使節団の目の前。
一台の大型農業機械が。
広大な実験農場を進んでいた。
「……速い」
王国農務官が呆然と呟く。
大型収穫機。
自動運転。
衛星測位。
AIによる作物識別。
人間が行えば何日も必要な作業を。
短時間で処理していく。
「これ一台で」
農務官が尋ねる。
「何人分の仕事が?」
アストリアの技術者が答える。
「作業内容によります」
「単純には比較できませんが」
説明を続ける。
「従来型の人力農業と比較するなら」
「数十人から百人以上に相当する作業をこなす場合もあります」
「百人……」
農務官は。
機械を見る。
巨大。
確かに高価そうだ。
だが。
百人。
一台が。
百人分。
「これを」
彼は恐る恐る聞く。
「我が国にも売っていただけるのですか?」
技術者は首を傾げた。
「輸出規制に該当しなければ、政府間協議の上で可能でしょう」
「……!」
農務官の顔が明るくなる。
しかし。
エドモンドは。
少し別の疑問を持った。
「フォスター殿」
同行していた外交官ダニエル・フォスターを見る。
「はい」
「あの機械を」
「我が国で使えるでしょうか?」
フォスターは少し意外そうな顔をした。
エドモンドは続ける。
「我が国の農民の多くは」
「あのような機械を見たことすらありません」
「壊れた時に直す者もいない」
「燃料……」
一度訂正する。
「いや、動力源も必要でしょう」
フォスターは。
少し感心したように頷いた。
「おっしゃる通りです」
ただ機械を売る。
それだけでは。
意味がない。
「ですので」
農業技術担当官が話に加わる。
「最初から大型機械を大量導入するのはおすすめしません」
「では?」
「段階的に進めます」
画面へ。
いくつかの機械が表示される。
小型耕耘機。
簡易ポンプ。
小型収穫機。
穀物乾燥設備。
温度管理設備。
肥料製造設備。
「まずは」
担当官が説明する。
「ローゼリアの農地に適した」
「単純で」
「頑丈で」
「現地でも整備しやすい設備」
「そこから始めるべきでしょう」
エドモンドは頷いた。
「……なるほど」
これも。
彼には意外だった。
最新技術を。
そのまま押し付けるのではない。
相手が使える形にする。
「そして」
担当官が続ける。
「技術者も育成します」
「技術者?」
「ローゼリアの方々に」
「整備方法や運用方法を学んでいただきます」
農務官が目を見開いた。
「教えていただけるのですか?」
「もちろん」
担当官は笑った。
「壊れるたびにアストリアから整備員を呼んでいたら」
「不便でしょう?」
「……」
その通りだった。
◇◇◇
次に。
使節団が訪れたのは。
総合医療研究センター。
ここで。
ローゼリア使節団は。
農業機械以上の衝撃を受ける。
「これは……」
セシリアは。
一枚の画像を見ていた。
人間の身体。
骨。
血管。
臓器。
それらが。
立体的に表示されている。
「身体の中が」
「全部……」
医師が説明する。
「画像診断です」
「身体を切らずに、内部の状態を調べます」
「切らずに?」
「はい」
セシリアは画面を見る。
魔法にも。
似た術は存在する。
だが。
極めて高度。
使用者も少ない。
それを。
機械で。
誰でも。
いや。
専門家であれば。
安定して使える。
「こちらは?」
王国側の医師が。
別の装置を見る。
「人工臓器の研究設備です」
「人工……?」
「損傷した臓器の機能を」
「機械や培養組織で補助、あるいは代替します」
「……臓器を」
ローゼリア医師は。
完全に固まった。
「作る?」
「場合によりますが」
「はい」
セシリアは。
小さく呟いた。
「これでは」
「神聖魔法ではないですか……」
医師が尋ねる。
「神聖魔法?」
「我々の世界に存在する、高位の治癒術です」
セシリアは答える。
「重傷者を治療し」
「失われかけた命を救う」
「非常に高度な魔法」
そして。
目の前の医療設備を見る。
「ですが」
「この国では」
「魔法を使えない人間でも」
「それに近いことができる……」
アストリア側医師は。
逆に興味を示した。
「その治癒魔法について」
「詳しく教えていただけませんか?」
セシリアは顔を上げる。
「もちろんです」
そこで。
今度は。
アストリア側が驚く番となった。
「切り傷なら」
セシリアが説明する。
「軽度であれば数分で塞げます」
医師たちの手が止まる。
「数分?」
「はい」
「感染症は?」
「種類によります」
「解毒魔法」
「浄化魔法」
「身体強化」
「再生促進」
次々と。
未知の概念が出てくる。
医療研究者たちの表情が変わった。
先ほどまで。
教える側だった人間たちが。
今度は。
一斉に記録を取り始める。
セシリアは。
少し笑った。
「ようやく」
「何でしょう?」
「貴国の方々を」
「驚かせることができました」
室内から。
小さな笑いが起こった。
科学文明。
魔法文明。
どちらか一方が。
完全に上。
そういう関係ではない。
少なくとも。
新たな可能性という意味では。
双方に。
学ぶものがあった。
◇◇◇
六月二十九日。
ローゼリア王国。
王都アルフィリア。
国王アルフレッド三世は。
大臣たちを集めていた。
「正式に?」
「はい」
魔導通信担当官が答える。
「友好通商条約が締結されました」
一瞬。
会議室が静まり。
そして。
安堵の空気が広がった。
「そうか」
アルフレッドは。
深く息を吐く。
「ようやく」
「本当に」
アストリアと国交を結んだ。
単に。
軍事的保護を期待するだけではない。
王国の未来に関わる関係。
「使節団から」
宰相が資料を広げる。
「最初の輸入候補について報告があります」
「聞こう」
「医薬品」
「農業用機械」
「水処理設備」
「簡易発電設備」
「通信機器」
「建設用機械」
「それから」
宰相が。
少し不思議そうに続ける。
「肥料です」
「肥料?」
国王が聞き返す。
「はい」
「武器ではないのか?」
「軍事装備についても協議はしておりますが」
「アストリア側は輸出に慎重です」
「当然だろうな」
アルフレッドも。
すでに理解していた。
あの兵器を。
簡単に国外へ売る国家ではない。
「ですが」
宰相は続ける。
「使節団は」
「肥料と農業機械こそ」
「王国を最も大きく変える可能性がある」
「そう報告しております」
「……」
国王は。
しばらく考えた。
戦争に勝つ兵器。
確かに重要だ。
だが。
食料が増えれば。
人口を養える。
飢饉が減る。
税収が増える。
兵士も養える。
都市も成長する。
「なるほど」
アルフレッドは頷く。
「武器だけが」
「国力ではないか」
◇◇◇
同時刻。
ガルディア王国。
王都ガルディオン。
エルンスト侯爵からの報告書は。
国王ヴィクトル二世の手元へ届いていた。
彼は。
すでに三度。
読み返している。
『軍事的対立はいかなる形でも避けるべき』
『第一軍を撃破した戦力は、同国軍のごく一部』
『彼らは本気ではなかった』
そして。
捕虜の待遇。
医療。
航空機。
巨大人型兵器。
遠距離砲撃。
全て。
「……」
ヴィクトルは。
静かに報告書を置いた。
そこへ。
宰相が入室する。
「陛下」
「何だ」
「第二軍の撤退が完了しました」
「そうか」
「ローゼリア側も追撃しておりません」
「アストリアは?」
「国境線付近で停止しております」
ヴィクトルは。
小さく息を吐いた。
本当に。
侵略するつもりはないらしい。
「講和交渉を進めろ」
「よろしいのですね?」
「ああ」
王は。
窓の外を見る。
「今度こそ」
「相手を正しく見る」
宰相は。
静かに頭を下げた。
◇◇◇
それから。
数日。
アストリアとローゼリアの間では。
小規模ながら。
交易が始まった。
最初に。
ローゼリアへ運ばれたのは。
戦車でも。
機動装甲兵器でも。
ミサイルでもない。
医薬品。
浄水設備。
農業用工具。
小型発電装置。
保存食。
そして。
現地調査用の農業機械。
ローゼリア西部港。
リヴェール。
港には。
大勢の住民が集まっていた。
沖合から。
一隻の船が入港してくる。
「……大きい」
子供が呟いた。
アストリアの中型貨物船。
インペリウム級。
どころではない。
軍艦でもない。
アストリアでは。
どこにでも存在する。
普通の商船。
それでも。
ローゼリア人から見れば。
巨大だった。
港へ着岸。
大型クレーンが動く。
貨物が。
次々と降ろされる。
「何だ、あれ?」
「鉄の馬車?」
「違う」
「畑で使うらしいぞ」
小型農業機械。
コンテナ。
医療物資。
そして。
アストリア人の技術者たち。
港湾の片隅。
ローゼリアの商人たちが。
興味深そうに見つめている。
「売れるのか?」
「何が?」
「あの国に」
商人が尋ねる。
「我々の商品だ」
隣の商人が笑う。
「向こうは何でも持っているように見えるからな」
だが。
その考えも。
すぐに変わることになる。
アストリアが求めたもの。
魔導石。
薬草。
特殊鉱物。
魔物由来素材。
魔法工芸品。
そして。
未知の植物。
未知の生物。
未知の技術。
アストリアにとって。
この世界には。
金銭だけでは測れない価値を持つものが。
無数に存在していた。
一方的な援助ではない。
交易。
互いに欲しいものを交換する。
それが。
両国関係を長く維持する上で。
最も重要だった。
◇◇◇
同じ頃。
アストリア連邦共和国。
国家科学技術局。
地下研究施設。
透明な特殊容器の中。
一つの青い結晶が置かれている。
ローゼリアから提供された。
魔導石。
研究員たちは。
その周囲へ。
大量の観測装置を設置していた。
「数値は?」
「安定しています」
「通常状態では目立った放射線なし」
「電磁波?」
「既知のスペクトルには一致しません」
「質量変化?」
「微細ですが、あります」
主任研究員が。
眉をひそめる。
「もう一度」
「魔力を流してもらおう」
隣室。
ローゼリアから派遣された魔導士が。
魔導石へ手をかざす。
淡い光。
その瞬間。
「来た!」
研究員が声を上げる。
複数の測定器に。
同時に。
異常値。
「空間歪曲!」
「局所質量変動!」
「未知粒子反応!」
「エネルギー保存則との整合性確認!」
研究室が。
一気に騒がしくなる。
主任研究員は。
画面から目を離さない。
「……面白い」
彼は。
小さく呟いた。
「これは」
「単なる未知のエネルギーではない」
地球科学が。
初めて。
魔法という現象を。
測定可能なものとして。
捉え始めていた。
◇◇◇
そして。
アストリアから遥か東方。
海を二つ越え。
さらに。
巨大な大陸を越えた先。
一つの帝国が存在していた。
巨大な石造都市。
魔導灯。
舗装された街道。
巨大な工場。
空を行き交う魔導飛行船。
港には。
鋼鉄製の大型魔導艦。
ローゼリアとも。
ガルディアとも。
明らかに異なる。
発達した文明。
帝都。
外務府。
一人の官僚が。
報告書を読んでいた。
「西方海域に」
「未知の大陸が突然出現?」
部下が頷く。
「はい」
「その大陸には」
「アストリア連邦共和国と名乗る国家が存在するとのことです」
官僚は。
興味深そうに資料を見る。
「ローゼリアとガルディアの戦争へ介入」
「ガルディア軍五万を撃退」
「……五万?」
「はい」
「投入された兵力は?」
部下は。
少し迷う。
「情報が錯綜しております」
「ある商人は数百」
「別の報告では千にも満たないと」
官僚は。
しばらく。
何も言わなかった。
「噂話だな」
部下が尋ねる。
「無視しますか?」
「いや」
官僚は資料を閉じる。
「五万を千人で倒したという部分は」
「おそらく誇張だろう」
「ですが」
「未知の国家が現れたこと自体は」
「複数の情報源が一致している」
立ち上がる。
「調べろ」
「はっ」
「できる限り詳しく」
「この」
資料に記された。
一つの名を見る。
アストリア連邦共和国。
「突然現れた国が」
「何者なのかをな」
こうして。
辺境の小国同士の問題として始まった出来事は。
少しずつ。
より遠く。
より大きな国家へ。
伝わり始めていた。
アストリア連邦共和国が。
異世界へ現れてから。
わずか十日余り。
世界はまだ。
その国が。
どれほど巨大な存在なのか。
知らない。
第一章 第十話「友好条約」 完
軍事だけではない。
今度は――超大国の経済力が、異世界と接触する。
次回 第十一話「最初の交易」
ローゼリアへ届けられたアストリア製農業機械と医薬品。
小さな村で始まった実証試験は、王国の常識を根底から覆していく。
一方、アストリアでは魔導石や魔法の本格研究が開始され、科学者たちはこれまでの物理学では説明できない現象を次々と確認する。
そしてローゼリアの商人たちもまた、巨大なアストリア市場へ目を向け始める。
軍事だけではない。
今度は――超大国の経済力が、異世界と接触する。




