第三章
朝、日の出と共に起きる。部屋の掃除をして使用人の服に着替えると軽く朝食を取る。他の使用人は皆同じ部屋で食事をするが私は一人だ。
その後は先輩であるラーナさんやメイド長のクレアさんに指示を受けて屋敷の掃除をし、洗濯をする。
これも基本的には一人で行う。ハリソン辺境伯やその側近であろう男性が私を監視するのに気付きながら仕事を進めていく。自分の担当の分が終わると私は先輩方に他の仕事が無いか聞いてあれば貰い、合間に昼休憩を挟んでまた仕事にかかる。
「ローザ」
「はい。何でしょう」
「旦那様がお呼びよ」
「…私、何か粗相を?」
「いいから早く」
「は、はい」
何の用事だろう。
足早にハリソン辺境伯の元へ向かいノックをすると中から入るように促される。私を見て確認するとハリソン辺境伯はある本を差し出した。
「こちらを」
「こちらを?」
見せられたのは隣国の言葉で書かれた本だ。いきなりそのような物を差し出されて首を傾げているとハリソン辺境伯は言う。
「あなたが通っていた学校では…友好国である隣国の文化を学んでいただろう?」
「そうですね…?丁度私が入学した頃からでしょうか」
「私は隣国の文化はまだ学び途中だ。言葉もろくに話せない」
「はあ…?」
「だが近日中に隣国からの使者が参る。そこで隣国で今流行っているというこの本を読んで理解を深めたいと思うのだが…」
「…はい?」
「ローザ、この本を翻訳出来るか?」
「翻訳ですか?」
「隣国の文化や言葉を学びに取り入れていた君達の世代はある程度文字が読めるようになっていると聞いた。全て翻訳しろとは言わないが出来る限りのしてほしい」
「なるほど、そういう事ですね。承知しました」
「出来るのか?」
「可能な限り行います。いつまでに出来ればよろしいですか?」
「七日後までに」
「承知しました」
確かに私に頼むのは適任かもしれない。
本を胸に抱えて部屋を出ると真新しいその本の厚みと仕事が終わった後の楽しみが出来たと胸を躍らす。
隣国とは友好関係にある。
約百年前、元々はこの国は二つの国に分かれていた。東の国と西の国を統治する王がお互いの国を求めて戦争を始めてしまい、西の国の隣国が支援をした事により西の国が勝利をし、一つの国へとなったのだ。
隣国の支援のおかげで勝利をし、友好国としてお互いの国の王族同士を嫁がせたりと血縁関係もありついにはお互いの国の文化や言葉を教育の一つとして取り入れるようになったのだ。
ただ自国の文化の興味が薄れてしまうと反発もあり、ようやく最近になり隣国の文化と言葉を学ぶ教育は認められたのだ。
西の国と東の国、一つに統一されてからと言うものの名前を無くした東の国の文化はすっかり西の国の文化に統一されてかつて東の国と言うものがあった事は歴史資料館や教科書などで学べるぐらいだ。
私の祖父母の代では西の国の人間と東の国の人間が結婚するのは許されないと言われていたが、次第にそれも薄れていった。
今ではもう誰も気にしていないはずだ。
(そう言えば)
王太子は西の国の血筋でロザリア様は東の国の血筋だった。
今さらそれが何のゴシップになるのか、国民はもう誰も気にしていないかに見えたが嫌な人には嫌なのかもしれない。
「はー…新しい本は面白いわね」
読みきってしまった本だって何回読み直しても面白いが、新しい本でしか感じられない刺激もある。学校で習った隣国の言葉を思い出しながら翻訳をしていく。
学校での従業は好きだった。
家にいる時はひたすら辛い経験しかなかったため学校にいる間は穏やかでいられた。家での扱いが表に出ないようにと学校の制服は綺麗に着せられており持たされる鞄や道具はミディアと同じ物だった。
人並みの格好をして学校に行ききちんとしたテーブルと椅子に座れる。それだけでも良かったが先生方が私の知らない知識を教えてくれるのが面白くて仕方ないのだ。
しかしミディアよりは目立たないようにといつと成績はわざとミスをしてミディアよりは上にならないようにしていたので学校での私の評価は馬鹿だった。
でもここではその必要はない。知っている知識を存分に出せる。遠慮なんてしなくていいのだ。嬉しくてたまらない。
(あ、でも分からないのもあるわ…まあ話の流れから…こうかしら?)
入ったばかりの新しい使用人だけど。
あの人でしょう?お顔に大きい傷をつけた…。
旦那様から聞いた通りに王太子妃を毒殺しようとした凶悪犯だって聞いたのだけど。
傷は恐ろしいけどやって来たのはあんな細っこい女の子。
毒殺するのに筋力は必要はないものね。
それにおかしいわ。何で貴族があんな風に掃除も家事も積極的にこなすのかしら。
しかも嬉しそうにするのよ。訳が分からない。
真面目の皮を被ってるんじゃない?
「どう思います?メイド長」
「…貴族って家事や掃除は出来るようにしつけされてるとか?」
「貴族がする訳ないじゃないですか。昔仕えたお屋敷なんか…そこまで地位は無いのにメイドを雇って自分達は何もしないんですよ?賃金も払われなかった」
「罪を犯したから罰としてここに来るまで家事、掃除をしていたとか?」
「それにしては手慣れているというか…」
ローザは仕事が早い。
積極的に仕事をこなしては他のメイドの仕事を奪う勢いでこなしている。周囲は警戒しながらも彼女に押し付けるような形で仕事を任せてもあっという間にこなしてしまう。そのため他のメイド達がむしろ少し仕事が楽になってしまった。
食事の時だってそうだ。貴族にしてはおかしい。
毒殺の件があるため彼女がおかしな物を盛らないように厨房には近付けさせず食事も他のメイドとは別に自室で取らせているが、一人のメイドが嫌がらせにカビの生えたパンを食事に差し出すと何の文句も言わずに完食した皿を出して来たため嫌がらせしたメイドも思わず「食べたの!?」と聞くと特に顔色を変えずに「カビの部分だけ取り除いて食べさせていただきました」と話し、嫌がらせをされたのだと気付いていないのか彼女は「お食事ありがとうございます」と頭を下げた。
何なんだ。
普通の貴族なら逆上しているはずなのに彼女は何なのか。
そう思っていると噂の彼女が本を片手に旦那様の元へ歩く姿が見えた。
「…姿勢すごくいいわね」
「そうですね。所作は本当に綺麗です…やっぱり貴族なんでしょうね」
「なのに何でメイドとして普通にいられるのかしら」
「やっぱり誰か…メイド経験がある替え玉を使って本人はどこかで匿われているのでは?」
「罪人でも娘は娘だものね…もしかしたらそうかもね」
言われた通りに七日後、私は翻訳した隣国の本を持ってハリソン辺境伯の元を訪ねる。
「旦那様。ローザです」
「あぁ…本の件か?」
「はい。よろしいでしょうか?」
「構わない。入れ」
「失礼いたします」
相変わらず鋭い目付きの辺境伯の前にまずは頭を下げる。
「旦那様。この度はこのような素晴らしいお仕事を任せていただき感謝します」
「…大袈裟な」
「いえ。翻訳と同時に隣国の新しい物語に触れる事が出来たのです」
どうぞ、こちらを。
本と共に翻訳した内容を差し出すと辺境伯はそれを確認する。
それにしても面白かった。主人公が自分に宿る聖者の力を捨てて敵の邪心を逆に取り込み自分の物にしてしまうのは衝撃だった。
そしてそのせいで最期は敵と共に力尽きるのが何とも物悲しい終わりだった。
「…ローザ」
「はい?」
「泣いているが何かあったか?」
「え?あら?」
本の内容を思い出して泣いてしまうとはうっかりしていた。袖で涙を拭い慌てて説明する。
「そちらの本が…最後がとても悲しくて」
「それで思い出して泣いたのか?」
「…恥ずかしながら…」
「…そうか」
「失礼しました…」
「分かった。ご苦労だった。仕事へ戻れ」
「はい」
旦那様に頭を下げて仕事へと戻る。
さて今日も立派な掃除道具で掃除をして綺麗な水で洗濯をして一日頑張ろう。
信頼を得るためにはやはり真面目さを見せるのが一番だ。
ラーナさんに言われた通りに今日も掃除をしようと勤しんでいると、この前食事を運んできてくれた方、同じ使用人のセラさんが私の元へとやって来た。
「ローザさん」
「はい。どうされました?」
「悪いんですけど…ここの掃除が終わったら私の所も手伝ってもらっていい?」
「ええ。勿論です」
「ありがとう。ラーナさんには伝えておくわね」
「はい。分かりました」
そうとなれば自分の箇所は早めに終わらせて彼女の手伝いに向かおう。それでも決して手は抜かずに励み掃除をする。家にいた頃は手を抜いたなら「この手がだらしないのね」と使用人やお母様に手を踏まれたものだ。
「ローザ、ローザ?」
彼女ならもう終えているだろうと思い掃除の確認をしようと来るとローザがいない。
「……?」
誰にも告げずにいなくなるような子だろうかと首を傾げたが、いやそもそも罪人なのだからと考えを改めて慌てて旦那様の元へと行く。するとその前にローザを監視しているはずの旦那様の側近とも会い彼もまたローザを探しているようだった。
「あ、すみません!」
「あ!ラーナさん!丁度いいところに!」
「「ローザは何処ですか?」」
「はい?」
「え?」
あなた、監視していたのではないですか?
あ、いや…その…ラーナさんこそ!
どういう事です?
いや…その…ローザって真面目に仕事してるじゃないですか?
はい。
だからその…。
「ちょっと目を離しても平気だろうと?」
「違うんですよ!セラに力仕事を少し手伝ってほしいって言われて!」
本来なら監視しなければいけないローザを放っておいた訳ではなく、今日屋敷に届いた荷物を運ぶのを手伝ってほしいと使用人のセラに言われていたらしい。悩んだがここに来てからローザが何も問題を起こしていない事を見て少しぐらいなら平気だろうと荷物を運び戻るとローザはいない。
「取り敢えず、探すわよ!」
「はい!ハリソン辺境伯には言わないで下さい!」
「言わないで済むような事で終われば言わない!」
「そんなぁ」
よくこんな側近で旦那様は平気だな。
そう怒りを覚えながらローザを探す。そもそもセラも何でそんな事を頼むのか、ローザの監視が必要なのは知っているはずだ。ローザが使用人として来る前から貴族と一緒に仕事は出来ない、ましてや罪人と一緒なんてごめん。と言っていた。それにこの間のローザ本人には何の効果も無かったカビパンの件。よく思っていないのは知っているがこちらの面倒をかけないでほしい。
「セラさん」
自分の仕事を終えて言われた通りにセラさんの担当しているホールへとやって来る。玄関ホールはこの屋敷に入ると真っ先に飛び込んで来る場所。そのためここは特に綺麗にしなければいけないとよく言われている。私はまだそんな大層な場所を担当する訳にはいかないので専ら隅っこばかりを担当している。彼女はまだ掃除の途中だろうか、普段花が生けられた花瓶も無く水拭きをしたバケツもそのままだ。
「……、」
床も綺麗に磨かれて私の姿がよく映る。高い天井に吹き抜け、上を見上げればどこに誰がいるか分かりそうだ。
「セラさん」
「ローザ」
「あら、そちらにいたのですね」
私が立つ一階よりも高い、吹き抜けの二階にいるセラさんと目が合う。私を見て微笑んでいるので私も微笑み返すと彼女は小さく舌打ちする。
「あなた、何を企んでるの?」
「企らんで?」
「惚けないでよ。この屋敷に入り込んで…旦那様を利用してまた王太子妃の座を狙おうとかしてるんじゃない?」
「そんな事は企んでおりません、それに私は」
王太子妃なんて狙っていないのです。
何度も言ったその言葉を彼女に向けるが当たり前に聞く耳を持たない。
「…嘘つきなさい。真面目なふりして本当は恐ろしい事考えてるでしょう?あたしは騙されないから」
「、そんな事は、私はただ」
ゆっくりとその場から足を動かす。狼狽えながら動いていたため足にバケツが引っ掛かり床を濡らしてしまった。それでも私は言葉を紡いでいるとセラさんは綺麗な花瓶を手にしている。
「罪人なら罪人らしく牢獄へ入りなさい」
これね、旦那様の亡くなられたお母様が大事していた花瓶よ。
「これが割れたらあなた、どうなる?」
「…駄目です!お止めください!」
「嫌よ。止めない」
「駄目です!駄目です!」
「うるっさいな…」
そう言ってセラさんは花瓶を宙に投げた。手を伸ばし花瓶を決して割らないようにしようとしたが頭に花瓶が当たり意識が一瞬飛んでしまうとその瞬間花瓶は音を立てて割れてしまった。私は花瓶が頭に当たり血が流れている。
「…あ、あぁ…」
そして割れた花瓶を見て呆然とする。
「ローザ!」
「何してるんだ!」
割れた花瓶の前で呆然とする私の前にラーナさんと側近の彼が現れた。頭から血を流す私とその目の前にある割れた花瓶、それを交互に見つめて驚いている。
「これ…ハリソン辺境伯のお母様の…」
「…申し訳ございません!」
ラーナさんの声に私はすぐに大きな声を出して謝る。
「これ、あなた…!」
「ラーナさん!私!見てました!この女が花瓶を盗もうとしていたんです!」
「セラ…?」
「私が気付いて声をかけると驚いて落として割ったんです!間違いありません!」
セラさんはそう言って慌ただしく駆けて来る。騒ぎに気付いた他の使用人もハリソン辺境伯もこちらへ来ると目の前の光景に眉をしかめた。
「…どういう事だ」
「旦那様…申し訳ございません。私、旦那様の大事なお母様の花瓶を守れませんでした」
辺境伯の前にセラさんは無力な自分を後悔するように説明した。
「旦那様の花瓶をあの罪人が盗もうとして…そして私が気付いて止めた事に驚き手から滑らせて…」
「…申し訳ございません、申し訳ございません」
私は頭を押さえたままに辺境伯に向かって頭を深く下げる。割れた花瓶を集めようとしたがそれはへんに制止される。
「花瓶を盗もうとして、割ったと」
「はい!」
「手に持っていた花瓶を滑らせてか」
「はい!そうです!」
「…それじゃそのローザの頭の怪我は何だ?」
「え?」
辺境伯は私の頭の怪我を指差して尋ねる。
「セラ、見ていたなら説明出来るな?」
「…床の水に滑って転んだのです!間抜けな女ですよね!」
「それなのにローザの服は濡れていないが?」
確かにそうだ。床に広がる汚水に滑って転んだなら私の服の裾にもっと染み込んでいるはずだ。それなのに私の服は足元しか濡れていない。
「それはその…」
「大体何故ローザがそんな事になっている。監視をつけていたのだから出来ないはずだろ?」
「監視の目を掻い潜ったのです!」
「どういう事だ?レオ」
「…すみません…実はセラに荷物運びを頼まれて監視を抜けてまして…」
「セラに?」
その言葉にセラさんは分かりやすく顔色を変える。
「荷物…そもそもそれは急いて運ばなくても空いてる時に運べと、レアには監視があるから極力場を離れるような事はしないように伝えてるが」
「それ、は」
セラさんの目が泳ぐ、こう言うのはもっときちんとやらないと。
「旦那様」
ずっと黙っていたラーナさんが話す。
「花瓶は上から降って来ました」
「…ぇ?」
セラさんが、青ざめる。汗をかく。視線を忙しくさ迷わせる。
「いなくなったローザを探していると話し声がしました。そしたらローザに向かって上から花瓶が降って来て…割れました」
「上から?」
「彼女は、盗もうとではなく…落ちてくる花瓶を受け止めようとしたのでは?」
「セラ」
辺境伯の鋭い視線がセラさんな向かれる。それに分かりやすく肩を震わせたセラさんは辺境伯に説明を求められるが上から降ってきた花瓶の説明をする事が出来ない。
「どういう事だ?お前がいた場所と関係があるのか?ローザの頭の怪我も、上から降ってきた花瓶によって作られたなら上から誰かが投げた花瓶をローザが受け止めようとした…と言う事か?」
「えと、それは…その…」
狼狽えるセラさんに周囲が冷たい視線を向け始めたが、彼女はそこでハッとしたように言う。
「でも!謝りましたよ!申し訳ございませんって!花瓶を割った謝罪です!自分の罪を認めて謝ってるんですからやっぱり犯人はこいつです!」
そう言って勝ち誇ったように笑ったが、辺境伯は私に冷静に尋ねる。
「ローザ。何故、謝った」
「……花瓶を」
「花瓶を?」
「守れなかった謝罪です…」
受け止める事が叶わず申し訳ございません。
そう、頭の怪我をそのままに私は辺境伯に向かって頭を下げた。
「…なるほど。そういう謝罪か。ローザ、お前は花瓶を盗もうとしたか」
「いいえ」
「花瓶はどうしてこうなった」
「……」
「言え」
「……上の階にいた…」
その瞬間止めろと怒声が響きセラさんに思い切り突き飛ばされる。あまりに怒り狂った姿に周囲が唖然としたがすぐに取り押さえるように周りが動いたが、床に撒かれた汚水に彼女は自分が言ったように足を滑らせて、花瓶の破片が散らばる床へ転びそうになった。
「…セラさん!」
それに躊躇わず私は彼女がガラスの破片が飛び散る床に体を貫かれないように下敷きになら。正面から転ぶ彼女を受け止めて背中にガラスが刺さる痛みに声を上げる。周囲が悲鳴を上げて慌ててセラさんを取り押さえて私を助ける。
「ローザ!すぐに医者を!」
辺境伯が私を抱き上げて流れる血を止めようとする。他の使用人も慌てて医者を呼びにかかりもう花瓶どころではないだろう。
「ローザ!あなたどうして庇ったの!」
「破片は深く刺さってないからしっかり!」
「お医者様が来るからね!」
当初、腫れ物のように扱っていた私にどんどん心配の声が上がる。
「…こんな怪我、平気です。今さら増えても…」
心配する彼らを安心させるように笑う。そんな私に向ける視線はどんどん変わる。
セラさんありがとうございます。
あなたが私を嫌っているおかげで私への印象が変わりました。
あなたとのお喋りの時に二つの足音が聞こえたのです。ラーナさんとレオさんですね。
決定的な瞬間を見て貰うために不自然の無いように移動して私の頭に花瓶が当たる瞬間を見て貰いました。
しかもおまけにあなたを庇う事で更に罪人と言う事実が本当か薄れてきたでしょうね。
それなら傷の一つや二つの、大した事の無い。
私は誰にも見えない心の中で笑っていた。




