第二章
息を吐く。背筋を伸ばす。目を一度強く閉じてゆっくり開き召使としてお世話になるお屋敷へと一歩踏み出す。
「ごめん下さい」
ノックをして声をかけると扉がゆっくりと開き中から年配の女性が顔を見せる。
「どなた?」
「私本日よりお世話になります。王都から参りましたローザ・ミランジェと申します」
私の名前にハッとした表情の女性にたいして私は深く頭を下げた。
「こちらがその書状です。ご確認いただけますか?」
家からこの辺境伯の召使として使って貰うようにとある書状。周囲からすれば厄介払い、悪女を追放したような形である。
この辺境の地までは私の話は届いていないのか、いや流石に仕える事になった屋敷には私の話や何があったか届いているはずた。
「…旦那様に確認して参ります」
「お願いいたします」
荷物を持ったままその場に立って待っていると暫くしてから扉が再び開き中から出てきたのは背の高い、お顔に大きな傷のある男性だった。
(この方が)
ハリソン辺境伯なのだろう。
「あなたが」
「はい。お初のお目にかかります。私、ローザ・ミランジェと申します」
「事情は聞いている。中へ」
「よろしいのですか?」
「このまま外に放り出して民に危害でも加えられると困るからな」
「なるほど…」
屋敷に招き入れる前に私の事を頭の天辺から爪先までよく観察している。顔の傷も遠慮せずに見つめており観察が終わると扉を開けて中へと入るように促すがここでまず自分の状況の確認だ。
「…ハリソン辺境伯…で、お間違い無いのですね」
「そうだ。俺があなたを引き受けたハリソンだ」
「それでは私の事を詳しく聞いていると思います。初めに対応して下さった方の様子を見るに…屋敷で働かれている方皆様が私の事を知っておいででしょう」
「そうだな。あなたの事をよく知り警戒するように言っている」
「…はい。私のような者を引き受けて下さり感謝致します…」
深く深く頭を下げてようやく屋敷の中へと足を踏み入れる。
私が中に入ると周囲の視線が集まる。辺境伯の後ろを静かに歩き時折俯いて見せる。小声で話す声も聞こえるが耳まで塞ぐような真似はしない。
どうやら私は屋敷の角の部屋を一人で使わせて貰えるらしい。中はベットとテーブルセット、ランプのみ。十分な設備がある。基本的には使用人達は相部屋が基本だが私と相部屋になる事は断固拒否され物置を掃除して一人部屋を作ったと言う事らしい。当たり前だ。私だって人を毒殺しようとした女と同室なんてごめんだ。
「ローザ嬢」
「ローザで結構です。私は今ただのローザですので」
「…ローザ。悪いが荷物の中身を確認させていただく」
「勿論です」
部屋に着いて辺境伯が私の荷物を確認し始めた。ここで問題を起こす事は許されないだろう。辺境伯は私の荷物、服、本、そして下着が見えた時に目をしかめて私に確認して来たが頬を赤らめて頷いた後に私は目を逸らす。
荷物の確認は終わり私に返されると今後の事を説明される。
「明日からはもう使用人として働いてもらう。万が一手を抜いたり他の使用人とトラブルを起こした場合は即刻ここを出ていってもらう」
「はい。承知しました」
「そしてあなたが屋敷内にいる時は一人にならないように必ず誰かの目が届く位置にいてもらう。他の使用人達に何処にいるか逐一報告してもらっておくようにしてある」
「はい。構いません。むしろそうして下さい」
「それと…あなたは王太子妃毒殺未遂の犯人とされている。ただ目撃情報が身内のミディア公爵令嬢のみで証拠もみつかっていない。そしてミディア公爵令嬢とリアム王太子の温情で牢獄には入れられていないが…」
「はい…」
「先ほど言った仕事の手を抜く、他の使用人とのトラブルを起こした場合、出ていかせると言ったがその場合の行き先は牢獄になる」
「……はい」
「あなたは今、罪を犯した身であるが人の情けによってここにいる事が出来る。それを努々忘れぬように」
「はい。ハリソン辺境伯…そのお心に感謝致します」
「それでは今日はもう休め。明日からしっかりやるように…後部屋からは出ないように」
扉が閉まり久し振りに一人きりになる。
ハリソン辺境伯、この地の民には信頼を得られていて本人は実際に会ってみたところ何とも真面目そうな遊ぶことなど知らない武人と言ったところか。
にしても私の下着を見たぐらいで分かりやすく顔をしかめる辺り、女性関係は少ないのかもしれない。ご結婚もされていないのだろうか、功績があり地位もそれなりのため選べる程に寄って来るような者だろう。
(でも目は鋭いこと)
射貫くように見つめて私の事をしっかり警戒していた。もし私が何か粗相をすれば彼は間違いなく私を切り捨てるように牢獄へ向かわせるだろう。
ちなみに牢獄に行ったらすぐに断頭台に上がる事になりそうな気がする。王太子妃毒殺未遂で情けを受けて外にいるのに何か事件を起こしたなら「やっぱり殺しておこう」となるのは当たり前だ。
まあそんな危ない女を任せられる程に信頼されているのなら、ハリソン辺境伯の信頼を得られれば私が本当に罪人かどうか迷いが出てくるだろう。
「ん?」
そう考えていると扉がノックされる。
「はい」
「後夕食です。扉の前に置いておくので」
「まあ…ありがとうございます!」
「……」
初めに扉を開けてくれた年配の女性だろうか。扉の前に置かれる音がして足早に部屋の前から去る音が聞こえなくなったらゆっくりと扉を開けてありがたく用意してくれた夕飯を受け取る。
やだ嬉しい。
食事と言ったら今までカビの生えたパンのカビを取り除いて食べたり腐りかけの野菜の食べれる部分を食べたり何日前のスープか分からない物ばかり食べていたのに…目の前の用意してくれた夕飯はカビの生えていないパンに湯気が立っている温かいシチュー。しかも清潔な水まで用意してくれるなんて。
こんなの学校の食堂でしか食べた事がないわ。
お腹をこんなに満たしてくれるなんて私、来たばかりだけどここを好きになりそう。
温かい食事で温かいお腹になって、ベッドへと横になる。
「…すごいわ!ベッドに寝ても埃が舞わない!」
思わず寝てすぐ起き上がり口に出してしまった。
「…と言うか…私専用のテーブルと椅子もあるのよね…?ここに持ってきた本を置いて…ランプをあるわね。しかも床も綺麗だわ!家の部屋よりずっと綺麗だわ!」
埃が舞うベッドじゃない。シーツだってつぎはぎだらけではない。テーブルと椅子があるから床に這いつくばった状態で勉強をする必要も無いのだ。
どうしよう。私、今罪人の状態なのにこの状況の方が家より良い環境だわ。
それに部屋の外から私への罵詈雑言が飛んで来ないもの。
「旦那様」
「クレアメイド長、彼女は?」
部屋から出ないように命じている使用人・ローザへ夕飯を運んだメイド長のクレアが戻って来た。様子を聞くと何やら難しい顔で話してくれる。
「用意した夕飯を残さず食べて…大人しくしているのですが…」
「ですが?」
「…部屋から“こんな良い部屋なんて!”とか…“床に這いつくばらなくて良いのね!”とか…喜んでる声がしています」
「…どういう事だ?」
「分かりません…演技しているのでしょうか…」
「そんな演技するか?」
「分かりません。怖いです…」
「すまないな…皆には決して危害を加えないように見ておくから」
「はい…」
メイド長を下げて改めて確認する。
王太子妃のロザリア様が倒れたと聞いた時は事件か事故かと調べられていたが、何とその原因は自らを王太子妃にするためにロザリア様と同年の少女が起こした事件だと言う。
ただ目撃情報のみで証拠も無かったため犯人と断定するのは難しいと、しかし事件を目撃した少女は周囲から絶大な信頼を得ていたため証拠は無くとも犯人はこの目撃者の双子の姉と言う事で決まったようなものだった。
犯人だと言われた時、彼女は違うと否定したが聞き入れられず女としての尊厳を奪うように顔を傷つけられた。
実際に見てみると十代の女性が一生背負うにしてはあまりにも深い傷をさらけ出して彼女はやって来た。もっとその傷を隠すように周囲から隠れるようにやって来ると思ったが…真っ直ぐこちらを見据えており、途中で何かあったのか涙の跡があった。
深入りするのは良くないとその涙の跡は聞かずに案内したが、荷物はあまりにも少ないし本人の体つきは随分貧相だった。
事件を起こしてから心労で痩せたのかどうか分からないが元とはいえ貴族であったのだから良いものを食べているはずなのに、この地の平民の少女の方が肉付きがいい。
加えてメイド長が聞いた与えられた部屋を喜ぶ声。
本来ならこんな部屋と嘆くのを予想していたが…。
「妙な女が来たな…」
次の日から使用人としての仕事が開始した。与えられた制服は刷りきれていない。穴も空いていない。未使用の服を貰えるなんて感動してしまう。
「これ、着ていいんですか?」
「今までドレス着てたからそんなの着たくない?」
「いいえ!嬉しいのです!」
「は?」
新品の服に感動してしている私を呆れた目で見ているのは私の仕事の指導をすると言う先輩の使用人のラーナさんだ。女性の中では背が高く鋭い顔つきをしており今日会ったばかりだがずっと私を睨み付けている。
「本当わね。あなたみたいな人この屋敷にはいれたくないのに…旦那様がお優しいから」
「はい!私を受け入れてくれてありがとうございます!」
「大体貴族でしかも罪人なんて…何かしたらすぐに旦那様に言うからしっかり働くように。貴族だったから出来ないなんて通じないわよ」
「はい!何なりと…!」
「あと早く着替えて。いつまで制服眺めているのよ」
「あ、失礼しました」
新品の服に袖を通す。こんなにも綺麗なのを私が着てもいいのだろうかと思いながらラーナさんの仕事を教えて貰う。
まずは掃除。
お屋敷の角から角までいつも使用人達で掃除しており塵一つ無いように心がけている。床を掃いて水拭きをして窓を拭く。
家よりも楽だ。
自分の身の回りをどうかしてくれる使用人などいなかったどころか家では私を使用人の代わりにする事が当たり前だった事もあり、家事や掃除は慣れたものだ。
むしろこんな綺麗な掃除道具を与えて貰った事はなかったので家では床を拭く物を欲しいと言ったら服を切ってそれで拭けと言われたり冬でも冷たい水で当たり前に洗っていたからとにかく辛い労働でしかなかったが、ここではそんな事は無い。
「…あ」
そう綺麗な服と綺麗な掃除道具で意気揚々と任された仕事をしていると視線を感じる。顔を上げて見ると初めに言っていた通りにハリソン辺境伯が私を監視していた。頭を下げてそのまま掃除を続けると他の者に監視を変わってもらい姿を消した。
(そのまま見ていても良かったのに)
その方が私が真面目に仕事をしているのが分かるだろう。まあ他の監視員にもこの姿を見て貰いとにかく信用を得よう。
ひたすら掃除に集中していくと元からきちんと掃除が行き届いて綺麗ではあるがそこから皿に輝くように私は掃除をし続けた。
「ローザ」
「はい」
「…もう終わりそうなの?」
「あ、はい。他には何処をお掃除すればよろしいでしょうか?」
すっかり集中しているとラーナさんが私を呼び掃除を止めて私が担当した箇所を確認している。その光景を見て思い出すのはお母様が私が掃除を終えた箇所を見て汚水の溜まったバケツをひっくり返して「まだこんなに汚いじゃない。もう一度やり直しなさい」と笑いながら言った事だ。
お母様にとどまらず、私が家事を命じられた時は使用人もそうした。お母様と同じ様に掃除を終えたと言えばわざと汚れを作り「お嬢様?全然出来ていません」と言ったり、お茶を淹れろと言われて持っていくと熱いカップをひっくり返して火傷をしそうになりその床にひっくり返されたお茶を私が掃除する。
(まあやり直しを命じられてもまたひたすらやればいいだけよね)
「まあいいわ」
「…はい?」
「きちんと出来てる。私の担当している部分がまだ残ってるからそっちを手伝って」
「え?よろしいんですか?」
「何がよ」
「掃除を終えた床に汚水をひっくり返してやり直しを命じたり、掃除用具を取り上げて素手や着ている服で全て掃除をやるようにとか…言わないのですか?」
「……はぁ?」
きっとそう言われると思われた。
家ではいつもそうだったしきっとここでも同じ様にされると思っていたのに彼女は汚水をひっくり返す事もしなければ私の掃除を確認して問題ないと判断したのだ。
「あなたなに言ってるの?そんな事するわけ無いじゃない」
「え?しないんですか?」
ラーナさんが眉間に皺を寄せて信じられない者を見る目で私を見つめていた。
「……だから、しないって…何でそんなわざわざ綺麗した箇所を汚す真似をするの。頭おかしいんじゃない?」
いいからさっさと手伝ってと言われて私は拍子抜けのままラーナさんの掃除を手伝う。綺麗な掃除道具で掃除をするのはやはり心地いいものだ。視界に入る服も相変わらず清潔そのもので私はラーナさんの掃除を奪うようにして仕事をしてしまい気付くとまたラーナさんは私を信じられない者を見るような目で見つめていた。
「…他にどこか掃除をする箇所は」
「ここはもういいから庭に草むしりに行って」
「分かりました!」
外へと出てよく手入れをされている中庭で草むしり。ハリソン辺境伯の視線は感じられる。大丈夫ですよ、私怪しい事はしませんから。
本当によく手入れをされている。雑草を素手で一つ一つ抜いていき時折虫が出てくる。
「あら可愛らしい事」
小さな虫を愛でているとそれをお目当てにか野鳥が飛んできて虫を食べてしまう。懐かしい、家にいた頃に私の部屋の小さな窓に野鳥が止まり可愛らしくて仲良くなりたくて自分の僅かな食事を与えて仲良くしていたが、ある日その野鳥が羽を挘られて死んでいるのを見つけてしまった。
あれはきっと、私が野鳥と仲良くしているのを見た家族がそうしたのだろう。
あの家族は私の何もかもを奪って傷つけて自分達が笑うための道具か玩具かと思っていたのだろうか。
でもここなら私が愛でても誰も構わないだろうかと思い小さな野鳥に手を伸ばしてみると驚くことに私の手に止まり愛らしい鳴き声を聞かせてくれた。
「旦那様。掃除終わりました」
「ご苦労様…それで今は草むしりか」
「はい…日に焼けるし嫌がるかと思ったのですが喜んで草むしりに行きました」
確かに嫌がりながら草むしりをしている様子は無い。驚くことに虫も平気で触り野鳥と遊んでいる様子も見えた。
「掃除も…貴族だしやり方も知らないだろうと思っていたのですが…むしろ生き生きと掃除をしてて」
「どういう事だ…?」
「分かりません…しかもおかしな事を言いますし」
「おかしな事を?」
「掃除を終えて驚くほどに綺麗にしてくれたので自分のところを手伝って貰うように言ったら…」
汚水をひっくり返してやり直しを命じたりしないですか?なんておかしな事を言うんです。しかも本気の顔をして。
「私、何を言ってるか分からなくて引きました」
「…本当に罪人?来る途中で刷り変わったとかじゃないか?」
「確かに…馬車で来る予定が荷馬車で来たようですし」
「…本当に本人か調べてみるか」
貴族の令嬢が掃除や家事など喜んでやるはずがないのだから。




