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人魚願望  作者: 陽花紫


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2/3

本編

 砂浜に打ち上げられたその男を一目見た瞬間に、ガイは言葉を失った。

 それは幼い頃から何度も見てきた夢と、あまりにも同じ光景であったのだから。


 波打ち際に倒れている男、それを抱き上げるこの腕。

 濡れた髪と、細い体。弱々しく上下する薄い胸。


 夢の中では、いつも顔がはっきりとしなかった。

 けれど、今は違う。

 現実の男は、青白いような顔をしてかすかに息をしていたのだ。


「……嘘だろう?」


 ガイは急いで、男の身を抱き上げた。

 思ったよりも軽く、なぜだか胸がざわついた。


 そして男は、不思議なことを尋ねていた。


「男が、男を好きでも……。生きていけますか?」


 一瞬、思考が止まってしまう。

 この世界は、いいや。この場所では、誰でも等しく平等であり、性差などさほど気にも留められない。


 ――夢の続きを、生きている。


 助けた男は、ひどく怯えたような目をしていた。

 何も言葉にしなくも、その身に何かがあったことは明白だ。


 ガイは落ち着かせるようにその背を撫で、呼吸が整うまで辛抱強く待っていた。


 恐らくこの男は、どこかから逃げてきた。そして、助けを必要としている。

 それは、夢と同じであった。


「きっと、これは運命だ」


 それから、ガイは甲斐甲斐しく男の世話を焼いていた。

 怪我をした足を洗い、魚を焼き、夜は毛布をもう一枚かける。


「……すみません」


 そう男が眉を寄せて呟くたびに、ガイは首を振っていた。


「気にするな。放っておけないだけだ……」


 本当は、違っていた。

 放っておけなかったのは、この男が夢そのものでもあったからだ。


 そして、もう一つ。

 一目で、ガイは男に恋をした。


 男がその微笑みを見せるたびに、なぜだか胸が苦しくなる。

 近くにいるだけで、手のひらが熱くなる。

 だが、その想いを打ち明けるようなことはできずにいた。


 この男が、どのような過去を背負っているのか。

 誰を好きになってきたのか。

 それを知らないまま、自らのその気持ちを押しつけることが、怖くもあったのだ。


 一方で、男もまたガイと同じような気持ちを抱いていた。

 ガイの広い背中を目にするたびに、胸が締めつけられていく。

 魚を抱えて浜を歩く姿、火を起こす大きな手。


 夜、眠る前には寒くないかと声をかける低い声。


 夢の中でその身を抱き上げていた男と、現実のガイとが重なっていく。


 けれど、何も言えずにいたのだ。


 ――俺は、追放された人間だ。誰かを愛する資格なんてない。


 そのような日々が続いた、ある日。

 大きな嵐がやってきた。


 漁師であったガイはその日、いつもと同じように漁へと出ていた。

 だが、いつまで経っても戻る気配がなかった

 不安がその胸を満たし、気づけば男は浜へと駆け出していたのだ。

 荒れる海、打ち寄せる波。

 その中に、転覆した舟のようなものが見えていた。


「ガイ……!」


 大きく叫んだその瞬間、波間に人影が浮かぶのが見えた。

 考えるより先に、男は海へと潜り込む。

 冷たい水。引きずり込む潮。

 それでも、男は腕を伸ばし続ける。


「ガイ……!」


 掴んだ手は、確かにまだ温もりが存在していた。


 砂浜に引きずり上げると、ガイは咳き込みながら目を開けた。


「……どうして、来たんだ」

「だって、ガイが……!舟が……!」


 その声は、ひどく震えていた。

 ガイは男のその形相を目の当たりにして、息を詰める。


「……俺は、ずっと夢を見ていた」


 そう、呟いた。


「男を助ける夢だ。顔は、見えはしなかった。でも……今ならはっきりとわかる。お前だったんだな……」


 男の目から、涙がこぼれた。


「俺も……。ずっと、助けられる夢を見てたんだ……」


 二人の夢が、今、同じ場所でやっと重なった。


「……離れたくない」


 ガイの声は、掠れていた。


「お前を失うのは、もう嫌だ」


 男は、ガイの服をがしりと掴んだ。


「俺も……」


 それ以上、言葉はいらなかった。


 ガイの手が、静かに頬へと伸ばされる。確かめるように、ゆっくりと。

 互いの唇が重なったその瞬間、海の音が、遠くなる。


 ――夢じゃない。逃げ場でもない。


 ここは、男たちが選んだ場所。

 助けられた人魚と、救う夢ばかりを見ていた漁師は、現実の海辺で互いを見つけた。

 それは偶然ではなく、長年続いた願いの行き先でもあったのだ。


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