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人魚願望  作者: 陽花紫


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1/3

はじまり

 幼い頃から、同じ夢を何度も見ていた。


 砂浜に打ち上げられた俺を、誰かが抱きかかえて歩いていく夢だ。

 その腕はたくましく、胸に顔を埋めると、低く規則正しい鼓動が聞こえた。

 波の音と混ざって、それはまるで子守唄のように。

 夢の中の俺は、抵抗も何もしない。

 ただこの身を委ねて、目を閉じるだけ。


 ――助けられたい。俺のことを、見つけてほしい。


 まるで、御伽噺に出てくる人魚のようなその願望。


 目が覚めるたびに、胸の奥にその感覚だけが残っていた。

 この土地では、同性を愛することは禁じられていた。

 だから俺は、親に勧められるまま異性と付き合い、これまで普通の男を演じて生きていた。


 恋人に夢の話をすれば、決まってこうして笑われる。


「ほんと、夢見がちなのね……」


 そう言われるたびに、俺は曖昧に笑い返す。


 本当は、言うことができなかった。

 夢の中で俺のことを抱いているのは、男であるのだと。


 しかもひどくはっきりした体つきをした、凛々しい男なのだと。

 現実では、俺は息を潜めるようにして生きていた。


 けれど眠りにつけば、俺は素直になれていた。

 まるで陸に閉じ込められた人魚が、夢の中のそのひとときだけ海に帰ることができるように。


 ある日、俺はとある男に呼び止められていた。

 恋人と別れたその後で、そこは、人気のない裏道だった。


「お前も、そうなんだろう?」


 近づいてくる距離に、なぜだか嫌な予感がした。

 拒もうとしたものの、腕を掴まれ壁に強く押しつけられていた。


「お前も、俺と同じだ……。男を欲している目をしている」

「やめろ……!」


 咄嗟に出た声は、弱々しく震えていた。


 そのときだった。


「何をしている!」


 しわがれた声が、辺りを切り裂く。

 振り向けば、この土地の長が立っていた。


 汚らわしいものを見るような目をして、俺たちの姿を見て杖を振り上げた。

 男は、一目散に逃げていく。

 取り残されたのは、杖による打撃を受けた俺だけだった。



 翌日、俺は断罪されていた。


「禁忌の関係にある者」

「この土地を汚す存在」


 そう言われて、俺は追放を命じられた。


 恋人だった異性は、俺を見ようともしなかった。

 村の人間たちは皆、避けるように道を空けた。

 俺の居場所が、音を立てて崩れていく。

 それでも、ある一人が声を上げた。


「見逃すのか!」

「殺せ!」


 その言葉に、男たちが走り出す。

 俺は追っ手から逃れるように山を越え、気付けば川沿いを走っていた。

 やがて足がもつれ、石に躓き、そのまま濁流へと飲み込まれていく。

 冷たい水、重くなる体。


 意識が遠のく中で、ふと、あの夢が浮かんでいく。

 熱い砂浜、抱き上げる腕。

 規則正しい心臓の音。


 ――また、夢か。


 そう思ったところで、何もわからなくなってしまう。


***


 次に目を開けたとき、視界はやけに白かった。

 砂の感触、潮の匂い。

 そして本当に、誰かに抱き上げられていた。

 夢と同じ、たくましい腕。濡れた髪から滴る水が、俺の頬に落ちていく。


「……生きているな……」


 低く、落ち着いた声だった。

 目を上げると、日に焼けた肌の男がこちらを覗き込んでいた。

 筋肉質で、凛々しい顔立ち。それは夢の中の男と、あまりにも似ていた。


「ここは……」

「海辺だ。おおかた、流されてきたのだろう」


 男はそう言って、俺をそっと砂の上へと下ろしてしまう。

 だが、すぐに離れるようなことはしなかった。


「無茶をするな……。死ぬところだったんだぞ?」


 それは、責めるような声色ではなかった。

 ただ、確かめるような声をしていた。


 俺は、胸に残る鼓動の感触を思い出していた。

 それは夢と、同じだった。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


 そう言うと、男は少しだけ目を細めた。


「礼を言われるほどのことじゃない」


 その背後には、見知らぬ家々と広い空が広がっていた。

 その光景に、息を呑む。

こ こは、俺を追い出した土地とは違う場所でもあったのだから。


「……ここでは」


 俺は、言葉を探しながらこう尋ねた。


「男が、男を好きでも……。生きていけますか?」


 男は一瞬、黙った。

 それから、短く笑ってこう言った。


「そのようなこと、誰も気にしない」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。


 助けられたのは、この体だけじゃない。

 俺は現実ごと、ここへと流れ着いたのだ。

 あの夢は、逃げ道じゃなかった。

 この俺が辿り着く場所を、ずっと教えてくれていたのだ。


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