新たな旅の始まり
「それでなんていったけ、これから行く場所の名前?」
気持ちよさそうに風邪に当たりながら、マラートが訪ねてきた。乗船前に、マリカのやつから貰った怪しげな薬はそれなりに効果があったらしい。こいつには、後で必ず金貨一枚分稼いできてもらおう。そう決めた。
「シュタルカンツォ大陸――主にシュタルクとアンツォという二大強国が収める場所さ」
「大陸中央部は広い砂漠が広がっててね、未だに複数の国が乱立しているみたい」
「この船はシュタルク国のエンジーという港町に向かってます」
俺の後に、それぞれザラ、タークが流れるように続いた。そして、満足げに頷くマラート。
ほかの仲間はと言えば船室にいるはずだ。そこでちょっと面倒くさい事態と向き合っているはず。俺たちは、まあ端的に言えば逃げてきた、ということになる。
長い間休航状態だった定期船がようやく再開されたこともあって、船にはかなり多くの人が乗っていた。本当は、もうチケットは売り切れていたのだが、そこはそれ。うまいこと、マリカに融通してもらったというか……。頑張れ、姫様。お前が今は勇者だ。と心の中でエールを送っておく。
「なんかうまいこといってエンジーで手掛かりがつかめればいいんだけどなぁ」
「ゼルシップよりも大きいらしいけど、どうかしら。やっぱり首都のヴァイザゴンまで行かないとダメだと思うけどね、ザラは」
「お前もキャサリンと一緒で、大きな街を見たいだけじゃないのか?」
「アハハ、バレた? 世界でも有数の大都市だって聞くしさー。アンツォのドナシアと双璧を成すんだよ!」
「ほー、それはなかなか楽しみだ」
「はい、僕もワクワクしてきました!」
「お前らなぁ……」
全くのんきなもんだ。こちとら入れ替わりについて肝心な情報は手に入っていないっていうのに。それに、魔王城にいる女性たちや親父のこともある。……うまくやっていることを祈るしかない。
しかし、海上はとても穏やかだ。まあ、あの化物ワニを退治したんだ。そう簡単に魔物に襲われたら、溜まったもんじゃないが。
海にも当然魔物はいる。魔界じゃないから、当然ってのはおかしいが。まあ、陸のようにこそこそと隠れて暮らしていた。近頃は、魔王のせいで……とにかく、凶暴化しているみたいだが。
だから、こうして順調に船が進んでいるのが意外だった。きっと何か細工がしてあるんだろう。そうでなきゃ、通商が成り立たない。
「ママも来ればよかったのに」
「嫌だよ、俺は。旅先でもしょっちゅう怒られる羽目になる」
母さんはマギアルクスに残っていた。あっちでも何か手掛かりがないか引き続いて探してくれるらしい。あんまり期待するな、とは言われたが。
「確かに、アルスに対してやけに厳しかったな、お母様」
「勇者家はスパルタ教育をモットーにしてんのさ」
「それ、おにいだけね。パパもママもザラには優しかったから」
「ま、長男ってのはそんなもんだよな」
「そういえばマラートさんはご兄弟は?」
「上に一人いる。じゃないと、仮にも町長の息子がこんなフラフラできないさ」
なるほどそういう事情があったのか。この男もちゃんと考えてはあったらしい。ちょっとだけ見直した。
しかし、なかなか退屈である。もう何時間かは、こうして洋上で退屈な時間を過ごさないといけないなんて。
うんざりしすぎて、俺は思わず天を仰いだ。燦々(さんさん)と輝く太陽がそこにはある。……しかし思えば、一方ではこうした穏やかな時間は久しぶりだとも思うのだった。
*
港町なんて、どこも変わらないだろう。そう高を括っていた自分がどこかにいた。しかし、その認識はすぐに改めることになった。
エンジーという街は、確かにゼルシップとは比べ物にならないほど大きい。ここからでも、背の高い立派な建物がいくつか見えた。
港には船が停泊する場所が十数はある。待合室と思われる建物は大きいし、それはいくつもあった。
赤いバンダナを撒いた船乗りたちがせわしなく働いている。遠くに見える船のドックもかなり大きい。
さて、それを目の当たりにして――
「ふふん、まあなかなかよくってよ?」
鼻を鳴らして、プライド高そうに笑う女が一人。それはどこまでも虚勢にしか見えなかった。
「やあこれはなかなかですな~」
「どこかの誰かとは違って、キャサリンさんは素直だね~」
「それはあたしのことを言ってるのかしら、小娘?」
「そういう風に聞くってことは、自分の町が巻けてるって自覚があるんじゃないの? 高飛車女!」
「だ、ダメですよ、二人とも。静かにしてください。恥ずかしいです!」
ソフィアがそういうのもわかる。バカ二人がいきなり大声を出すもんだから、通行人が何事かとこっちに視線を向けてきた。
全くいい育ちをしてるんだから、ちょっとは弁えろよと思わないこともない。ゼルシップ一番の金持ちの娘が聞いて呆れる。
――そう、マリカが俺たちについてきていた。それが、船に乗らせてもらう条件でもあったのだ。この女兼ねてから世界を旅したいと思っていたらしい。
そのために、魔法を独学で身に着けまでしたというのだから、えらい努力家だ。どこかの魔法の町のスパルタ女性が見たら泣いて喜ぶことだろう。
俺たちに拒否権はなく。あろうことか、断るなら二度と船には乗せないとかのたまいだした。こんなことなら、こいつの屋敷によるべきではなかったと思うのは、全員一致の見解だろう。
「さ、もういいですよね? 約束は果たしたはずです」
彼女が俺たちについてきたのは、あのお付きのものを納得させるため、ということだった。つまり形だけでも、俺たちは彼女の護衛係になったわけである。
当然、こちらにそのつもりはなく。ただでさえ、大所帯。しかも事情が事情だけあって、これ以上旅の仲間は要らなかった。
ということで、その場限りのボディガードになったのだが――
「あのねぇ。こんな可愛い娘を、こんな雑多な街に、一人残していくわけ?」
「……おにい、ザラ、すっごい嫌な予感がするんだけれど」
妹は俺の袖を引っ張ってきた。そして、その低い背を目いっぱい伸ばして、耳の近くで囁きかけてくる。
「奇遇だな、俺もそう思う」
ちらちらと、生意気なお嬢様の顔を見ながら俺は答えた。彼女は睨むようにしてこちらを見てくる。
「あたしもあんたたちの度に連れてきなさい!」
すると怪訝そうな顔をして姫様もこちらにやってきた。げんなりしているのは……きっと船内で散々揉めた後だからだろう。
「知ってたのか?」
「説得は試みましたっ!」
「……移動魔法で無理矢理連れて帰ろう」
「それ、名案ですね!」
ぱちんと指を鳴らす姫様。そしてそのまま怒れるマリカお嬢様の側に近づいていく。しかし――
「おっと! 待ちなさいな、あんたたちの秘密、ばらすわよ?」
「秘密? いったい何の話でしょう?」
平然と言ったつもりだったが、内心ドキッとしていた。彼女の目は力づよい。まさか本当に核心に迫っているわけではないだろう。
一体何を知ってるというのか……。俺と姫様の入れ替わり、あるいは、タークとキャサリンの正体……さてどっちだろうか。
「あなたがラディアングリスの王女だってことよ」
「何を馬鹿なことを――」
「みなさーん! ここに――」
叫び出そうとする彼女の口を俺は慌てて塞ぎにかかった。またしても、通行人の視線が集まる。なんで、来て早々問題を起こさないとならんのか。本当に困ったものだ。
そんなもの撥ね退けてしまえば、と思うのだが。一番厄介なのは、何かの間違いでそれがラディアングリス国王の耳に入ってしまうこと。そうなると、これからの旅はとてもややこしいことになりかねない。
となるとやはり――
「……わかりました。とりあえず色々と説明することがあるから、しっかり話し合いましょう」
「それがいいと思うわ。とりあえず適当な宿を取りましょう。もちろん、お金はあたしが払いますとも!」
その言葉に、目を丸くしたのはタークだった。……はっきり言って、金銭事情はとてもまずかったわけで。それは願ってもない申し出だった。




