第8話
ザイラスの巨体が限界まで膨れ上がる。圧倒的な破壊の予兆を前に、俺は刃こぼれした鉄剣を強く握り直した。
奴の狙いは俺たちへの直接攻撃か、それとも周囲一帯を巻き込む無差別な爆発か。どちらにせよ、ここで食い止めるしかない。
俺は重心を落とし、迎撃の構えを取った。
「貴様らごときに、我が後れを取るなどあり得ん!」
ザイラスの口から血混じりの咆哮が轟く。
だが、奴が振り上げた極太の双腕は、俺たちへ向かって振り下ろされなかった。
ザイラスは身を翻し、道場の裏山方向へ向けて、渾身の力で拳を地面に叩きつけたのだ。
ドゴォォォォンッ!
鼓膜を破るような轟音と共に、大地が激しく隆起した。
凄まじい物理的な衝撃波が地表を割り、一直線に裏山へと走る。
そこは、俺が毎日素振りをしていた『古の換気口』がある場所だった。
「王都ごと沈めてくれるわ!」
ザイラスは狂ったように叫び、自らが穿った巨大な地割れの中へ、躊躇いもなく飛び降りていった。
土煙が舞い上がり、足元の地面が不気味な地鳴りを上げ始める。
「な、何が起きたんだ……!」
ヴィクターがよろけながら叫ぶ。
俺は舌打ちをした。奴の狙いが最悪の形で読めてしまったからだ。
「地下水路だ。奴は王都の地盤を支えている地下の空洞を破壊し、街全体を陥没させる気だ」
前世の記憶が脳裏をよぎる。
あの換気口の奥は、王都の地下水路の致命的な侵入経路に直結している。
魔法消失の混乱に乗じて魔物の大群が押し寄せた前世でも、あそこから地下へ侵入され、地盤を崩されたことが王都陥落の決定打となった。
ザイラスは追い詰められた末に、自らの命と引き換えにしてでもこの街を道連れにする腹積もりらしい。
「ヴィクター、お前たちは地上に残れ。これ以上の崩落を防ぐため、市民を安全な場所へ誘導しろ」
「アレン殿はどうするつもりだ!」
「俺は地下へ行く。奴の破壊工作を止める」
言い捨てて地割れへ向かおうとしたその時、背後から蹄の音が響いた。
振り返ると、土煙を切り裂くようにして一台の馬車が乗り付けてくる。
御者台には誰もいない。馬は怯えきっていたが、手綱を握っていたのは、隙のないドレス姿の老女だった。
「お待ちを、アレン様」
馬車から降り立ったモーガンは、周囲の惨状に眉一つ動かさず、静かな声で言った。
「モーガンか。避難はどうした」
「王家と政府高官の避難はすでに完了しております。セリア殿下たちも安全な区画へお移ししました」
モーガンは淡々と報告する。
「殿下は先ほどからひどい体調不良に襲われております。周囲は高貴な血筋ゆえの魔力過多によるものだと騒いでおりましたが……あれは恐らく、あなたが以前仰っていた『闘気』が覚醒しかかっている兆候なのでしょう。今は安静にさせております」
「そうか。なら、俺が戻る頃には剣を握れるようになっているかもしれないな」
俺の言葉に、モーガンはわずかに口角を上げた。
彼女は懐から一枚の古い羊皮紙を取り出し、俺に差し出す。
「王都地下の正確な構造図です。王家秘伝の書庫から持ち出してまいりました」
「……用意がいいな」
「王家を守る最強の盾には、相応の支援をするのが私の務めですので」
モーガンは慇懃無礼な敬語を崩さず、羊皮紙の図面を指差した。
「あなたが毎日素振りをしていた換気口の奥。あそこは第五水路に直結しています。ザイラスが狙うとすれば、王都の地盤を支える『大要石』のある中央空洞でしょう。そこを崩されれば、王都の三分の一が陥没します」
「大要石か。場所は頭に入れた」
俺は図面を返し、地割れの縁に立った。
「必ず、生還なさいませ。あなたを失えば、この国に明日はありません」
「言われるまでもない」
俺は暗く口を開けた地下空間へ向かって、一気に身を躍らせた。
◆ーーーー◆
風を切る音と共に、冷たく湿った空気が全身を包み込む。
着地と同時に膝を曲げて衝撃を殺し、俺はすぐに身を隠した。
周囲は完全な暗闇だ。だが、五年間毎日換気口の前で素振りをし、地下からの風の匂いと反響音を体に染み込ませてきた俺にとって、ここは庭のようなものだった。
ズズン、ズズン……!
奥から重い破壊音が響いてくる。
俺は足音を殺し、迷路のような地下水路を駆け抜けた。
前世の記憶と、先ほどモーガンから見せられた構造図が脳内で完全に一致する。
第五水路を抜け、巨大なアーチ状の通路を曲がった先。
そこが、王都の地盤を支える中央空洞だった。
「オォォォォォッ!」
空洞の中央で、ザイラスが巨大な石柱に拳を叩きつけていた。
天井からパラパラと瓦礫が落ち、地盤が悲鳴を上げている。
大要石を支える主柱だ。あれが折れれば、王都は終わりだ。
「させない」
俺は暗闇に紛れ、ザイラスの死角から一気に距離を詰めた。
奴の巨体が放つ異様な熱気が、暗所でもはっきりと位置を教えてくれる。
踏み込みと同時に、刃こぼれした鉄剣を真横に薙ぎ払った。
「チィッ!」
ザイラスは直前で気配に気づき、腕を盾にして剣を弾き返した。
火花が散り、鈍い金属音が空洞に反響する。
「小賢しい虫けらが! 地の底まで追ってきたか!」
「お前をここで野放しにするわけにはいかないんでな」
俺は剣を構え直し、ザイラスと対峙した。
暗闇の中、奴の赤黒く発光する血管だけが不気味に浮かび上がっている。
「ならば、貴様から先にすり潰してくれる!」
ザイラスが咆哮と共に突進してくる。
俺は正面から受け止めず、空洞の広さを利用して円を描くように回避した。
奴の拳が空を切り、地面を大きく抉る。
その隙を見逃さず、俺はザイラスの膝裏へ向けて剣を滑り込ませた。
「グゥッ……!」
浅い。だが、確実に動きを鈍らせることはできた。
俺はザイラスを大要石の柱から引き離すように、空洞の開けた場所へと誘導していく。
暗闇での戦闘は、視覚に頼る魔物よりも、気配と地形を熟知している俺に分がある。
だが、ザイラスの肉体は限界を超えて活性化しており、一撃でもまともに貰えば即死は免れない。
「ちょこまかと……! 鬱陶しいわ!」
ザイラスが両腕を広げ、周囲の空間ごと薙ぎ払うような大振りの攻撃を放つ。
俺は姿勢を低くしてそれを潜り抜け、奴の胸元へ踏み込んだ。
前世の記憶にある、奴の胸に刻まれた古傷。
そこを狙って、渾身の突きを放つ。
ガキンッ!
剣先が硬い装甲に弾かれた。
ザイラスが咄嗟に腕を交差させ、致命傷を防いだのだ。
そのまま強烈な蹴りが飛んでくる。
俺は剣の腹で蹴りの威力をいなしながら、大きく後方へ跳躍した。
着地した足元で、小石が転がる音が響く。
天井からは依然として瓦礫が降り注ぎ、空洞全体が不安定に揺れていた。
崩落の危機は脱していない。時間をかければかけるほど、状況は悪化する。
「ハァ……ハァ……」
ザイラスの荒い息遣いが聞こえる。
奴の肉体も、限界を超えた負荷によって悲鳴を上げているはずだ。
ここで決めるしかない。
俺は深く息を吸い込み、静かに呼吸を整えた。
全身の筋肉を弛緩させ、意識を極限まで研ぎ澄ます。
すると、手の中にある古い鉄剣が、かすかに震え始めた。
魔力伝導率ゼロ。魔法騎士たちからはゴミだと嘲笑されてきた、なまくら剣。
だが今、その刃こぼれした刀身が、暗闇の中でかつてない鋭い輝きを放ち始めていた。
それは魔法の光ではない。
俺の体内で練り上げられた純粋な闘気が、魔力に干渉しない特殊な鉱石と共鳴し、物理的な光となって顕現したのだ。
「なんだ、その光は……!」
ザイラスの瞳に、再び理解不能な恐怖が浮かぶ。
崩れゆく地下空間で、俺は光を帯びた剣を上段に構えた。
決着の時は、近い。




