第7話
「俺の剣は、俺一人のものじゃない」
俺は仲間たちの想いを乗せ、さらなる加速を見せる。
ザイラスの巨体が揺らぐ。俺の刃こぼれした鉄剣が、奴の胸の古傷を正確に削り取っていく。
魔力に干渉しないこの剣は、ザイラスが纏う異常な魔力障壁をすり抜け、純粋な物理的破壊力だけを肉体に叩き込むことができる。
前世では決して届かなかった領域。だが今は違う。
「ガァァァッ!」
ザイラスが苦痛と怒りに咆哮し、巨大な腕を無差別に振り回した。
巻き起こる突風が周囲の瓦礫を吹き飛ばし、戦場に砂塵が舞い上がる。
奴の苛立ちは頂点に達していた。魔法を持たない人間の剣が、確実に自分の命を削っているという事実に対する恐怖。
俺はザイラスの腕を紙一重で躱し、古傷への決定的な踏み込みの姿勢に入った。
背後からは、弟子たちの剣戟の音と、彼らを支えるトビーやクロエの息遣いが聞こえるような気がした。
◆ーーーー◆
「ひぃっ……! くるな、こっちへくるな!」
砂塵の向こう側で、情けない悲鳴が上がった。
豪奢な装飾が施された鎧は泥にまみれ、かつての威厳は見る影もない。ガストンだ。
彼は腰を抜かし、這いつくばるようにして後退していた。
「なぜだ……なぜ魔法が出ない! 私の、私の魔力が!」
ガストンは震える手で杖を構え、必死に呪文を詠唱するが、火の粉一つ生まれない。
魔法消失の第2段階はすでに完了し、身体強化すら失った彼は、ただの図体の大きい案山子に成り下がっていた。
周囲では、かつて彼が見下していたアレンの弟子たちが、純粋な剣術だけで魔物と渡り合っている。
その光景が、ガストンのプライドを粉々に打ち砕いていた。
魔法がなければ、自分は何もできない。その現実を受け入れることができず、彼はただ無様に逃げ惑うことしかできなかった。
「ヴィクター! どこにいる、ヴィクター! 早く私を護れ! 貴様の命に代えてもだ!」
狂乱したように叫ぶガストンの前に、一人の騎士が歩み出た。
神経質そうな細身の騎士、ヴィクターだ。
彼の制服もまた泥と血に汚れ、息は荒い。しかし、その瞳にはかつてないほどの強い光が宿っていた。
「……お断りします、ガストン殿」
ヴィクターの静かな声に、ガストンは目を剥いた。
「な、なんだと……? 貴様、上官の命令に背く気か!」
「私たちは、この国を守る騎士です。魔法が使えなくなったからといって、民を見捨てて逃げ惑うなど、騎士の風上にも置けない」
ヴィクターはガストンを一瞥もせず、手にした実戦用の長剣を握り直した。
かつては魔法の補助としてしか使っていなかったその剣が、今は唯一の武器だった。
彼は規律を重んじる男だ。これまで上官であるガストンの理不尽な命令にも従ってきた。
だが、今のガストンには従うべき威厳も、守るべき価値もない。
「それに、あそこで戦っている彼は……かつて私たちが嘲笑した彼は、たった一人でこの絶望に立ち向かっている。彼にすべてを押し付けて逃げることなど、私にはできません」
「ふざけるな! あんな魔力ゼロのゴミに……!」
ガストンの罵声を背に受けながら、ヴィクターは残存兵たちを振り返った。
魔法を失い、絶望に打ちひしがれていた兵士たちの顔に、ヴィクターの言葉が火を灯す。
「総員、武器を取れ! 魔法がなくても、私たちにはまだこの体がある! アレン殿の盾となり、活路を切り開くぞ!」
「おおおおっ!」
ヴィクターの号令とともに、残存兵たちが一斉に前線へと駆け出した。
ガストンはただ一人、その場に取り残され、泥の中で震え続けることしかできなかった。
◆ーーーー◆
ザイラスの猛攻は激しさを増していた。
古傷への集中攻撃を嫌がった奴は、防御を捨てて強引な反撃に出たのだ。
丸太のような腕が、俺の頭上から叩きつけられる。
躱しきれない。
そう判断し、剣を盾にして衝撃を逃がそうとした瞬間だった。
「アレン殿!」
横合いから飛び出してきた数名の兵士たちが、ザイラスの腕に太いロープを巻きつけ、全力で引っ張った。
巨体の軌道がわずかに逸れる。
叩きつけられた拳は俺の数歩横の地面を粉砕し、深いクレーターを穿った。
「ヴィクター……」
砂塵の中から現れたのは、息を切らしたヴィクターと残存兵たちだった。
彼らは魔法の使えない体で、必死にザイラスの気を引こうとしている。
「遅れて申し訳ありません! 私たちも、微力ながら加勢します!」
ヴィクターが叫びながら、ザイラスの足元に斬りかかる。
魔法による身体強化がない彼らの攻撃は、ザイラスの分厚い鱗に弾かれ、ほとんどダメージを与えられていない。
だが、それで十分だった。
彼らの決死の援護が、ザイラスの意識を一瞬だけ俺から逸らしたのだ。
「上出来だ。よくやった」
俺は短く応え、地面を蹴った。
ヴィクターたちが作り出してくれた、この決定的な隙を逃すわけにはいかない。
ザイラスの懐へ深く潜り込む。
奴が俺の接近に気づき、慌てて腕を戻そうとするが、遅い。
「シッ……!」
呼気とともに、刃こぼれした鉄剣を振り抜く。
狙うは、すでに鱗が剥がれ落ち、赤黒い肉が露出している胸の古傷。
渾身の力を込めた一撃が、ザイラスの防御を完全に崩し、その肉を深く抉った。
「ギィィィヤァァァァッ!」
鼓膜を破るような絶叫が戦場に響き渡る。
ザイラスは胸から黒い血を噴き出しながら、大きくよろめいた。
俺は追撃の手を緩めない。
二撃、三撃。
神速の連撃が、ザイラスの巨体を確実に削り取っていく。
「なぜだ……なぜ、人間ごときが……!」
ザイラスの瞳に、明らかな動揺が走った。
かつてこの国を滅ぼし、人間を脆弱な存在だと見下していた大魔物。
その瞳の奥に、理解不能な恐怖が宿り始めているのを、俺ははっきりと見て取った。
魔法を持たない人間の剣が、自分の命を脅かしているという事実。
それが、ザイラスの傲慢な精神を根底から揺さぶっていた。
「終わりだ、ザイラス」
俺は剣を上段に構え、最後の一撃を振り下ろそうとした。
だが、その瞬間。
「ガァァァァァァッ!」
ザイラスが狂乱したように天を仰ぎ、異様な咆哮を上げた。
奴の全身の筋肉が異常なまでに膨張し、赤黒い血管が皮膚を突き破るように浮き出る。
周囲の空気がビリビリと震え、圧倒的なプレッシャーが戦場を包み込んだ。
「なんだ、あれは……!」
ヴィクターが驚愕の声を上げる。
ザイラスの体から、尋常ではない熱量が放たれていた。
奴は自らの命を削り、肉体を限界以上に活性化させているのだ。
このままでは、周囲一帯を巻き込む自爆的な攻撃が放たれる。
「退がれ! 全員、そこから離れろ!」
俺はヴィクターたちに叫びながら、ザイラスの正面に立ち塞がった。
奴の巨体が、限界まで膨れ上がる。
圧倒的な破壊の予兆を前に、俺は刃こぼれした鉄剣を強く握り直した。




