第4話
夜が明け、空が白み始めたその時だった。
王都の上空を覆っていた半透明の防衛結界が、ガラスが割れるような甲高い音を立てて砕け散った。
光の破片が雪のように降り注ぐ中、街のあちこちから悲鳴に近い声が上がり始める。
「な、何が起きた!」
「魔導具が動かないぞ! 身体強化も発動しない!」
ついに、予言の日がやってきたのだ。
世界から一切の魔法が消え去る「Xデー」。
結界の消失を待ち構えていたかのように、王都の城壁が轟音と共に崩落した。土煙の中から姿を現したのは、前世でこの国を滅ぼしたフィジカル特化の巨大魔物群だ。
先頭に立つのは、漆黒の重装甲を纏った大魔物の将軍、ザイラス。
奴の号令と共に、無数の魔物が雪崩を打って市街地へと侵入してくる。
「撃て! 魔法を集中させろ!」
指揮官の怒号が響くが、魔法騎士たちの杖からは火の粉一つ出ない。
彼らは慌てて剣や槍を構えるが、これまで身体強化魔法に依存しきっていた肉体は、あまりにも脆かった。
魔物の太い腕が振るわれるだけで、重武装の騎士たちが紙屑のように吹き飛ばされていく。
「ひぃっ! た、助けてくれ!」
魔法という対抗手段を失った軍は為す術もなく蹂躙され、王都は瞬く間に深い絶望に包まれた。
◆ーーーー◆
俺は道場の庭で、刃こぼれした鉄剣を静かに鞘に収めた。
遠くから響く悲鳴と建物の崩壊音が、前世の記憶を鮮明に呼び覚ます。
だが、今の俺は無力ではない。
「行くぞ。俺たちが前線を支える」
「はい、先生!」
「俺もやります!」
セリアとルークが、力強く頷く。
俺たちは崩壊しつつある市街地を抜け、魔物の群れが押し寄せる大通りへと駆け出した。
大通りでは、すでに凄惨な光景が広がっていた。
逃げ惑う市民の背後に、巨大な狼型の魔物が迫る。だが、その魔物の横腹に、鋭い槍が突き刺さった。
「おらぁっ! 立ち止まるな、さっさと逃げろ!」
怒声と共に現れたのは、歴戦の傷跡が残る厳つい顔つきの老騎士、地方領主のバルドだった。
彼は私兵を率いて駆けつけ、避難民の保護と誘導を行っていたのだ。
「バルド殿!」
「おお、お前さんか! ここは儂らに任せて、前を叩け! 魔法が使えん今、頼りになるのはお前さんの剣だけだ!」
バルドは血振るいをしながら、不敵に笑う。
「助かります。市民を頼みます」
俺は短く応え、さらに前線へと踏み込んだ。
視線の先には、建物を薙ぎ倒しながら進む、一際巨大な熊型の魔物がいる。前世で、俺の目の前で多くの命を奪ったトラウマの象徴だ。
「ルークは右翼の小型を散らせ! セリアは俺の援護だ!」
「承知しました!」
セリアの返事には、かつてない力強さがあった。
魔法消失により、彼女を苦しめていた『魔力酔い』の原因が完全に消え去ったのだ。
代わりに彼女の全身から立ち上るのは、魔法とは異なる力。純粋な生命力の結晶である『闘気』だった。
セリアが踏み込むと同時に、石畳が砕け、彼女の剣が魔物の群れを次々と弾き飛ばしていく。
「見事だ。なら、俺も出し惜しみはしない」
俺は深く息を吐き、刃こぼれした鉄剣を上段に構えた。
魔法という世界の枷が外れ、純粋な物理法則のみが支配する空間。
ここでは、極限まで鍛え上げられた肉体と剣技こそが絶対の真理となる。
「ふっ!」
呼気と共に踏み込む。
俺の身体は、かつてないほどの軽さと速さで前方に跳び出していた。
神速の域に達した踏み込みは、巨大な熊型魔物の反応を完全に置き去りにする。
魔物が太い腕を振り下ろすよりも早く、俺は懐に潜り込み、不壊の『なまくら剣』を振り抜いた。
硬い毛皮と分厚い筋肉を、鉄剣がバターのように切り裂く。
鈍い音と共に、巨大な魔物の胴体が真っ二つに分断され、大量の血飛沫を上げて崩れ落ちた。
「な……なんだ、あいつは……」
「剣一本で、あんな巨大な魔物を……!」
絶望にへたり込んでいた魔法騎士たちが、信じられないものを見るような目で俺を見つめている。
かつて「時代遅れの鉄屑」と嘲笑された剣が、魔法を失った新時代において、人類を救う唯一の希望となった瞬間だった。
俺とセリア、そしてルークの活躍により、前線に押し寄せていた巨大魔物群は次々と討伐されていく。
バルドの私兵たちも勢いづき、防衛線は完全に持ち直した。
王都は守り抜かれたのだ。
「すげえ……救世主だ……!」
「俺たちを、助けてくれた……!」
周囲から湧き上がる歓声。
だが、俺の視線は戦場の中央に陣取る一体の魔物から外れていなかった。
漆黒の重装甲を纏う大魔物の将軍、ザイラス。
奴は配下の魔物たちが倒されていくのを、ただ腕を組んで冷ややかに見下ろしていた。
「貴様ら、少しばかり小手先の技が使えるからと、調子に乗っているのではないか?」
ザイラスの尊大で冷酷な声が、戦場に響き渡る。
奴がゆっくりと一歩を踏み出すと、それだけで空気が重く沈み込んだ。
「魔法を失った脆弱な人間どもよ。我らが高位の存在に刃を向ける愚かさを、その身に刻んでやろう」
ザイラスの全身を覆っていた漆黒の重装甲が、内側からの圧力に耐えきれず、ひび割れ始める。
次の瞬間、装甲が弾け飛び、人間離れした巨躯がさらに異様な形へと膨張していった。
筋肉が隆起し、背中からは禍々しい棘が突き出す。
真の姿を現したザイラスから放たれる威圧感は、先ほどの巨大魔物とは次元が違った。
歓喜に沸いていた戦場が、水を打ったように凍りつく。
バルドの私兵たちも、魔法騎士たちも、あまりの恐怖に一歩後ずさった。
セリアでさえ、息を呑んで剣を構える手が微かに震えている。
俺は刃こぼれした鉄剣を構え直した。
だが、手にはじっとりと嫌な汗が滲んでいた。
今の俺の神速の剣でさえ、あの分厚い筋肉の鎧を貫ける保証はない。
前世の記憶にすら存在しない、圧倒的で絶望的な戦力差がそこにはあった。
ザイラスが、裂けた口元を歪めて嗤う。
冷たい風が吹き抜け、戦場に死の気配が満ちていった。




