第3話
道場の門をくぐると、乾いた木剣の音が響いてきた。
ルークが額に汗を浮かべながら、ひたすらに素振りを繰り返している。その横では、セリアが修練着姿で剣の型を確認していた。
「ふっ……!」
鋭い呼気と共にセリアが踏み込んだ瞬間、彼女の身体がぐらりと揺れた。
木剣を取り落とし、石畳に膝をつく。荒い息を吐きながら、彼女は自身の胸元を押さえた。
「くっ……また、魔力酔いが……」
青ざめた顔で呟くセリアに、俺は歩み寄って声をかけた。
「違う。それは魔力じゃない」
俺の言葉に、セリアが顔を上げる。
「お前の内側で、別の力が目覚めようとしているんだ。魔法とは違う、己の生命力そのものを燃やす力……闘気だ。魔力が薄れている今だからこそ、それが表に出ようとしている」
「闘気……これが……」
「魔法に頼るな。重心を落とし、足の裏で地面を掴め。剣は腕で振るんじゃない。体幹の捻りを刃に伝えるんだ」
俺はセリアの姿勢を正し、純粋な体捌きと剣技の極意を叩き込む。
世界は予言通り、段階的に魔法を失い始めている。高位魔法が不発になり、今や基礎的な身体強化魔法すら怪しくなってきた。
魔法が消え去った世界で頼れるのは、極限まで鍛え上げられた肉体と剣術だけだ。
「ルーク、お前もだ。無駄な力みは隙を生む。もっと滑らかに動け」
「はいっ、先生!」
ルークが元気よく返事をし、再び木剣を構える。
彼らは着実に実力をつけていた。魔法至上主義の常識から外れたこの道場が、やがて人類の最終防衛線となる。そのための準備は、一歩ずつ進んでいた。
◆ーーーー◆
王都近郊の防衛線は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「なぜだ……! なぜ身体強化魔法が発動しない!」
豪奢な鎧を纏ったガストンが、苛立たしげに剣を地面に突き立てる。彼の顔は焦燥と恐怖で歪んでいた。
「ガストン殿、大気中の魔力濃度が急激に低下しています。もはや、我々の魔力では重い鎧を支えることすら……!」
ヴィクターが胃の辺りを押さえながら、悲痛な声で報告する。
彼らの眼前には、硬い外殻を持つ大型の魔物たちが迫っていた。大魔物の先遣隊だ。
普段であれば、身体強化魔法で底上げされた腕力で容易く斬り伏せられる相手だった。だが、今の彼らは違う。
魔法という杖を失った最強の騎士たちは、自身の纏う鎧の重さにすら耐えきれず、満足に剣を振るうことすらできない。
「ひぃっ……来るな!」
ガストンの部下の一人が、魔物の突進をまともに受けて吹き飛ばされた。
重厚な鎧がひしゃげ、悲鳴が上がる。
ヴィクターは震える手で剣を構えたが、その切っ先は力なく下がっていた。
(ここまでか……。魔法がなければ、我々はこれほどまでに無力だったというのか)
ヴィクターが死を覚悟し、目を閉じたその時だった。
「退がっていろ」
静かな声と共に、一陣の風が駆け抜けた。
目を開けたヴィクターの視界に映ったのは、実戦的な軽装に身を包んだ俺の背中だった。
「アレン……君は……」
俺は刃こぼれした古い鉄剣を構え、迫り来る魔物の群れを見据えた。
「ルーク、右を抑えろ。セリアは左だ。俺が正面を突破する」
「了解です!」
「承知いたしました、先生!」
二人の力強い返事を聞き届け、俺は地を蹴った。
魔物が咆哮を上げ、巨大な爪を振り下ろしてくる。
俺は最小限の動きでそれを躱し、踏み込みと同時に鉄剣を薙ぎ払った。
硬質な音が響き、魔物の分厚い外殻が唐竹割りに両断される。
黒い血が噴き出し、巨体が地響きを立てて倒れ伏した。
「な、魔力も通っていないただの鉄屑で……外殻を斬っただと!?」
ヴィクターが驚愕の声を上げる。
無理もない。魔法騎士の常識では、魔力を帯びていない武器は魔物に通用しないとされているからだ。
「魔力伝導率ゼロだからこそ、魔法減衰の影響を一切受けない。これは純粋な物理的強度だ」
俺は剣の血を振り払いながら答えた。
魔法に依存しない鍛錬。嘲笑され続けた俺の剣術が、この絶望的な状況下で絶対的な正解であることを証明していた。
左右では、セリアとルークが魔物を翻弄していた。
セリアは王族らしい気品を残しながらも、無駄のない体捌きで魔物の死角に回り込み、急所を的確に突いている。彼女の剣には、微かだが確かな闘気が宿り始めていた。
ルークは若さゆえの勢いと、俺が叩き込んだ基礎を忠実に守り、魔物の攻撃をいなしながら反撃の隙を窺っている。
「ありえない……魔力ゼロのゴミが、この俺を差し置いて……!」
地面に這いつくばったガストンが、屈辱に顔を歪めながら呻いた。
己の築き上げてきた地位と特権が、音を立てて崩れ去っていくのを肌で感じているのだろう。だが、彼にかける言葉は持ち合わせていない。
俺たちは純粋な剣技のみで、次々と魔物を討伐していく。
魔法なしでは戦えない旧騎士団を尻目に、戦場を支配していたのは、かつて見下されていた剣術だった。
◆ーーーー◆
最後の魔物が地に倒れ、周囲に静寂が戻った。
俺は刃こぼれした鉄剣を鞘に収め、息を整える。
「……私の認識が甘かった」
ヴィクターがふらつく足取りで歩み寄り、深く頭を下げた。
「君の剣術こそが、今の我々に必要な力だ。魔法に頼りきっていた我々の傲慢さが、この事態を招いた」
真面目な彼らしい、率直な言葉だった。
「お前たちがどう思おうと勝手だ。だが、時間はもうない」
俺はヴィクターの顔を真っ直ぐに見据えた。
「道場の裏山にある古びた換気口を知っているか」
「換気口……? ああ、確かに古い施設があると聞いたことはあるが……」
「あそこは、王都地下水路の致命的な侵入経路に直結している。すぐに防衛を固めろ。次に魔物が来る時は、こんな小規模な先遣隊じゃない」
俺の言葉に、ヴィクターの顔色が変わる。
「まさか、本隊が……?」
「魔法が完全に消失するXデーは近い。準備を急げ」
それだけ言い残し、俺はセリアとルークを連れてその場を後にした。
魔法消失による混乱が深まる中、俺の道場は人類の希望となっていた。だが、俺の心にあるのは安堵ではない。
前世で国を滅ぼした、フィジカル特化の巨大魔物群。その影が、確実に王都へと忍び寄っている。
道場への帰路、セリアが静かに口を開いた。
「先生。私、必ず強くなります。国と民を守るため、あなたの教えをすべて吸収してみせます」
「俺もです! 魔法がなくても戦えるって、今日ではっきり分かりましたから!」
二人の言葉に、俺は小さく頷いた。
「ああ。休む暇はないぞ」
俺たちは歩みを早め、夕闇の迫る道場へと帰還した。
だが、その夜。
王都の喧騒が静まり返った深夜のことだった。
遠くの山脈の方角から、地鳴りのような咆哮が響き渡った。
空気が震え、道場の窓ガラスが不気味な音を立てて軋む。
ただの獣の鳴き声ではない。それは、前世で俺の鼓膜を焼き切るほどに響いた、大魔物ザイラスの咆哮だった。
先遣隊を退けた程度の勝利など、取るに足らない。
真の絶望は、これから始まるのだ。
暗闇の中で、俺は刃こぼれした鉄剣の柄を強く握りしめた。
冷たい夜風が、迫り来るXデーの不穏な気配を運んできていた。




