第2話
薄暗い路地を抜け、自分の道場へと戻った翌朝。
俺は窓の外を見て、小さく息を吐いた。
「……予想はしていたが、ここまで早いとはな」
道場の門前には、すでに長蛇の列ができていた。
昨日、王家が公表した『一年後に全魔法が消失する』という予言。最初は半信半疑だった者たちも、一部の高位魔法が不発になる現象を目の当たりにし、血相を変えて押し寄せてきたのだ。
魔法至上主義の常識が崩れ去り、これまで嘲笑の的だった純粋な物理戦闘の価値が逆転する。その決定的な瞬間が、今まさに訪れようとしていた。
俺は道場の扉を開け、群衆の前に立った。
ざわめきがピタリと止む。皆、すがるような目で俺を見つめていた。
「入門希望者は一列に並べ。ただし、全員を受け入れるつもりはない」
冷たく言い放つと、列の中から不満の声が漏れた。だが、俺は気にも留めない。
前世の悲劇を繰り返さないためには、本当に見込みのある者だけを鍛え上げる必要がある。見栄や権威にすがるだけの貴族に構っている暇はない。
列の先頭付近に、見覚えのある顔があった。
目深にフードを被り身分を隠しているが、その隙間から覗く艶やかな金髪は第一王女セリアのものだ。昨日から続く胸の苦しみ――闘気の覚醒による負荷に耐えながらも、彼女の瞳には王族としての矜持と、未知の力に向き合う確かな覚悟が宿っていた。周囲の貴族たちが不平を漏らす中、彼女だけは背筋を伸ばし、ただじっと俺の判断を待っている。
「お前は入れ」
俺が顎でしゃくると、セリアは驚いたように目を丸くしたが、無言で頷いて道場の中へと入っていった。
「おい、待て! なぜあいつが先なんだ!」
恰幅の良い貴族の男が怒鳴り声を上げた。
「私は伯爵家の……」
「帰れ。お前のような腹では、素振り百回で倒れる」
一刀両断に切り捨てると、男は顔を真っ赤にして引き下がった。
その時、貴族たちを押しのけて前に出てきた少年がいた。
そばかすのある顔立ちに、動きやすさを重視した軽装。その瞳には、魔法への未練ではなく、純粋な強さへの渇望が宿っていた。
「俺を、弟子にしてください!」
少年は地面に額を擦りつける勢いで頭を下げた。
「名前は?」
「ルークです! 俺、魔法の才能が全くなくて……ずっと馬鹿にされてきました。でも、あんたの剣を見ました。魔法がなくても、あんなに強くなれるなら……俺も、あんたみたいになりたいんです!」
ルークの言葉に、周囲の貴族たちが鼻で笑う。
だが、俺は彼の目から目を逸らさなかった。
魔法が使えないコンプレックス。それをバネにして、純粋な物理戦闘に身を投じる覚悟。
悪くない。
「……ルーク。俺の稽古は、死ぬほど厳しいぞ」
「望むところです!」
「よし、入れ」
ルークは顔を輝かせ、勢いよく道場へと駆け込んでいった。
その後も数人の素質ある者を選び抜き、俺は門を閉ざした。
◆ーーーー◆
昼下がり。俺はルークを連れて、王都の市場へと買い出しに出た。
道場に人が増えたことで、食料や備品の補充が必要になったからだ。
「先生! 荷物は俺が持ちます!」
ルークは両手に大きな麻袋を抱え、元気よく歩いている。
「無理はするな。お前の細い腕じゃ、すぐに限界が来る」
「平気です! これも修行の一環ですから!」
ルークが笑った直後だった。
市場の奥から、悲鳴と怒号が沸き起こった。
「魔物だ! はぐれ魔物が出たぞ!」
群衆がパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
俺はルークに荷物を置くよう指示し、腰の鉄剣に手をかけた。
人混みを掻き分けて進むと、広場の中央で巨大な猪型の魔物が暴れ狂っていた。
本来なら王都の防衛結界で弾かれるはずの低級魔物だ。結界の出力がすでに落ち始めている証拠だった。
「ひぃっ……!」
魔物の突進の先に、逃げ遅れた町娘が尻餅をついていた。
おさげ髪の彼女は、恐怖で腰を抜かしている。
近くにいた魔法騎士が杖を構え、迎撃の呪文を詠唱した。
「炎よ、我が敵を焼き尽くせ!」
だが、杖の先端から出たのは、小さな火の粉だけだった。
高位魔法の不発。予言の第一段階が、こんな末端の騎士にまで影響を及ぼし始めている。
「な、なぜだ……!」
騎士が狼狽する間にも、魔物は町娘へと迫る。
俺は地を蹴った。
「ふっ!」
呼気と共に踏み込み、魔物の側面に回り込む。
刃こぼれした古い鉄剣を、魔物の首筋に向かって一閃した。
硬い毛皮と肉を断ち切る鈍い感触。
次の瞬間、魔物の巨体が真っ二つに裂け、どさりと地面に崩れ落ちた。
周囲が静まり返る。
魔法騎士でさえ手こずった魔物を、魔法も使わずに剣一本で瞬殺したのだ。無理もない。
「怪我はないか」
俺が剣の血糊を振り払いながら声をかけると、町娘はぽかんと口を開けていた。
「あ、あたし……生きてる?」
「立てるなら、さっさと安全な場所へ行け」
背を向けて立ち去ろうとした俺の袖を、彼女がガシッと掴んだ。
「待ってよ! あんた、すっごい強いじゃない! 魔法も使わずにあんなデカブツを倒すなんて!」
彼女の目は、恐怖ではなく好奇心でキラキラと輝いていた。
「あたしはクロエ。命の恩人さんに、ぜひお礼をさせてよ!」
「必要ない」
「そう言わずにさ! あたし、料理には自信があるんだ。あんたのところで、まかない係として雇ってくれない?」
図太い女だ。
魔法が使えなくなりつつあるこの状況で、あっさりと新しい環境に適応しようとしている。その逞しさは、これからの時代を生き抜く上で武器になるかもしれない。
「……勝手にしろ」
「やった! よろしくね、あんた!」
クロエは満面の笑みを浮かべ、ルークの持っていた麻袋の一つを軽々と奪い取った。
緊張感が削がれる思いだが、道場の運営に人手が必要なのは事実だ。
◆ーーーー◆
買い出しの荷物をルークとクロエに任せ、俺は一人で裏路地の奥にある工房へと足を運んだ。
煤と鉄の匂いが立ち込める薄暗い空間。
炉の前で、筋骨隆々の男がハンマーを振るっていた。
「トビー。頼んでいたものはできているか」
俺が声をかけると、トビーは手を止め、革エプロンで汗を拭った。
「おう、あんたか。相変わらず物好きな注文をしやがって」
トビーはニヤリと笑い、作業台から一本の剣を持ち上げた。
それは、俺が普段使っている刃こぼれした鉄剣と同じ、魔力伝導率ゼロの特殊な鉱石で打たれた特注剣だ。
「魔法の力が一切通らねえ、ただの鉄の塊だ。世間の魔法騎士様たちが見たら、ゴミだと笑うだろうよ」
「それでいい。魔法消失による物質の劣化を受けない、不壊の剣が必要なんだ」
俺が剣を受け取り、軽く振ってみる。
重心のバランス、柄の握り心地。どれも完璧だ。
「……いい仕事だ」
「当たり前だ。俺は純粋な鉄と炎の鍛冶を愛してるんだ。魔法なんぞに頼り切った連中の武器とは、魂の込め方が違う」
トビーは誇らしげに鼻を鳴らした。
「それにしても、王家の予言は本当らしいな。街の連中が、魔法が使えなくなったって大騒ぎしてるぜ」
「ああ。これからさらに事態は悪化する」
「へっ。魔法がなけりゃ何もできねえ連中には、いい薬だ。だが、あんたの剣術なら、どんな時代になっても生き残れるだろうよ」
トビーの言葉に、俺は無言で頷いた。
彼のような職人がいる限り、俺の剣が折れることはない。
「代金はここに置いておく。また頼むぞ」
「おう、いつでも来な。最高の武器を打ってやるよ」
工房を後にし、俺は道場への帰路についた。
空を見上げると、王都を覆う雲がさらに分厚くなっていた。
ただの曇り空ではない。大気中の魔力が微かに乱れ、淀んでいるのが肌で感じられる。
魔法減衰の足音が、確実に近づいている。
道場では、ルークが素振りをし、クロエが夕食の準備をしている頃だろう。
セリアも、自分の内なる力と向き合い始めているはずだ。
準備は進んでいる。だが、これで十分だとは到底思えない。
魔法の減衰は、社会にどのような混乱をもたらすのか。
刃こぼれした鉄剣の柄を握りしめ、俺は歩みを速めた。
風が冷たさを増し、王都の空に不穏な影を落としていた。




