第28話
決戦の喧騒が遠のき、王都には穏やかな朝の光が戻っていた。
大魔物ザイラスの脅威が去ってから数日。王都のあちこちには、いまだ激戦の傷痕が深く刻まれている。崩落した石壁、砕けた石畳、ひしゃげた街灯。けれど、街を包む空気は決して暗くはなかった。
「よいしょ……っ、そこの木材をどかしてくれ!」
「こっちの瓦礫は片付いたぞ! 次は荷車の搬入だ!」
通りを歩く私の耳に、復興作業に汗を流す人々の掛け声が届く。
魔法が完全に消失した今、重い資材を浮遊魔法で運ぶことも、破損した建物を修復魔法で一瞬にして直すこともできない。誰もが自分の腕と足を使い、泥まみれになりながら石を運び、木を組んでいた。かつてなら考えられなかった光景だ。
だが、人々の表情に絶望の色はなかった。自らの力で街を立て直しているという手応えが、その瞳に静かな光を灯している。
私は王族の正装ではなく、動きやすい修練着の上に薄い外套を羽織り、街の様子を見て回っていた。
崩れた広場の角に差し掛かったとき、ふと見覚えのある大柄な背中が視界に入った。
粗末な作業着の袖をまくり上げ、巨大な瓦礫を両腕で抱え上げようとしている男。
「ぐっ……ぬぅぅ……っ!」
血管を浮き上がらせ、額に大粒の汗を流しながら、男は重い石材を荷車へと積み上げた。かつて豪奢な魔法騎士の鎧を身に纏い、傲岸不遜な態度で他者を見下していたガストンだった。
「おい、大丈夫か? 無理するなよ」
通りかかった職人が声をかけると、ガストンは肩で息をしながら、乱暴に腕で汗を拭った。
「……ふん、誰に口を利いている。この程度の重労働、騎士たる私にとって造作もないことだ」
口調にはかつての尊大さがわずかに残っていたが、その瞳に以前のような濁った侮蔑の色はない。魔法の加護を失い、自らの肉体の脆弱さを突きつけられた彼は、それでも逃げ出さずにこの場に残っていた。自分の手で、一歩ずつ現実と向き合おうとしている。
かつて彼が「魔力ゼロのゴミ」と吐き捨てていたアレン先生の背中を、彼はどのような思いで見つめていたのだろうか。
私は声をかけることなく、静かにその場を後にした。時代は、確実に変わり始めている。
◆ーーーー◆
午刻を過ぎた頃、私は王城の小広間へと足を運んだ。
集まっているのはごく限られた重臣たちと、私の側近であるモーガンだけだ。混乱を避けるため、大々的な式典ではなく、内々の認定式として執り行われることになっていた。
広間の扉が開き、アレン先生が入ってきた。
見慣れた無骨な剣士の平服姿だ。式典用の礼服を頑なに拒んだ先生らしい装いだった。腰には、あの激戦を共にした魔力伝導率ゼロの鉄剣が静かに収まっている。
「……相変わらず、堅苦しい場は性に合わんな」
先生は小さくぼやきながら、私の前まで歩み寄ると、 형식的な礼を取ることなく立ち止まった。周囲の文官たちが一瞬眉をひそめたが、モーガンが鋭い視線でそれを制した。
「アレン殿。王家を代表し、貴殿の並外れた武勲に深甚なる感謝を申し上げます」
モーガンが進み出て、羊皮紙の巻物を恭しく差し出した。
「世界から魔法が消え去り、未曾有の危機に瀕した王国を救ったのは、貴殿が鍛え上げた剣技と揺るぎなき意志でした。王家は本日ここに、貴殿を『新時代の筆頭指南役』として正式に遇することを宣言いたします」
それは、魔法至上主義の歴史に終止符を打ち、純粋な技術と鍛錬を重んじる新たな体制への移行を意味していた。
先生は差し出された巻物を無造作に受け取ると、中身を確かめることもせず、ただ短く息を吐いた。
「指南役だの英雄だの、大層な肩書きはどうでもいい。俺がやったのは、目の前の敵を斬っただけだ」
「ええ、分かっています」
私は一歩前に進み出て、先生の瞳をまっすぐに見つめた。
「先生が求めておられたのは名誉などではないこと、私たちが一番よく知っています。ですが、この国には今、道標が必要です。魔法という奇跡を失い、途方に暮れる民に、人は自らの足で立ち上がれるのだと示さなければなりません」
胸に手を当て、王女として、そして何よりも彼の最初の弟子として言葉を紡ぐ。
「私は王女として、そして先生の弟子として、魔法に依存しない新しい国造りを進めてまいります。人が己の肉体を鍛え、互いを支え合い、知恵を絞って生きる世界を。先生、これからもどうか、私たちの前を歩んでいただけますか」
先生はわずかに眉を寄せ、呆れたように口の端を緩めた。
「……大層な演説だな。だが、国造りなんて面倒なことは王族のお前がやれ。俺はただ、道場に来る連中に剣の振り方を教えるだけだ」
ぶっきらぼうな返答。けれど、その奥にある深い信頼が伝わってきた。
先生は決して私たちの手を引いて甘やかしはしない。だが、私たちが歩もうとする限り、その背中で進むべき道を示し続けてくれるのだ。
「はい。それで充分でございます、先生」
私が微笑むと、モーガンもまた満足そうに深く頷いた。
◆ーーーー◆
城での手続きを終えた後、私は先生と共に裏山の道場へと戻った。
坂道を登るにつれて、心地よい木刀の打ち合う音が響いてくる。
「せぇぇいっ!」
「踏み込みが甘いぞ! 腰を落とせ!」
道場の庭では、ルークやヴィクターをはじめとする弟子たちが、泥にまみれながら熱心に打ち合っていた。かつて魔法騎士の規律に縛られ、胃を押さえてばかりいたヴィクターは、今や見違えるほど精悍な顔つきで木刀を振るっている。
「あっ、先生! セリア様!」
ルークが素振りを止め、汗を拭いながら駆け寄ってきた。その屈託のない笑顔には、過酷な試練を乗り越えた者特有の逞しさが宿っていた。
「城での話は終わったんすか? さっきからヴィクターさんが張り切っちゃって、俺の手首がもう限界っすよ」
「何を言うかルーク殿。魔法を失った我々が魔物から人々を守るには、基礎の反復あるのみだ。さあ、もう百本行くぞ」
「ええっ、まだやるんですか!?」
悲鳴を上げるルークに、周囲の仲間たちからどっと笑いが起きる。
庭の片隅では、近隣の若い見習いたちが熱心に木刀の手入れをしていた。かつて嘲笑の対象だったこの場所は、今や王国のあらゆる人々が未来を掴むために集う、希望の源となっていた。
魔法が消え去った世界。
それは決して不毛な荒野ではなく、人が自らの力で耕し、種を蒔くことができる豊かな大地だったのだ。
道場の奥から、ことことと煮込み料理の心地よい音が響き、湯気と共に香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。
クロエが腕によりをかけて作った温かい夕餉の匂いだった。
「……腹が減ったな」
先生がぽつりと呟き、庭の弟子たちに向けて声を張った。
「おい、そこまでにしろ。飯だ」
「「「うおぉぉっ、飯だーーっ!」」」
弟子たちが一斉に歓声を上げ、木刀を置いて母屋へと駆けていく。
夕暮れの柔らかな光が道場を包み込み、満ち足りた日常のざわめきが広がっていた。




