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第13話

折れた牙の断面から噴き出した黒い血が、地下水路の濁流に混ざって流れていく。


ザイラスは自慢の巨大な牙を失い、理解を超えた事象に対する動揺から、よろめくように後退した。


俺は濁流の上に静かに立ち、トビーが打った不壊の剣を真っ直ぐに構え直す。


「お前の武器は、もう通じない」


冷徹な声で告げると、大魔物は折れた牙の根元を庇うように身を屈めた。


魔法に依存しきった人類を、単なる狩りの対象としか見ていなかった傲慢な将軍。その尊大さが、純粋な物理戦闘の極致を前にして完全に崩れ去ったのだ。


だが、相手は前世で国を滅ぼした元凶である。生命力は底知れず、手負いの獣ほど恐ろしいものはない。


奴の漆黒の重装甲には、俺が刻んだ無数の傷が走っている。しかし、致命傷には至っていない。


俺は追撃の機を窺いながら、剣の切っ先をわずかに下げた。


その時、頭上の石組みからパラパラと細かい土砂が落ちてきた。


地下空間全体を揺るがすような、微かな振動。


地上での戦いは、今どうなっているのか。魔法という最大の武器を失った人類は、魔物の大群を前に持ち堪えているだろうか。


俺は一瞬だけ天井を見上げ、すぐに目の前の敵へと意識を戻した。


仲間たちを信じるしかない。俺がここでザイラスを討つことが、彼らの未来を繋ぐ唯一の道なのだから。


剣の柄を握る手に、自然と力がこもる。


前世の記憶が脳裏をよぎる。炎に包まれた王都、魔物に蹂躙される人々、そして俺を庇って倒れたセリアの姿。


あの悲劇を二度と繰り返すわけにはいかない。


俺は深く息を吸い込み、ザイラスの巨躯を冷徹な視線で射抜いた。


◆ーーーー◆


王都の西区画。避難所として開放された広場は、不安と恐怖に怯える市民たちでごった返していた。


あちこちから、すすり泣く声や絶望の溜息が聞こえてくる。


あたしは大きな鉄鍋を木べらでかき混ぜながら、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。


「ほらほら、温かいスープができたよ! 順番に並んでね。慌てなくても、たっぷりあるからさ!」


魔法が使えなくなったせいで、火を起こすのにも一苦労だ。でも、薪割りなら道場の連中が手伝ってくれたし、水汲みだって皆で協力すればなんとかなる。


魔法使いになる夢はあっさり諦めた。あたしには才能がなかったし、今の世界じゃ魔法なんて何の役にも立たない。


それよりも、こういう立ち回りの方がずっとあたしの性に合っている。


絶望して地面に座り込んでいた避難民たちも、温かい湯気と肉の匂いに誘われて、少しずつ顔を上げ始めた。


「クロエさん、ありがとう……本当に、助かるよ」


「気にしない気にしない! 腹が減っては戦はできないって、先生も言ってたしね!」


受け取った器を両手で包み込むようにして、震える唇にスープを運ぶ人々の顔に、わずかな血色が戻っていく。


前線で戦う騎士たちも、交代で戻ってきては短い休息を取っていた。


彼らの顔には疲労が色濃く滲み、鎧は傷だらけだ。それでも、絶望の底にいた時のような暗い瞳はしていない。


「おかわりもあるから、しっかり食べてね! あんたたちが頼りなんだから!」


大声で呼びかけながら、あたしは次々と木組みの器にスープを注いでいく。


先生が地下で一番厄介な化け物と戦っている間、地上はあたしたちが守る。


底抜けに明るく振る舞うことで、少しでもみんなの心に希望の灯りをともせたら。それが、あたしにできる唯一の戦い方だった。


「さあ、次の鍋も火にかけるよ! 手の空いてる人は野菜を切って!」


あたしの声に、何人かの市民が立ち上がり、手伝いを申し出てくれた。


小さな輪が広がり、広場の空気が少しずつ温かさを取り戻していく。


先生、あたしたちは大丈夫だよ。だから、絶対に勝って戻ってきてね。


あたしは心の中でそう祈りながら、再び鍋に向き直った。


◆ーーーー◆


王都の防衛線。崩れかけた市街地の瓦礫を背に、私は修練着の袖をまくり上げた。


かつて私を苦しめていた、原因不明の激しい体調不良。周囲の者たちは、それを高貴な血筋ゆえの症状だと診断していた。


だが、魔法が完全に消失した今、私の身体は羽のように軽い。


枷が外れたことで、私の内に眠っていた真の力が、はっきりと形を成して全身を巡っているのがわかる。


「グルルォォォ!」


四つん這いの巨大な獣が、瓦礫を蹴散らしながら私に向かって跳躍した。


「殿下、お下がりください!」


背後で傷ついた騎士が叫ぶが、私は一歩も引かない。


先生が教えてくれた剣の軌道。無駄のない体重移動。それに、今の私に満ちている熱を乗せる。


地を蹴り、身体を鋭く捻り、剣を振り抜く。


目にも留まらぬ流麗な一閃が、魔物の分厚い皮膚を容易く裂き、その巨体を真っ二つに両断した。


ドスッ、と重い音を立てて魔物が崩れ落ち、黒い血が石畳を濡らす。


「な、なんだ今の動きは……魔法による身体強化もないのに、あれほどの速度と威力を……」


周囲の騎士たちが、信じられないものを見るような目で私を見つめ、驚嘆の声を上げる。


無理もない。彼らは魔法という力に依存しすぎていた。


これは魔法ではない。先生が信じ、私に叩き込んでくれた純粋な剣の力。そして、私の内に目覚めた闘気だ。


私は剣についた血を軽く振り払い、次の敵を見据えた。


国と民を守るため。そして、地下で孤独な戦いを続ける先生に報いるため。私は絶対に退かない。


「さあ、次へ行きますよ! 私に続きなさい!」


私の声に呼応した騎士たちが、血塗られた剣を掲げて一斉に雄叫びを上げる。


私たちは、確かな希望を胸に、再び魔物の群れへと突撃した。


剣を振るうたびに、不思議と心が澄み渡っていく。


自分が足手まといになり、先生が私を庇って命を落としてしまうこと。それが私の最も恐れているものだった。


だが、今の私なら、先生の隣に立つことができる。


その確信が、私の剣をさらに鋭く研ぎ澄ませていった。


次々と襲い来る魔物を斬り伏せながら、私は地下にいる先生へと思いを馳せる。


先生の教えは、決して間違っていなかった。私たちが、それを証明してみせます。


◆ーーーー◆


地下水路。


頭上から、再び微かな振動が伝わってくる。


崩落の危険を知らせるものではない。それは、地上で戦う者たちの力強い足音であり、魔物を退けた歓声のようにも聞こえた。


「……持ち堪えているな」


俺の唇から、自然と安堵の吐息が漏れる。


セリアも、クロエも、ヴィクターたちも。


俺が教え、導いた者たちが、魔法を失った世界でしっかりと立ち上がり、希望を繋いでいる。


その事実が、俺の胸の奥に熱い火を灯した。


孤独な戦いではない。俺の背中には、彼らが守り抜いている未来がある。


前世で俺を助けてくれた恩人たちを、今度こそ絶対に見捨てない。その信念が、俺の身体の奥底から無尽蔵の力を引き出していく。


「ガァァァッ!」


ザイラスが咆哮を上げるが、その声には先ほどの威圧感はない。焦りと恐怖を誤魔化すための、虚勢に過ぎなかった。


俺は剣を正眼に構え、ゆっくりと間合いを詰める。


仲間たちの奮闘が、俺の剣にさらなる冴えをもたらしていた。


極限まで練り上げられた気迫が、俺の全身から立ち上り、周囲の空気を震わせる。


「終わりだ、ザイラス」


俺が一歩踏み込むと、ザイラスは折れた牙から黒い血を滴らせながら、迎撃のために太い両腕を交差させた。


追い詰められた奴の目に、狂気にも似た光が宿る。


窮地に立たされた大魔物が、果たしてどのような手段に出るのか。


俺は一切の油断を捨て、最後の一太刀を見極めるべく、静かに息を吐いた。


手の中の剣が、まるで俺の意志に呼応するように、微かな共鳴音を立てる。


魔法が消え去った世界で、極限まで鍛え上げられた純粋な物理戦闘だけが、この絶望を打ち砕く。


ザイラスの巨躯が、不気味なほど静かに沈み込んだ。


奴の全身の筋肉が異常なまでに膨張し、漆黒の装甲がミシミシと悲鳴を上げる。


捨て身の反撃が来る。


俺は重心を落とし、大魔物の最後の足掻きを真っ向から迎え撃つ態勢を整えた。


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