オーガ討伐
◆アルディア共和国・北の森 深部
ベルツは周囲を見回し、小さく頷いた。
「では、少し移動しましょう」
黒い魔法陣が足元へ広がる。
アベルが苦笑する。
「また転移?」
「歩いても構いませんが、二時間ほど掛かります」
「……転移でお願いします」
ベルツは静かに笑った。
「かしこまりました」
景色が歪む。
次の瞬間。
三人はさらに森の奥深くへ立っていた。
辺りには巨大な木々が立ち並び、地面には折れた木や砕けた岩が無数に転がっている。
エレナが周囲を見渡す。
「……何かいるわね」
ベルツは頷いた。
「ええ」
「ここはオーガの縄張りです」
アベルが思わず息を呑む。
「縄張り……」
ベルツは一本の折れた木へ視線を向ける。
「見てください」
木の幹には、人の胴ほどもある拳の跡が深く刻まれていた。
「これがオーガの力です」
「魔狼とは比較になりません」
「正面から力比べをすれば、避けましょう」
エレナは口元を緩める。
「だから技術、ってわけね」
ベルツは満足そうに頷いた。
「その通りです」
「今日の課題は一つ」
「力で勝とうとしないこと」
三人はさらに森の奥へ進んでいた。
木々が途切れた先には、大きな岩場が広がっている。
ベルツが足を止めた。
「この辺りです」
低い唸り声が響く。
ドスン。
ドスン。
重い足音。
茂みを押し倒しながら、三体の巨躯が姿を現した。
二メートルを優に超える巨体。
灰色の皮膚。
太い腕には大木ほどもある棍棒を握っている。
アベルが息を呑む。
「で……でかい」
ベルツは落ち着いたまま説明した。
「オーガです」
「魔狼より一段階上の魔物ですね」
「三体とも、エレナ様がお相手してください」
エレナは拳を鳴らした。
「望むところよ」
三体のオーガが一斉に咆哮する。
地面を揺らしながら突進してきた。
エレナも飛び出す。
真正面から拳を叩き込む。
だが。
オーガは腕で受け止めた。
鈍い衝撃音だけが響く。
「硬い……!」
次の瞬間。
巨大な棍棒が振り下ろされた。
エレナは慌てて横へ飛び退く。
地面が爆発したように抉れる。
エレナが地面の跡を見て言う。
「魔狼とは違うわね」
ベルツが静かに言う。
「正面から力比べをする必要はありません」
「相手の動きを見てください」
「力を流す場所を考えるのです」
エレナは息を整える。
「流す場所……」
再び飛び込む。
今度は真正面ではない。
振り下ろされた腕をかわし、その勢いが止まる瞬間。
脇腹へ拳を叩き込んだ。
ドンッ!
オーガの身体がくの字に折れ曲がる。
「そうです」
ベルツが微笑む。
「今のです」
エレナは追撃する。
二撃。
三撃。
最後に首へ一撃。
巨体がゆっくりと崩れ落ちた。
アベルが目を見開く。
「倒した……!」
だが休む間もなく、残る二体が迫る。
エレナは今度は焦らない。
棍棒をかわし、懐へ潜る。
一撃。
二撃。
三撃目。
オーガは大きくのけ反り、そのまま倒れた。
ベルツが静かに頷く。
「上出来です」
アベルは思わず声を漏らした。
「姉さん……すごい」
そのときだった。
パチパチ。
場違いな拍手が森へ響く。
「へぇ~」
「なかなかやるじゃない」
ベルツがため息をついた。
「来ましたか」
空間がゆっくりと裂ける。
黒い羽根が風で舞った。
一人の女が裂け目から姿を現す。
長い黒髪。
背中には漆黒の翼。
体の線を際立たせる黒い装束。
妖艶な笑みを浮かべ、その女はベルツの肩へ軽く肘を乗せた。
「よう、ベルツ」
ベルツは露骨に嫌そうな顔をする。
「……ジル」
ジルはエレナを上から下まで眺める。
「この子?」
「アザエルさんの新しいオモチャは」
「私が教育係って聞いたから、ちょっと見に来たわ」
エレナの眉がぴくりと動く。
「……オモチャ?」
「そうよ?」
ジルは悪びれもせず笑う。
「アザエルさん、面白そうな人間見つけると、すぐ拾ってくるんだから」
ベルツが頭を抱えた。
「ジル……その言い方は誤解を招きます」
「えー?」
「間違ってないじゃない」
その瞬間。
最後の一体が咆哮を上げ、エレナへ飛び掛かった。
エレナはイラついたまま拳を振り抜く。
「邪魔!」
轟音。
オーガの身体が弾け飛んだ。
胴体は砕け散り、周囲へ肉片が飛び散る。
一瞬、森が静まり返る。
ベルツが静かにため息をついた。
「エレナ様」
「今のは……」
「完全に力を使い過ぎましたね」
エレナは舌打ちする。
「……分かってる」
ジルは粉々になったオーガを見つめ、口元を吊り上げた。
「へぇ~」
「アザエルさん、ずいぶん力を与えたのね」
ベルツは静かに頷く。
「はい」
「契約内容が『天使を殺す力が欲しい』でしたので」
ジルは少しだけ目を細めた。
「へぇ~」
「天使、ね……」
そのとき、地面が揺れた。
ズシン――。
森の奥から、これまでとは比べ物にならないほど重い足音が近付いてくる。
木々が大きく揺れ、鳥たちが一斉に飛び立った。
やがて姿を現したのは、一体の巨大なオーガ。
身長は四メートル近い。
筋肉の塊のような肉体。
片手には、人間一人ほどもある巨大な鉄塊を軽々と担いでいる。
赤黒い瞳が、エレナを睨みつけた。
ジルが口元を緩める。
「へぇ」
「こんな辺境の森にしては、ずいぶん育った個体じゃない」
ベルツも珍しく真剣な表情になる。
「想定外ですね」
そしてエレナを見る。
「エレナ様」
「少しだけ出力を上げてください」
アベルが思わず叫ぶ。
「待って!」
「さっきだって結構苦戦してたじゃないか!」
ベルツは静かに答える。
「心配はいりません」
「今のエレナ様なら十分戦えます」
エレナは巨大なオーガを見つめ、小さく頷いた。
「分かったわ」
地面を蹴る。
一瞬で間合いを詰め、その腹部へ拳を叩き込んだ。
――ドンッ!
鈍い衝撃音だけが響く。
オーガは一歩も動かなかった。
エレナの表情が変わる。
「え……?」
「さっきの奴らと、全然違う……!」
その瞬間。
巨大な鉄塊が振り抜かれた。
ドゴォォン!!
エレナの身体が吹き飛ぶ。
木を一本、二本、三本とへし折り、そのまま地面を転がった。
「姉さん!!」
アベルが駆け出そうとする。
ベルツが腕を伸ばして制した。
「まだです」
土煙の中。
ゆっくりと一つの影が立ち上がる。
口元から流れる血を親指で拭う。
そして。
エレナはニヤリと笑った。
「いいじゃない」
「こういう相手の方が、やりがいがあるわ」
ベルツへ視線を向ける。
「ねえ」
「こいつも、力をコントロールして戦わないと駄目なの?」
ベルツは少しだけ考え込む。
「この個体が現れたのは想定外です」
「ですが――」
穏やかに微笑んだ。
「これも良い経験でしょう」
「課題を変更します」
エレナが首を傾げる。
「課題?」
「はい」
ベルツは巨大なオーガを指差した。
「倒すだけでは駄目です」
「今度は、三等分してください」
「……三等分?」
エレナが眉をひそめる。
ベルツは頷いた。
「力任せに粉砕するのではなく」
「必要な場所へ、必要な力だけを流す」
「それが出来れば、この個体も斬れます」
エレナは巨大なオーガを見据えた。
「やってみる」
オーガが咆哮を上げる。
大地を揺らしながら突進。
エレナは迎え撃つ。
一撃。
二撃。
三撃。
何度も弾き返される。
それでも止まらない。
アザエルの言葉が頭をよぎる。
『力が強いのと、使う者が強いのは別だ』
『必要な場所へ』
『必要な力だけ』
エレナは深く息を吸った。
そして。
オーガの踏み込みに合わせ、一歩だけ踏み込む。
拳を放つ。
ドッ――。
音は小さかった。
一瞬の静寂。
やがて。
ズズズ……。
巨大なオーガの身体が、肩、胴、腰の三か所からゆっくりと滑り落ちる。
三等分だった。
ベルツが静かに頷く。
「見事です」
「八〇点、といったところでしょうか」
ジルは口笛を吹いた。
「へぇ」
「人間にしちゃ面白いじゃない」
「さすがアザエルさんのオモチャね」
エレナが鋭く睨む。
「だから、その呼び方やめなさい」
ジルは楽しそうに笑う。
「気に入ったから無理」
そのときだった。
ズシン。
ズシン。
ズシン。
再び森が揺れる。
全員が視線を向ける。
木々の奥から、さっきと同じ大きいサイズのオーガが五体、姿を現した。
エレナが苦笑する。
「ちょっと数、多くない?」
ベルツは静かに頷く。
「そうですね」
「これ以上エレナ様に怪我をされても困ります」
一歩前へ出る。
「ここは私が――」
「待ちな」
ベルツの前へ、ジルが歩み出る。
漆黒の翼が大きく広がった。
妖しく笑う。
「こういう時くらい、教育係らしいことさせなさいよ」
ベルツがため息をつく。
「……ほどほどにしてください」
ジルはベルツの言葉に被せるように即答する。
「無理」
獰猛な笑みが浮かぶ。
「久しぶりに暴れられそうだから」
黒い翼が大きく羽ばたく。
その姿が一瞬で消えた。
五体のオーガが、一斉に咆哮を上げる――。
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