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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~  作者: 彩川準


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6/12

力を制する者

◆アルディア共和国・東の森

 翌朝。

 木々の隙間から差し込む朝日が、静かな森を照らしていた。


 エレナは一人、昨日アザエルが真っ二つにした巨大な岩の前へ立っている。

 ゆっくりと拳を握る。

(力じゃない)

(使い方……)

 アザエルの言葉が頭の中で何度も繰り返される。

「最高級の剣を持っていても、振り方を知らなければ意味がない」


 エレナは静かに息を吐いた。


「エレナ様」

 背後からベルツの声が聞こえる。

 振り返ると、ベルツとアベルが立っていた。

「準備はよろしいですか?」


 エレナは小さく頷く。

「ええ」


 ベルツは穏やかに微笑んだ。

「では、本日から実戦訓練を始めます」


 アベルが不安そうに尋ねる。

「どこへ行くの?」


 ベルツは森の北を見つめた。

「最近、この先の北の森で魔狼の群れが確認されています」


「魔狼?」


「はい。下級魔物です」

「一体一体はそれほど強くありません」

「ですが、群れで行動するため油断すると囲まれます」


 エレナの口元が少しだけ上がる。

「ちょうどいいわね」


 ベルツは頷いた。

「今回の目的は倒すことではありません」

「力を制御すること」

「アザエル様がおっしゃった通り、必要な力だけを使う訓練です」


 エレナは拳を握り直した。

「分かったわ」


 ベルツは右手を前へ差し出す。

 すると足元へ黒い魔法陣が静かに広がった。

 複雑な紋様が淡く輝き始める。


 アベルが目を見開く。

「これって……」


「空間転移魔法です」

 ベルツは淡々と答えた。

「目的地まで歩けば半日は掛かりますので」


 エレナが腕を組む。

「便利ね」

「もっと早く使えば良かったじゃない」


 ベルツは苦笑した。

「便利な力ほど、頼り過ぎるものではありません」

「ですが今回は訓練が目的です」

「時間を移動で浪費するより、戦闘へ使うべきでしょう」


 エレナは何も言わず魔法陣へ足を踏み入れる。

 アベルも慌てて続いた。


 ベルツが静かに呟く。

「転移」


 世界が歪む。

 景色が光へ溶けていく。

 次の瞬間。

 三人の姿は森から消えていた。


◆アルディア共和国・北の森

 世界が歪む。

 視界が白く染まり、足元の感覚が一瞬だけ消えた。

 次の瞬間。

 三人は深い森の中へ立っていた。

 昼間のはずなのに、森の中は薄暗い。

 空を覆う木々が陽の光を遮り、湿った土の匂いが辺りに漂う。

 どこからか獣の遠吠えが聞こえた。


 アベルは辺りを見回し、小さく息を呑む。

「……嫌な森だね」


 ベルツは静かに頷いた。

「北の森は魔力が濃い土地です」

「魔物にとっては住みやすい場所なんですよ」


 エレナは周囲を見渡す。

「ここに魔狼がいるの?」


「ええ」

 ベルツはしゃがみ込み、地面へ手を伸ばした。

 土の上には、大型犬ほどもある獣の足跡がいくつも残っている。

「見てください」


 エレナも近付く。

「足跡?」


「魔狼のものです」

 ベルツは足跡へ軽く触れた。

「まだ新しいですね」

「群れは、この近くにいます」


 アベルが緊張した表情になる。

「群れって……何頭くらい?」


 ベルツは森の奥へ視線を向けた。

「三〇頭ほどでしょう」


「三〇!?」

 アベルが思わず声を上げる。


 ベルツは穏やかに微笑んだ。

「安心してください」

「今回の目的は、殲滅ではありません」

 エレナを見る。

「訓練です」


 エレナは静かに拳を握った。

「分かってる」


 ベルツは頷く。

「では、エレナ様」

「一つだけ約束してください」


「何?」


「無駄な力を使わないことです」


 エレナは少し眉をひそめた。

「倒せば同じじゃない」


 ベルツは首を横へ振る。

「違います」

「主様がお見せした岩を覚えていますか?」

 真っ二つに割れた巨大な岩。

 あの滑らかな断面が脳裏に浮かぶ。

「あれが技術です」

「必要な場所へ」

「必要な力だけを流す」

「それができなければ、いつまで経ってもカルスには届きません」


 エレナは静かに頷いた。

「……やってみる」


 その瞬間だった。

 ガサッ。

 茂みが揺れる。

 続いて、低い唸り声。

 赤い瞳が闇の中で光る。

 一頭。

 二頭。

 三頭。

 次々と姿を現す。

 灰色の毛並みを持つ魔狼たちだった。

 気付けば、三〇頭近い群れが三人を取り囲んでいる。


 アベルが剣へ手を掛けた。

「来る!」


 魔狼が一斉に駆け出した。


「エレナ様」

 ベルツは落ち着いた声で言う。

「全て倒してください」

「ただし――」

 一拍置く。


「力を使い過ぎないこと」


 エレナは笑った。

「難しい注文ね!」

 エレナは地面を蹴る。

 一頭目へ拳を叩き込む。

 ドンッ!!

 魔狼は吹き飛び、後方の木を何本も巻き込みながら倒れた。


 ベルツはため息をつく。

「三十点です」


「倒したじゃない」


「ええ」

「ですが、魔狼一頭を倒すために森まで壊す必要はありません」


 エレナは舌打ちする。

「細かいわね」


「それが技術です」


 そのときだった。

 一頭の魔狼が、戦いを避けるようにアベルの背後へ回り込む。

 気付いた時には、鋭い牙がアベルの目前まで迫っていた。


 アベルの目が見開く。

「しまっ――!」


 シュッ。

 黒い閃光が走る。

 魔狼は悲鳴を上げる間もなく倒れ伏した。

 首には細い一本の切り傷。

 ベルツはエレナから視線を逸らすことなく口を開く。

「アベル様」

「訓練中ですので、邪魔はしないでください」


 アベルは言葉を失った。

(ベルツ……が殺ったのか……)

(いつ攻撃したんだ……?)


 ベルツは何事もなかったかのように続ける。

「エレナ様」

「次です」

「魔力を半分まで落としてみてください」


 エレナは深く息を吸い、再び魔狼へ向かって駆け出した。

 今度は無駄な力を抑え、一撃だけを正確に放つ。

 魔狼が静かに倒れる。

 後ろの木々は微動だにしない。


 ベルツが小さく微笑んだ。

「そうです」

「その感覚を忘れないでください」

 戦いは、まだ始まったばかりだった。


 ――数分後。

 三〇頭近い魔狼を倒し終える。


 エレナは息を切らしている。

 森には魔狼の死体。

 魔狼の死体を見ても、エレナの瞳には何の感情もなかった。

 ただ「次はもっと正確に」とだけ考えていた。


 そして、エレナが少し安堵した表情で言う。

「全部倒したわ」


 ベルツは一体ずつ確認してエレナを見る。

「全滅です、エレナ様」

「ですが」

「最初の一〇頭なら五〇点」

「最後の一〇頭は七〇点でした」


 エレナは不満そうに頬を膨らませた。

「まだ三〇点も足りないの?」


 ベルツは穏やかに微笑んだ。

「裏を返せば、それほど主様の期待が大きいということです」

「期待していない者に、高い目標は与えませんから」

 ベルツが静かに尋ねる。

「ところで、エレナ様……疲れましたか?」


 エレナは付着した血を払い、首を横へ振った。

「平気よ」


「そうですか」

 ベルツは満足そうに頷く。

「でしたら、今日はもう一か所だけ行きましょう」


 アベルが驚く。

「まだ戦うの?」


「ええ」

 ベルツは淡々と答えた。

「次回からは、私も常に付き添えるわけではありません」

「主様の許可も頂きましたので、次からは側近のジルへ任せる予定です」

「その前に、もう少し経験を積んでおきましょう」


 アベルは首を傾げる。

「ジルって、どんな悪魔なの?」


 ベルツは苦笑した。

「一言で言えば……破天荒ですね」

「実力は申し分ありません」

「ですが、かなり好戦的ですし、言葉遣いも悪いです」

「私のような丁寧さは期待しないでください」


 エレナが小さく笑った。

「口が悪いなんて、悪魔らしいじゃない」


 ベルツは静かに首を振る。

「口が悪いのは構いません」

「ですが、あれは少々……品がありません」


 一拍。

「まるで下級悪魔です」

 深いため息をつく。

「正直、私の頭痛の種ですね」


 アベルは不安そうな表情を浮かべた。

「だ、大丈夫なの……?」


 ベルツは苦笑しながら答える。

「ご安心ください」

「実力は本物です」

「戦いに関しては、私より教えるのが上手いかもしれません」

「少なくとも、お二人を守り抜くだけの力は十分にあります」


 エレナは肩を回しながら前を見る。

「なら問題ないわ」

「強いなら、それでいい」


 ベルツは小さくため息をついた。

「……どうか、問題だけは起こさないでくださいよ」

 一拍。


「さて」

「次は少しだけ格上の相手です」


 アベルの表情が引き締まる。

「格上?」

 

 ベルツは森の奥へ視線を向ける。

「この先に住み着いている――オーガを討伐しましょう」


「オーガか……」

 エレナは静かに息を吐いた。


 ベルツは頷く。

「魔狼とは違います」

「一撃一撃が重く、防御も硬い」

「力任せでは倒せません」


 アベルが小さく呟く。

「また強敵なんだね……」

 姉が強くなるほど、アベルは自分だけが置いていかれる気がした。


 ベルツは穏やかに微笑んだ。 「だからこそです」

「今日の授業には、ちょうどいい相手ですよ」





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