力の使い方
◆アルディア共和国・森林地区
夜風が木々を揺らす。
焚き火の火が静かに揺れる中、アザエルは空になったティーカップをテーブルへ置いた。
「さて」
「少し教えようか」
穏やかな声だった。
エレナが視線を向ける。
「君は勘違いしている」
「契約したから強くなったわけじゃない」
エレナが顔をしかめる。
「どういうこと?」
アザエルは一本の木の枝を拾い上げる。
「例えば――これは剣だとしよう」
枝を軽く持ち上げる。
「世界一の名剣を子供へ渡しても、その日から剣豪にはなれない」
枝を静かに放り投げる。
「剣が強いのと、使う者が強いのは別だからね」
エレナは黙って聞いていた。
「君も同じだ」
「契約で与えた力は、最高級の剣のようなもの」
「でも君は、まだ振り方も知らない」
一拍。
「君は、カルスに負けた理由を力の差だと思っているだろう?」
「違うの?」
アザエルは小さく首を横へ振る。
「半分だけ正解だ」
「君が相手にしてきた下級天使程度なら、今の力でも十分だった」
「力任せに殴っても倒せる相手だからね」
エレナは黙って聞いている。
「だが、カルスは違う」
「高位天使は力だけでは倒せない」
「君がどれだけ大きな力を持っていても、それを振り回しているだけでは届かない」
「じゃあ、何が足りないの?」
「技術だ」
一拍置く。
「力をどう使うか」
「どこへ流し、どこで止め、どの瞬間に解放するか」
「その全てが技術になる」
エレナが目を細める。
「つまり、私は力を無駄遣いしてるってこと?」
アザエルは穏やかに笑った。
「そういうことだ」
「君は最高級の剣を持ちながら、木の棒を振り回すような戦い方をしている」
「だからカルスには通じなかった」
ベルツが頷く。
「実にもったいないですね」
「今のエレナ様なら、本来はもっと強く戦えるはずです」
エレナは拳を見つめる。
「……じゃあ」
「その技術を教えなさい」
アザエルは微笑んだ。
「だから、まずは戦い続けるんだ」
「力は与えられる」
「だが、技術だけは誰にも与えられない」
「自分で身につけるしかないんだよ」
エレナが拳を握る。
「……どうすればいい?」
アザエルは微笑む。
「身体で覚えるしかない」
「力は理屈では扱えない」
「何度も使い」
「何度も壊れ」
「何度も立ち上がる」
「そうして初めて、自分の力になる」
森に静寂が落ちる。
アベルが姉を見る。
これ以上戦わせたくない。
それでも姉は止まらない。
姉の背中は傷だらけだった。
もう自分の知る人間のものではない気がした。
アベルは唇を噛み締めた。
「……姉さん」
「俺も強くなりたい」
エレナは首を横へ振る。
「駄目」
「でも!」
「駄目よ」
静かな声だった。
「あんたまで戦う必要はない」
「私は――」
一拍置く。
「もう戻れないから」
アベルは何も言えなかった。
アザエルは二人を眺めながら、小さく笑う。
「過保護だね」
「うるさい」
エレナは即答した。
エレナが少し考え込み腕を組む。
「力の使い方、口で言われても分からないわ」
「技術って言われても、結局は力で押し切ればいいじゃない」
アザエルは困ったように笑った。
「そう思うなら、少しだけ見せようか」
彼はゆっくりと立ち上がる。
森の奥には、家ほどもある巨大な岩があった。
「エレナ」
「なに」
「あの岩、見える?」
「ええ」
「じゃあ、よく見ていて」
アザエルは岩へ向かって歩き出す。
何も構えない。
拳も握らない。
ただ、人差し指を一本だけ伸ばした。
エレナが眉をひそめる。
「何をする気?」
次の瞬間だった。
アザエルが岩へ軽く触れる。
――コツ。
乾いた音が一つ。
それだけだった。
数秒の静寂。
そして。
ズズズッ……。
巨大な岩が、中央から音もなく滑り落ちた。
真っ二つだった。
切断面は鏡のように滑らかで、粉々に砕けた様子は一切ない。
アベルが息を呑む。
「……嘘だろ」
ベルツが苦笑する。
「これですよ」
「主様は、力任せになんて壊しません」
「必要な場所へ、必要な力だけを流すんです」
アザエルは振り返る。
「同じ力でも、使い方一つで結果は変わる」
「もし今の君があの岩を壊すなら、おそらく粉々に砕くだろう」
「でも、それでは力を無駄にしているだけだ」
エレナは真っ二つになった岩を見つめる。
驚きはなかった。
その瞳にあるのは一つ。
(どうやれば、私にもできる)
アザエルは穏やかに微笑む。
「強さとは、どれだけ大きな力を持つかじゃない」
「どれだけ正確に、その力を扱えるかだよ」
「方法を教えて」
アザエルは頷く。
「君の母親は、昔よく魔物を狩っていただろう?」
エレナの目が少しだけ揺れた。
「……知ってるの?」
アザエルがティーカップを持ちながら言う。
「もちろん」
「だから君も同じことをする」
「天使ではなく、まずは魔物だ」
「カルスと戦う資格すら、まだ君にはない」
「数を狩れ」
「力を身体へ染み込ませろ」
ベルツが頷く。
「なるほど」
「実戦訓練ですね」
アザエルはベルツを見る。
「君が付き添ってあげて」
ベルツは固まった。
「……え?」
「私ですか?」
「色々と仕事もあるのですが……」
ベルツは少し考える。
「それでしたら、私の側近を向かわせても?」
アザエルが首を傾げる。
「ジルか」
少しだけ考え込む。
「力は十分ある」
「ただ、性格に問題がある」
ベルツが苦笑した。
「かなり問題があります」
「ですが実力だけなら申し分ありません」
アザエルは少し笑う。
「まあ、いいだろう」
「責任は君が取るんだよ」
ベルツは深いため息をついた。
「……承知しました」
アベルが首を傾げる。
「ジル?」
ベルツは遠くを見るような目をした。
「ええ」
一拍。
「実力は申し分ありません」
「ただ、常識は期待しない方がいいでしょう」
エレナがベルツを見て少し微笑む。
「誰でもいいわ」
「強くなれるなら」
森を風が吹き抜ける。
その名前だけが、静かな夜に残った。
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