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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~  作者: 彩川準


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4/12

代償の価値

◆アルディア共和国・森林地区

 夜の森。

 焚き火が小さく揺れていた。

 戦いの跡など嘘のように静かな時間が流れる。


 森の中には、場違いなテーブルと椅子が置かれていた。

 アザエルは、その椅子に腰掛け、白い湯気を立てる紅茶を静かに口へ運んでいた。

 まるで先ほどまで、高位天使の大軍と対峙していた人物とは思えないほど穏やかな横顔だった。


 一方、その隣ではベルツがエレナの肩へ手をかざしている。

 黒い魔力が傷口へ染み込み、裂けた肉がゆっくりと閉じていく。


 ベルツが小さく息を吐いた。

「……本当に無茶ばかりしますね」


 その様子を見つめていたアベルが、おずおずと口を開く。

「……ベルツ」


 ベルツが振り向く。

「はい?」


 アベルは唇を震わせた。

「姉さんの寿命が……半分って、本当なの?」

 森が静まり返る。


 ベルツは手を止め、少しだけ困ったような表情になった。

「ええ……まあ」

 一拍置いて頷く。


「本当です」


 アベルの顔から血の気が引いていく。


「最上位悪魔との契約では、寿命半分は最低ラインです。」

「むしろ……よく半分で済んだと言うべきでしょうね」


「……そんな」

 アベルは力なく呟く。


 エレナは表情一つ変えない。

「気にしないで」

 静かな声だった。

「どうせ長生きする気なんて、最初からなかったし」


「気にするよ!!」

 アベルの叫びが森へ響いた。

「そんなこと言わないでよ!」

「母さんまでいなくなって……今度は姉さんまで――」

「姉さん、まだ二一歳なんだよ……。 母さんが死んでから、まだ四年しか経ってないじゃないか」



 その声に、エレナの眉がほんの少しだけ動いた。


 しかし、それ以上は何も言わなかった。

 少しだけ沈黙が流れる。


 やがてエレナはアザエルへ視線を向けた。

「それより」

 冷たい瞳。

「あなたの力、大したことないじゃない」


 ベルツの肩がびくりと跳ねる。

「エ、エレナ様?」


 エレナは淡々と言う。

「カルスには傷一つ付かなかった」

「役立たずの最上位悪魔ね」



「し、失礼にも程があります!!」

 ベルツが思わず立ち上がる。

「主様は最上位悪魔の中でも異端と呼ばれるほどのお方で――」


「異端だから弱いの?」


「違います!」

 ベルツは即座に否定した。


「主様は――」

 言葉が止まる。

 どう説明すればいいのか分からない。

 そんな様子だった。


 エレナは唇を噛み締めた。

「……こんなの」

 一拍。


「結局、カルス一人にも通じなかったじゃない」

 拳を強く握る。

「そんな力で……その先にいる……母殺しのミカエリスなんて、本当に殺せるの?」

 怒りとも、悔しさともつかない声だった。


 アザエルは、その言葉を聞いても動じない。

 ふっと笑みを浮かべる。

「焦るな」

「ミカエリスは天使の中でも、神に最も近い存在だ」

 一拍。


「流石に契約したとはいえ、人間のお前では勝負にすらならん」


 エレナは俯く。


 だが、アザエルは続けた。

「だが――」

「高位天使のカルス程度なら、そのうち倒せるようになる」


 エレナが顔を上げる。

「本当に?」


 アザエルは紅茶を一口飲み、静かに笑った。

「ああ」

「君には十分な力を与えたよ」

 穏やかな声だった。

「ただ、まだ君自身が使いこなせていないだけだ」


 エレナが目を細める。

「もっと強くなれるの?」


「うん」

 アザエルは頷く。

「強さには個人差がある。」

「でも――」

 一度だけカルスのいた空を見上げる。

「君なら、いつかカルスに届く日が来る。」

「その可能性はあるよ」


「……」

 ベルツが盛大にむせた。

「げほっ!」

 全員の視線が集まる。

「あ、主様!」

 ベルツが慌てて叫ぶ。

「カルスですよ!?」

「それはつまり……私と同格に届く可能性があるという意味では?」


「そうだね」

 アザエルはあっさり頷いた。


 ベルツは頭を抱えた。

「本気ですか……」


 アベルが恐る恐る尋ねる。

「ベルツ……カルスを倒せるの?」


 ベルツは胸を張った。

「もちろんです」

「本気を出せば、ですが」


 アベルの表情が少しだけ明るくなる。

 だが。

「ただし」

 ベルツは真顔になった。

「あの場で本気を出してたら、あなた方を巻き添えにしてました」


「え?」


「半径数キロは更地になりますので」


 沈黙。


 アベルは固まった。

 エレナも黙る。


 アザエルだけが紅茶を飲みながら呟く。

「ベルツは加減が苦手だからね」


「また、昔の話を」

 ベルツが勢いよく振り返る。

「あれは主様のせいですよ!」

「昔、『面白いから全力でやれ』って言ったの主様でしょう!」


 アザエルは首を傾げた。

「言ったっけ?」


「言いました!!」

 森にベルツの叫びが響いた。


 重苦しかった空気が、少しだけ和らぐ。


 そのときだった。

 エレナが静かに空を見上げる。

「……カルスを倒せるようになるなら」

 拳を握る。

「早く教えなさいよ」


 アザエルは静かに微笑んだ。

「いいよ」

 一拍置く。


「ただ、その先にあるものは」

「君が思い描く復讐とは、少し違う景色かもしれない」

「それでも進む?」


 迷いはなかった。

「進むわ」

 即答だった。


 アベルは姉の背中を見る。

「姉さん……」

 震える声。

「どこまで行くの……」


 エレナは振り返らない。

 その背中だけが答えだった。


 アザエルは紅茶を飲み干し、静かに立ち上がる。

「じゃあ――始めようか」


 アベルが小さく呟く。

「姉さん……もう休んでよ」

「こんなに傷だらけなのに……」


 エレナは静かに答えた。

「休む必要なんてないわ」

 小さく笑う。

「もう――そういう身体じゃないもの」


 アベルの胸が締めつけられる。

「俺はもう一七歳なんだよ!」

「姉さん一人で全部背負おうとするなよ!」

「俺だって、一緒に戦える!」


 エレナは少しだけ目を伏せた。

「……知ってる」

 一拍。


「でも、あんたは私のたった一人の弟なの」

 優しく笑う。

「だから守りたいの」


 アベルは拳を握り締めた。

「守られてばかりは嫌なんだ!」


 その様子を見ていたベルツが、静かに口を開く。

「でしたら――」

「アベル様も契約を結べばよろしいのでは?」


 一瞬、空気が止まった。


「駄目!」

 エレナが即座に叫ぶ。

「絶対に駄目よ!」


 アベルが目を見開く。

「姉さん……」


「あんたは関係ない!」

「契約なんて、絶対にさせない!」


「でも!」


「でもじゃない!」

 エレナはアベルを真っすぐ見つめる。

「危険なのは私一人で十分なの」 「あんたまで巻き込むつもりはない」


 アベルは何も言い返せない。


 そんな二人を見ながら、アザエルは小さく笑った。

「相変わらず過保護だな」


 エレナは鋭く睨みつける。

「うるさい」

「そんなことより――」

 拳を握り締め、アザエルへ一歩踏み出した。

「早く教えなさい」

「私がもっと強くなる方法を」

 その瞳には、迷いはなかった。


 アザエルは空になったカップを眺めながら、不敵な笑みを浮かべ小さく呟いた。

「いいだろう」

「代償は――まだ始まったばかりだよ。」

「君が強くなるのは嬉しいよ。

……僕にとっても、ね」



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