囚われのアベル
◆ベルスニア共和国・北側――廃工場の地下室
暗い。
アベルは、ゆっくりと目を開けた。
「……ん……」
頭が重い。
手足が少し痺れている。
身体を起こそうとする。
「……っ」
手を動かそうとして、そこで気付いた。
拘束されている。
「……ここ、どこだ?」
薄暗い部屋。
窓はない。
壁には、見たことのない紋様が刻まれている。
遠くで何かが軋む音。
そして――。
部屋の外から、複数の気配。
アベルが耳を澄ませる。
「……誰かいる?」
返事はない。
代わりに――。
カチャ。
鍵の開く音。
アベルが顔を上げる。
扉がゆっくり開いた。
入ってきたのは、先ほど街で襲ってきた男。
「……お前は」
男は無言のまま、アベルを見る。魔力の焦げた匂いが混じっている。
その後ろから、もう一人。
さらにもう一人の男。
アベルは息を呑む。
「……僕を攫って、何をするつもりなんだ?」
すると、男の一人が口を開く。
「お前には――」
一拍。
「少し聞きたいことがある」
男たちの瞳が一瞬だけ怪しく光る。
アベルが驚く。
「僕に……?」
アベルは心の中で思う。
(ヴァンパイアでもない、ただの僕に何を聞くっていうんだ?)
◆ベルスニア共和国・東通り――アベル誘拐直後
ベルツは目を閉じたまま、静かに周囲の魔力を探っていた。
エレナは、今にも走り出しそうな身体を必死に抑えている。
「……ベルツ」
「はい」
「アベルの居場所……分かる?」
ベルツはすぐには答えなかった。意識を集中させる。街の至るところに存在する魔力。
人間。
魔族。
獣人。
そして――先ほどの襲撃者。
無数の魔力が複雑に絡み合っている。
「……追えます」
ベルツが目を開く。
「ですが、かなり巧妙に痕跡を消しています」
ジルが周囲を見回す。
「やっぱり、素人じゃないわね」
「はい」
ベルツは地面へ視線を落とした。
「アベル様を連れ去った者は、移動する際に魔力をほとんど残していません」
エレナが焦ったように尋ねる。
「じゃあ、追えないの?」
「いいえ」
ベルツは首を横に振る。
「完全に消すことはできていません」
ベルツの指先が、石畳の上へ向けられる。
「……こちらです」
ほんの僅か。
石畳の上に、黒い光が浮かんだ。
それは糸のように細く、街の奥へ続いている。
エレナが目を見開く。
「それが……アベルの?」
ベルツはゆっくりと頷く。
「アベル様を連れ去った者が残した魔力です」
エレナはすぐに走り出そうとする。
「じゃあ――」
「お待ちください」
ベルツが腕を伸ばし、エレナを制した。
「一人では行かないでください」
「でも!」
「相手は、私たちを欺くほどの準備をしています」
ベルツの声は静かだった。
「先ほどの襲撃も、アベル様を攫うための囮でした」
「同じ罠が、もう一度仕掛けられている可能性もあります」
エレナは悔しそうに拳を握る。
「……分かった」
ジルがエレナの隣に立った。
「焦るのは分かるけど、ベルツの言う通りよ」
「アベルを助けるなら、まず私たちが捕まらないこと」
エレナは小さく頷いた。
「うん……」
ミナが静かに言う。
「でも……」
その声に、ベルツが振り向く。
「どうしました?」
ミナは周囲を見回す。
「さっきから……街の人たちが、私たちを見ています」
エレナも周囲へ目を向けた。
通りには数人の人がいる。
会話をしている者。
道を歩いている者。
誰もが一見、普通の人間に見える。
だが――。
その何人かが、こちらへ視線を向けていた。
エレナは小声で呟く。
「……やっぱり、見られてる」
ジルが口元を吊り上げる。
「そりゃそうでしょ」
「こんな街中で、派手に一人攫われたんだから」
ベルツは街の人々を見つめる。
「……それだけではありません」
「この街の住人たちは、私たちが何者なのかを探っているように見えます」
エレナが眉を寄せる。
「つまり……?」
ベルツは周囲を見ながら言う。
「私たちがここへ来たことは、かなり早い段階で知られていたのでしょう」
ジルが腕を組む。
「結界があった時点で、こっちの存在は筒抜けだったみたいね」
ベルツは頷く。
「恐らく」
ミナが不安そうに尋ねる。
「では……アベルさんを攫った人たちも、この街の中に?」
「その可能性は高いです」
ベルツは再び魔力の残滓を見る。
「そして――」
黒い光の糸が、街の奥へ伸びている。
「この先に、何かあります」
エレナが一歩前へ出る。
「行こう」
その声には、もう迷いがなかった。
「アベルを連れ戻す」
ベルツはエレナを見る。
「はい」
「ですが、決して単独で動かないようにしてください」
「分かってる」
エレナは強く頷く。
「今度は、絶対に離れない」
ジルが笑う。
「それでいいわ」
「アタシも今回は、本気で行くから」
ベルツが先頭へ立つ。
「では、行きましょう」
四人は、黒い魔力の残滓を追って歩き始めた。
大通りから一本。
さらに一本。
進むほどに、人の姿が減っていく。
店の数も少なくなっていく。
賑やかだった街の喧騒が、少しずつ遠ざかっていった。
エレナが周囲を見回す。
「……建物はあるけど、急に静かになったね」
「はい」
ベルツが答える。
「人目を避けるには、都合のいい場所です」
ジルが前方を見る。
「ということは――」
「アベルを連れて行くには、ちょうどいい場所ってことね」
ベルツは答えなかった。
ただ、足を止める。
「……ここです」
四人の前には、古びたビルが並んでいた。
人の気配はない。
窓も閉ざされている。
だが――。
ベルツの目には、建物の奥から漏れ出す魔力が見えていた。
エレナが息を呑む。
「……ここにアベルが?」
「分かりません」
ベルツは建物を見つめる。
「ですが、魔力の残滓はこの建物の前で途切れています」
ジルが拳を握る。
「つまり……」
「ここから先は、直接探すしかないってことね」
ベルツが頷く。
「はい」
エレナは一歩、建物へ近づいた。
「アベル……」
そのとき――。
建物の奥から。
ほんの一瞬だけ。
何かの魔力が膨れ上がった。
ベルツの瞳が鋭くなる。
「――来ます」
ジルが笑った。
「ようやくお出まし?」
エレナも拳を握る。
「今度は、逃がさないから」
四人は身構えた。
静まり返った街の一角。
そのビルの奥で――。
何者かが、こちらを待っていた。




