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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~【金曜朝7時更新】  作者: 準


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消えたアベル、北の影

第29話 消えたアベル、北の影


◆ベルスニア共和国・東通り

 黒い魔力が、地面を這う。

 石畳が軋み、周囲の空気が重く沈んでいく。


 エレナは一歩も退かなかった。

「……なんなのよ、この魔力」


 隣に立つベルツが、静かに答える。

「私にも分かりません」

「ですが――」

 ベルツは男から視線を逸らさない。

「普通の魔力ではないことだけは確かです」


 ジルが口元を吊り上げる。

「だったら、確かめてみるわ」

「アタシがね」


 その瞬間――

 男の姿が消えた。


「――ッ!」

 エレナが目を見開く。

 次の瞬間。

 男は、エレナの目の前にいた。

 黒い魔力を纏った拳が振り抜かれる。


「エレナ様!」

 ベルツの声が響く。


 ――ドォン!!

 石畳が大きく砕け散った。


 エレナは間一髪回避していた。


 そして。

 ベルスニア共和国の街を揺るがす戦いが、始まった。


「エレナ様!下がってください」

 ベルツが叫ぶ。


 男は人間の姿をしている。

 普通の青年にしか見えない。

 だが、その身体から放たれる魔力は明らかに人間のものではなかった。


「何よ、アンタ!」

 エレナが一歩前へ踏み出す。

「いきなり襲ってきて……どういうつもり!?」


 男は答えない。

 ただ、右腕に黒い魔力を纏わせ、エレナを睨みつけている。


 ベルツが素早く前へ出た。

「エレナ様、下がってください!」


「嫌よ」

 エレナは拳を握りしめる。

「こいつ、いきなり襲ってきたんでしょ?」

「だったら理由くらい聞かせてもらうわ」


 一歩。

 さらに一歩、男との距離を詰める。


「答える気がないなら――」

 エレナの黒翼が大きく広がった。

「無理やり聞くまでよ!」


 次の瞬間――

 男が地面を蹴った。

「ッ!」

 右腕に纏った黒い魔力が、一気に膨れ上がり、ジリジリと音を立てる。


「エレナ!」

 ジルが叫ぶ。


 だが――

 エレナも拳を引いた。

「来なさい!」


 男の拳が迫る。


 その瞬間――

 ジルが二人の間へ割り込んだ。

「邪魔よ!」

 ――ドンッ!!

 ジルの拳が、男の身体へ真正面から叩き込まれる。


「ぐあっ!」

 男の身体が宙へ浮き、そのまま石畳を何度も転がった。


「ジル!」

 エレナが驚いて振り返る。


 ジルは拳を軽く振りながら、倒れた男を睨む。

「エレナ、大丈夫?」


「私は平気だけど……」

 エレナは男へ視線を戻す。

「……あいつ、今の魔力……」


 ジルが拳を構え直した。

「そう。ちょっと変わった魔力を腕に宿してた」

 そして、ニヤリと笑う。

「まあ――」

「アタシを誰だと思ってるのよ」


 ベルツも倒れた男へ視線を向ける。

「……まだ動けますね」


 男はゆっくりと身体を起こす。

 その目に、先ほどまでとは違う警戒の色が浮かんでいた。


 エレナは拳を握り直す。

「……今度は逃がさないわよ」

「ちゃんと話してもらうからね」


「待って!」

 ジルが叫ぶ。

「こいつ、一人じゃないわ」


 その瞬間だった。

 ベルツの表情が変わった。

「――!」

 背後。

 ほんの一瞬。

 何かが走った。


「アベル!」

 エレナが振り返る。

「え?」

 そこにいたはずのアベルの姿が――。

 消えていた。

「……え?」

 エレナの顔から血の気が引く。

「アベル?」

 返事はない。


 ベルツが周囲を見回す。

「アベル様!」


 ジルも振り返った。

「ちょっと……!」


 地面には――。

 アベルが履いていた靴が、片方だけ転がっていた。


 ミナが息を呑む。

「……アベルさん?」


 遠く。

 街の外れへ続く路地の奥で――。

 一瞬だけ、何かが動いた。

 そして。

 その気配も、瞬く間に消えていった。


 ジルが、先ほどまで男が倒れていた場所へ慌てて駆け寄った。

「……いない」

 石畳の上に、男の姿はなかった。


 エレナが目を見開く。

「え……?」


 ベルツは周囲を見渡し、静かに呟いた。

「……アベル様を攫うための囮だったのかもしれません」


 ミナが息を呑む。

「囮……?」


「はい」

 ベルツは先ほどの男が現れた方向へ視線を向ける。

「私たちの注意を引きつけ、その隙にアベル様を狙ったのでしょう」


 ミナの表情が曇る。

「それなら……最初からかなり計画的だったということですね」


 エレナの顔から血の気が引いた。

「……アベル?」

 辺りを見回す。

「アベル!」

「どこに連れて行ったのよ!?」


 今にも走り出そうとするエレナの肩へ、ベルツが手を置く。

「エレナ様、落ち着いてください」


「でも――!」


「大丈夫です」

 ベルツは静かに目を閉じた。

「魔力の残像は追えます」


 ジルも周囲へ視線を走らせる。

「それに、殺すつもりなら、わざわざ連れ去る必要なんてないわ」

「……だから、今のところアベルの命は大丈夫よ」


「今のところって……!」

 エレナは唇を噛みしめる。

 胸が締め付けられるような痛みが走った。


 ミナがそっとエレナの手を握った。

「エレナさん……」

「大丈夫です」

「アベルさんは、きっと無事です」


 その言葉に、エレナは震える息を吐いた。

「……うん」

「絶対に助ける」


 ベルツが頷く。

「誘拐である以上、向こうから何らかの要求や指示が来る可能性もあります」

「まずは焦らず、痕跡を追いましょう」


 ジルが腕を組む。

「でも……最初からアベル狙いだったんじゃない?」

「私たちの中で、普通の人間はアベルだけだったし」


 エレナがハッとする。

「……そういうこと?」


 ミナも周囲を見渡した。

「先ほどまであった気配が、もう消えています」


 ベルツが目を閉じる。

「……確認します」

「代わりに……別の場所へ魔力が集まっていますね」


 ジルがエレナへ視線を向けた。

「焦る気持ちは分かるけど、今はベルツに任せなさい」

「アベルを助けるなら、私たちまで冷静さを失ったら駄目よ」


 エレナは拳を握りしめたまま、頷いた。

「……分かった」

「でも、絶対に助けるから」


ベルツが目を開く。

「追跡はします」

「ですが――何よりもアベル様の命を優先します」


 そして、ジルを見る。

「ジルさん」

「すぐに頭へ血を上らせて、周囲ごと吹き飛ばさないでください」


 ジルがムッとする。

「誰がそんなことするのよ」


「……しますよね?」


「……たぶん」

 ベルツは小さくため息をついた。


「エレナ様も、私の指示には従ってください」


 エレナは真剣な表情で頷く。

「分かった」

「アベルを助けるためなら、ちゃんと従う」


 そのとき。

 ミナがふと顔を上げた。

「……待ってください」

 全員の視線がミナへ集まる。

「この街……東側に、かなり強い魔力の集団がいます」

「でも……」

 ミナはゆっくり北の方角へ顔を向けた。

「北側にも、魔力の集団を感じませんか?」


 ベルツが再び目を閉じる。

「…………」

 数秒後。

「はい」

「確かに感じますね」

 ベルツが北の方角へ顔を向ける。

「おそらく……北側にいるのが、ヴァンパイアではないでしょうか」


 ジルも目を細める。

「そうね」

「この感じ……キアラたちと少し似てる」

「ヴァンパイアの可能性は高いわ」


 ベルツが静かに頷く。

「私たちは、皆さんを救うために別血統のヴァンパイアを探しに来ました」

「本来なら、北側へ向かうべきでしょう」

 一拍。


 ベルツはミナを見る。

「ですが……ミナ様」

「今回は、アベル様の救出を最優先してもよろしいでしょうか?」


 ミナは迷うことなく頷いた。

「もちろんです」

「一緒にアベルさんを助けに行きましょう」


 エレナの目から、堪えていた涙がこぼれた。

「……ミナさん」


 ミナは微笑む。

「大切な人を助けたい気持ちは、私も同じですから」


 エレナは涙を拭い、強く頷いた。

「ありがとう……!」


 ジルが北の方角と、アベルが連れ去られた方向を交互に見る。

「さて……」

「どうやら、目的地が二つになっちゃったわね」


 ベルツは静かに頷いた。

「まずは、アベル様です」

 四人は顔を見合わせる。

 そして――

 アベルが連れ去られた魔力の残滓を追い、歩き始めた。


 その先に何が待っているのか。

 誰がアベルを攫ったのか。


 北へ続く道。

 そして、アベルが連れ去られた方向。

 一行は、迷うことなく歩き始めた。

 ベルスニア共和国の静かな街に――二つの異なる魔力が渦巻いていた。

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