魔族の街、ベルスニア
◆ベルスニア共和国・郊外――森林地帯
黒い魔法陣が、深い森の中へ静かに展開された。
木々の間を黒い光が走り――
次の瞬間。
エレナたち五人の姿が、魔法陣の中から現れた。
ベルツ。
ジル。
エレナ。
アベル。
そして、ミナ。
魔法陣が消える。
森には、風が吹いていた。
だが――。
誰も、すぐには歩き出さなかった。
ベルツが周囲を見回している。
いつもの穏やかな表情ではない。
鋭く細められた瞳。
木々の向こう。
地面。
空。
あらゆる方向へ視線を走らせている。
エレナが気付く。
「……ベルツ?」
ベルツは返事をしない。
数秒後。
ベルツはようやく口を開く。
「……結界があります」
アベルが周囲を見回す。
「結界?」
「はい」
ベルツは一歩前へ出る。
右手を軽く上げると、指先から僅かな魔力が流れた。
すると――。
空気が、ほんの僅かに揺らいだ。
何もないはずの空間に、薄い光の膜のようなものが浮かび上がる。
エレナが目を見開く。
「え……?」
「街全体を覆うように、結界が張られています」
ジルが腕を組む。
「やっぱりね」
アベルが振り返る。
「やっぱりって……?」
ジルは結界を見つめながら続けた。
「ベルスニア共和国は、普通の街じゃないってことよ」
「ここにいる魔族たちは、人間界で普通に暮らしてる」
「人間の姿に化けてね」
アベルが驚く。
「……人間に?」
ジルが頷く。
「そう」
「獣人だって、人間の姿になれる奴はいるわ」
「耳や尻尾を隠して、普通の人間として生活してる」
エレナが眉を寄せる。
「じゃあ……街を歩いてる人の中にも?」
ジルは笑う。
「魔族がいる可能性は高いわね」
「もちろん、全員がそうってわけじゃないけど」
ミナが不安そうに街の方向を見る。
「……そんな場所に、私たちは入って大丈夫なんでしょうか?」
ベルツが答える。
「だからこそ、警戒が必要なのです」
その声は、いつもより低かった。
「この結界は、侵入を防ぐためだけのものではありません」
ベルツは指先を結界へ向ける。
「おそらく――」
「内部へ入った者の魔力を感知する機能も備えているでしょう」
エレナが息を呑む。
「じゃあ……」
「私たちが来たことも、もうバレてる?」
ベルツが周囲を確認しつつ頷く。
「その可能性は高いです」
アベルが苦笑する。
「……歓迎されてないかもしれないね」
ジルがニヤリと笑った。
「歓迎されると思って来たの?」
「いや、思ってないけど……」
アベルが小さく答えた。
ベルツは再び街の方向を見る。
「ここは、魔族が組織的に暮らしている場所です」
「結界を維持し、人間に紛れ、長い間その存在を隠している」
「つまり――」
ベルツの瞳が鋭くなる。
「それだけの力と統率力を持った集団ということです」
エレナが静かに頷く。
「なるほど……」
「普通のヴァンパイアの集まりじゃないってことね」
「はい」
ベルツは短く答えた。
「……セラフィナさんは?」
ベルツがミナを見る。
「何か感じますか?」
ミナが自分の胸へ手を当てる。
「いえ……」
ミナは小さく首を振る。
「今は何も」
「声も聞こえません」
「ただ……」
ミナは街の方を見る。
「私の直感ですが……私たちが見られているような感じがします」
ベルツの表情がさらに険しくなった。
「……私も同じ感覚です」
ジルが笑う。
「へぇ」
「向こうもこっちを見てるってわけね」
エレナが少し緊張した様子で尋ねる。
「じゃあ、どうする?」
ベルツはしばらく街を見つめ――。
静かに答えた。
「街へ向かいましょう」
アベルが驚く。
「行くの?」
「はい」
「ここで立ち止まっていても、状況は変わりません」
ベルツは一行を振り返った。
「ただし――」
その表情には、普段の柔らかな雰囲気がなかった。
「警戒を怠らないでください」
「相手が敵なのか、味方なのか」
「それを判断するまでは、決して気を抜かないように」
エレナが頷く。
「分かった」
アベルも拳を握る。
「うん」
ジルは楽しそうに笑った。
「さあて……」
「どんな連中が住んでるのか、見に行きましょうか」
ミナも小さく頷く。
「はい」
ベルツが先頭に立つ。
その後ろへ、四人が続く。
森の向こう。
人間を装った――魔族たちが住む街。
ベルスニア共和国。
その入口へ向かって、一行は歩き始めた。
◆ベルスニア共和国――市街地
森を抜けると――。
そこには、一つの街が広がっていた。
石畳の大通り。
並んでいるのは、武器屋や道具屋ではない。
パン屋。
果物屋。
衣料品店。
食堂。
朝の街には多くの人々が行き交い、店先では商売人たちが元気な声を上げている。
「焼きたてだよー!」
「新鮮な果物はいかがですかー!」
「今日の魚はいいのが入ってるよ!」
エレナは思わず辺りを見回した。
「……普通の街だね」
アベルも頷く。
「うん」
「もっとこう……」
少し考える。
「魔族の街っていうから、角が生えてる人とか、翼がある人とか、普通に歩いてるのかと思ってた」
ジルが吹き出した。
「そんな分かりやすい奴ばっかりだったら、とっくに人間にバレてるわよ」
アベルは少し苦笑いをしつつ頷く。
「それもそうか……」
ミナも街並みを眺めていた。
「本当に、人間の街と変わらないですね」
ベルツは周囲を警戒しながらも、静かに頷く。
「そうですね」
「ですが、見た目だけで判断してはいけません」
そのとき――。
「そこのお嬢ちゃん!」
突然、店先から声が飛んできた。
エレナが振り返る。
「私?」
店の前に立っていた中年の女性が、にこにこと笑っている。
「そうそう!」
「お姉ちゃん、ちょっと見ていかない?」
「うちの店、若い子向けの服がたくさんあるよ!」
エレナは少し困ったように笑う。
「えっと……」
女性は今度はミナを見る。
「あら!」
「そっちのお嬢ちゃんも可愛いねぇ!」
ミナが驚く。
「えっ……?」
「姉妹かい?」
「い、いえ……」
ミナが慌てて首を振る。
「姉妹じゃないです」
「そうなの?」
女性はエレナとミナを交互に見た。
「でも二人とも可愛いから、姉妹みたいだねぇ」
エレナが少し照れたように笑う。
「ありがとうございます」
すると――。
「ちょっと待って」
ジルが割り込んだ。
「アタシは?」
店員の女性がジルを見る。
「……え?」
ジルは胸を張る。
「アタシも可愛いお嬢ちゃんじゃない?」
数秒の沈黙。
女性が困ったように笑う。
「……お姉さん、元気そうだね」
「そこ!?」
ジルが叫ぶ。
アベルが吹き出した。
「ぷっ……」
「アベル、笑ったわね?」
「いや、ごめん!」
「でも……」
アベルは笑いながらジルを見る。
「確かに、お嬢ちゃんって感じじゃないかな」
「アンタまで言う!?」
エレナも思わず笑ってしまう。
ミナも口元を押さえて笑う。
「ふふっ……」
ベルツまで、ほんの僅かに口元を緩めていた。
ジルは不満そうに腕を組む。
「まったく……」
「アタシだってまだまだ若いんだから」
「はいはい」
エレナが笑いながら先へ進む。
「行くよ、ジル」
「待ちなさいよ!」
そんなやり取りをしながら、一行は大通りを進んでいく。
そこには、魔族の街という異様さなど微塵もなかった。
子どもたちが走り。
老人が店先で談笑し。
商人たちが客を呼び込んでいる。
ごく普通の――人間の街。
だが。
ベルツだけは、時折足を止めていた。
周囲へ視線を向ける。
そして、また歩き出す。
エレナが気付く。
「ベルツ?」
「何か分かった?」
「いえ」
ベルツは首を横に振った。
「まだ確信はありません」
「ですが――」
ベルツの視線が、街の奥へ向く。
「魔力が集まっている場所があります」
ジルも周囲を見渡す。
「アタシも感じるわ」
アベルが驚く。
「え?」
「僕には全然分からないけど……」
ジルが笑う。
「アンタは人間なんだから、仕方ないわよ」
「でも、確かにいる」
「この街の奥に、かなり濃い魔力が集まってる」
ベルツが頷いた。
「そちらへ向かいましょう」
「恐らく、何らかの手掛かりがあるはずです」
一行は大通りを外れ、街の奥へ進んでいく。
しばらく歩くと――。
先ほどまでの賑わいが、少しずつ消えていった。
店が減る。
人通りも減っていく。
聞こえていた商人たちの声も、いつの間にか遠くなっていた。
エレナが辺りを見回す。
「……急に静かになったね」
「そうね」
ジルも笑みを消していた。
「さっきまで、あんなに人がいたのに」
ベルツが立ち止まる。
「……皆さん」
その声に、一行が足を止めた。
「ここから先は、警戒してください」
ベルツの瞳が鋭くなる。
「魔力が近い」
ミナも胸へ手を当てる。
「……私も感じます」
アベルが周囲を見る。
「どこにいるの?」
「分かりません」
ベルツが答える。
「ですが――」
次の瞬間。
ベルツの表情が変わった。
「来ます!」
「え?」
エレナが振り向く。
同時に――。
路地の奥から、一人の男が飛び出してきた。
その身体から滲み出る魔力は、これまで感じたヴァンパイアのものとも、悪魔のものとも違っていた。
黒い。
それだけではない。
まるで生き物のように蠢き、男の腕へ絡みついている。
そして少し、焦げたような匂い。
エレナは拳を握りしめた。
「……何なのよ、アンタ」
男は答えない。
ただ、異様に光る瞳でエレナたちを見つめている。
ベルツの表情から、いつもの余裕が消えた。
「……皆さん、警戒してください」
ジルも拳を構える。
「へぇ……」
「久しぶりに、面白そうなのが出てきたじゃない」
ミナが胸を抑える。
「胸が少し熱い気がする」
男の口元が、わずかに歪んだ。
そして――
黒い魔力が、一気に膨れ上がった。
――この男は、一体何者なのか。
なぜ、この街に現れたのか。
そして彼らを待ち受けるものとは――。
答えを知る者は、まだ誰もいなかった。




