静かな朝と紅い瞳
◆人間界・エレナたちの街近郊――森
黒い魔法陣が、静かな森の中へ広がった。
夜の闇を切り裂くように、淡い光が木々の間を照らす。
やがて――。
魔法陣の中から、一行の姿が現れた。
エレナ。
アベル。
ミナ。
リーナを悪魔界へ残し、再び旅へ戻った一行。
そして、ベルツとジル。
ミナは、森の空気を静かに吸い込んだ。
「……戻ってきた」
その声には、少しだけ安堵が混じっていた。
空を見上げる。
東の空が、ゆっくりと白み始めている。
夜の終わり。
朝の始まり。
太陽が地平線から顔を出し始めていた。
時刻は――。
午前六時を少し過ぎた頃。
エレナは大きく息を吐いた。
「……もう朝じゃない」
アベルも眠そうに目を擦る。
「完全に朝だよ」
「魔界に行って戻ってきただけなのに……」
「なんか一晩全部使った感じがする」
エレナは肩を落とした。
「今日、徹夜になったじゃない……」
アベルも欠伸をする。
「帰ってきたら、急に眠気が来たよ」
魔界にいる間は緊張が続いていた。
しかし、目的を果たして人間界へ戻った瞬間、身体が疲労を思い出したようだった。
そんな中、ベルツはミナへ視線を向ける。
「ミナ様」
「一つ確認させてください」
ミナは振り向く。
「はい」
「セラフィナ様とは、会話が可能でしょうか?」
ミナは少し考える。
そして、自分の胸へ手を添えた。
「……はい」
「セラフィナさんの声は、私には聞こえます」
「でも……」
少し首を傾げる。
「今は反応がありません」
ベルツは静かに頷いた。
「恐らく、精神世界で力を使われた影響でしょう」
「しばらく休まれているのかもしれません」
ミナは小さく頷いた。
不思議と不安はなかった。
先ほどまで、自分を包んでくれていた優しい声。
その存在を、確かに感じていたからだ。
アベルが心配そうに尋ねる。
「ミナさん」
「身体の具合はどう?」
ミナは自分の身体を確認するように手を握る。
「大丈夫です」
「落ち着いています」
「喉の渇きもありません」
「変異していた時は……身体が焼けるように熱かったですけど」
一瞬、胸へ手を当てる。
「セラフィナさんのお陰で、今は大丈夫です」
その言葉を聞き、エレナは安心したように息を吐いた。
しかし――。
ミナの瞳は、人間のものとは違っていた。
朝日の中で輝く瞳。
その色は――。
鮮やかな紅。
ヴァンパイアの証。
半変異した身体は、完全に元へ戻ったわけではない。
ジルはその瞳を見ながらも、いつもの調子で言った。
「まあ、細かい話は後にしましょ」
「まずは朝ご飯」
「またダイナーに行くわよ」
エレナがゆっくり振り返る。
「は?ジル……今?」
「私、食欲より睡眠欲が勝ってるんだけど」
「というか、普通に寝たい」
ジルは笑う。
「何言ってんの」
「ヴァンパイアとの戦いもあったし、腹が減ったわよ」
「それに――」
ニヤリと笑う。
「朝ご飯は大事よ」
エレナは小さくため息をつき、苦笑した。
「……ジルって、本当に食べることが好きよね」
ミナが照れくさそうに微笑む。
「私も、お腹が空きました」
「血じゃなくて……普通の食事がしたいです」
ベルツはその言葉に静かに頷いた。
「セラフィナ様の力で、半変異が抑えられていますね」
「血ではなく食事を求められるというのは、とても良い兆候です」
そのときだった。
ミナが、ふと顔を上げる。
「……今」
全員がミナを見る。
「セラフィナさんが」
ミナは静かに続けた。
「私の半変異を抑えることは、問題ないと言っています」
ベルツが目を細める。
「ほう……」
「それに」
ミナは安心したように微笑む。
「急がなくても大丈夫」
「時間には、まだ猶予があるそうです」
ベルツは静かに頷いた。
「それは朗報ですね」
「しかし――」
エレナとアベルを見る。
「人間であるお二人には、睡眠が必要です」
「一度、ご自宅へ戻りましょう」
「五時間ほど休まれることを推奨します」
アベルは苦笑した。
「五時間……」
エレナが苦笑いする。
「ちゃんと寝ろってことね」
「はい」
ベルツは真剣だった。
「睡眠不足では、戦闘時の判断力にも影響します」
そして、ベルツはジルとミナを見る。
「その間、私はジルさんとミナ様を連れてダイナーへ向かいます」
エレナが少し驚く。
「え?」
「じゃあ、その間に次の行き先を決めるの?」
アベルも続ける。
「そういえば……」
「また水晶を使えば、ヴァンパイアは見つけられるんですよね?」
ベルツは静かに頷いた。
「それについては――」
そう答えながら、朝日が差し込む森の奥を見つめる。
「少し説明が必要ですね」
ベルツは静かに水晶玉を出し、手を添えた。
「以前、リリス様とキアラ様を探し出せたのは、始祖とその直系という、極めて強い魔力を放っていたからです」
「ですが――」
「人間界には魔力を持つ存在が数多くおります」
アベルは驚いたように目を丸くした。
「そんなにいるの?」
ジルがニヤッとする。
「いるわよ」
「人間は気付いてないだけでね」
「魔力が強い奴は数えるほどだけど、それでもヴァンパイアだけじゃない」
ベルツも頷いた。
「その通りです」
「私はリリス様、キアラ様とは面識がありましたので、水晶越しでもお二人の魔力を判別できました」
「ですが、それ以外となると……」
ベルツは水晶を見つめる。
「大半は、誰の魔力なのか判別できません」
アベルは首を傾げた。
「ヴァンパイア以外にもいるってこと?」
ジルが指を折りながら答える。
「有名どころなら、魔法使い」
「ウェアウルフ」
「妖精」
「精霊」
「魔族の生き残り」
「あと、呪われた人間なんてのもいるわね」
「森にいる魔獣だって魔力はあるしね」
アベルは思わず苦笑した。
「……思ってた以上にファンタジーな世界だった」
ジルが笑いながら言う。
「人間だけが『人間しかいない』と思い込んでる」
「人間界の中にもヴァンパイアと同様に紛れているんだよ」
ベルツは静かに水晶を懐へ戻した。
「ですので、焦って探しても成果は望めません」
「まずは情報を集めながら、一つずつ当たっていくことになります」
エレナは小さく息を吐く。
「なるほどね」
「簡単には見つからないってことか」
ベルツは静かに頷いた。
「はい」
「だからこそ、今は英気を養うことも重要です」
そう言うと、ベルツは一歩前へ出た。
「それでは、一旦ここで別行動といたしましょう」
エレナが顔を上げる。
「別行動?」
「はい」
「私とジルさん、そしてミナ様はダイナーへ向かいます」
「エレナ様とアベル様は、ご自宅でゆっくりお休みください」
「五〜六時間後、私がお迎えに参ります」
アベルは少し申し訳なさそうに笑った。
「なんか僕たちだけ休んじゃって悪いなぁ」
ジルが笑って手を振る。
「何言ってんの」
「人間は寝るのも仕事よ」
「寝不足で足引っ張られた方が困るわ」
エレナは苦笑した。
「それをジルに言われると、なんか複雑なんだけど」
「はいはい」
ジルは軽く笑う。
「その間にアタシたちは朝ご飯食べてるから」
ミナも柔らかく微笑んだ。
「ゆっくり休んでください」
「私も、もう大丈夫ですから」
エレナは安心したように頷く。
「うん」
「ありがとう、ミナさん」
ベルツは深く一礼した。
「それでは、後ほど」
エレナとアベルも軽く手を振る。
「またあとで!」
「気を付けてね!」
ベルツたちは街のダイナーへ向かって歩き出す。
エレナとアベルは、自宅のアパートへ。
朝の柔らかな陽射しの中、一行は再び二手に分かれた。
それぞれが次の目的へ備えるための、束の間の休息だった。




