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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~【金曜朝7時更新】  作者: 準


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翼は少女に宿る

◆悪魔界・アザエル城――執務室

 巨大な扉が静かに開かれる。

 ベルツを先頭に、一行は部屋の中へ足を踏み入れた。

「失礼いたします」


 執務室の奥では、一人の男性が優雅に紅茶を口へ運んでいる。

 悪魔界の異端児――アザエル。


 その向かいには、長い金髪を揺らす一人の女性が静かに微笑んでいた。

 雪のように白い翼。

 穏やかな微笑み。

 神々しいほどの気品を纏ったその女性は、アザエルと談笑しながらティーカップを手にしている。


 アベルは思わず目を丸くした。

「えっ……?」


 エレナも思わず声を漏らす。

「天使……?」

「悪魔界なのに……?」


 アザエルは一行へ気付くと、軽く手を振った。

「おっ、ベルツ」

「来たか」

 まるで友人でも迎えるような気軽さだった。


 ベルツは静かに一礼する。

「ご無沙汰しております、主様」


 続いて白い翼の女性へ向き直る。

「堕天使セラフィナ様も、お久しぶりでございます」


 女性は柔らかく微笑んだ。

「ええ、ベルツさん」

「お元気そうで何よりです」


 アベルは思わずベルツを見た。

「堕天使……?」

「えっ?」

「セラフィナ様って、あの?」


 ベルツは静かに頷く。

「はい」

「元熾天使(してんし)。現在は堕天使となられた、セラフィナ様です」


 ジルは興味深そうにセラフィナを見つめる。

「へぇ……」

「アタシ、初めて会うわ」


 セラフィナは上品に会釈した。

「初めまして、ジルさん」

「お話はアザエルさんから伺っております」


 ジルは少し照れたように笑う。

「へぇ」

「悪口じゃないでしょうね?」


 アザエルがすぐさま口を挟む。

「安心しろ」

「七割くらいだ」


「安心できないわよ!」

 ジルの即座のツッコミに、部屋へ小さな笑いが広がった。


 ベルツは静かにミナへ視線を向ける。

 そして――。

 事の成り行きをアザエルに話し始めた。

 眠り続ける少女。

 人間でありながらヴァンパイアへ変異しかけている半変異。

 リリスから告げられた救う方法。

 しかし、そのためには別の始祖の血統を探さなければならない。

 残された時間は、あと僅か。

 最後の望みを託し、一行はアザエルのもとを訪れていた。


 アザエルは話を聞き終えると、腕を組んだまま天井を見上げた。

 部屋へ沈黙が落ちる。


 エレナは祈るような眼差しで、その答えを待った。


 リーナは唇を噛みしめ、不安と悲しみが入り混じった表情でミナを見つめていた。


 そして――。

「無理!!」

 突然のアザエル大声に、アベルが肩を跳ねさせた。

「ヴァンパイアの飢えを抑える?」

「しかも前例もない半変異の飢えだよ?」

「そんなのできるわけないだろ!」


 アザエルは両手を大きく広げる。

「ヴァンパイアが血を飲むのは本能なんだ!」

「腹が減った人間に『三日間ご飯を食べるな』って言うようなもんだよ!」


 アザエルは腕を組み、ソファへ深く腰を沈めた。

「うーん……」


 天井を見上げ、しばらく唸る。

 部屋では誰も口を開かない。


 エレナは祈るような表情でアザエルを見つめ、アベルも固唾を呑んで答えを待っていた。


 ――しばらくの沈黙が流れる。


 アザエルは腕を組んだまま、しばらく黙り込んだ。

 指先で机を軽く叩き、 天井を見上げ、 何かを計算するように目を閉じる。


 そして――。

 やがてアザエルが、小さく指を鳴らす。

「あっ」


 ベルツが視線を向ける。

「何か思い付かれましたか?」


「ああ。」

 アザエルは当然のように頷いた。

「外から魔力を流して抑えられなくなったなら――」

 一拍置く。

「身体の中から抑えればいいじゃないか」


 一同が固まった。


「……はい?」

 ベルツが眼鏡を押し上げる。


 アザエルは眠るミナを指差した。

「ベルツかジル」

「どっちかがその子の身体へ入ればいい」

「体内から魔力を流し続ければ、今よりずっと長く飢えを抑えられるだろ?」


 ジルが目を丸くする。

「えっ?」

「アタシが?」


「そう」

 アザエルは紅茶を一口飲みながら軽く言う。

「中に住めばいい」


「そんな引っ越しみたいに言わないでよ!」

 ジルは思わず声を上げた。


 ベルツは静かに考え込む。

「……理論上は、不可能ではありません」


 エレナが顔を上げる。

「本当に出来るの?」


「はい」

 ベルツは頷く。

「悪魔であれば、精神体となって他者の身体へ入り、内部から魔力を循環させることは可能です」


 アベルが感心したように呟く。

「悪魔って、そんなことまで出来るんだ……」


 ベルツは続けた。

「ですが」

「ジルさんは、少々魔力制御に難があります」


 ジルが即座に反応する。

「少々って何よ!」


「事実です」


「否定しなさいよ!」


 アザエルが笑う。

「まあ、確かにジルだと、その子の身体ごと爆発しかねないな」


「しないわよ!」

 ジルが机を叩いた。

「……たぶん」


 ベルツは小さく息を吐いた。

「そうなりますと……」

「私が行くことになりますね」


 エレナはほっと胸を撫で下ろす。

「ベルツさんなら安心です」

 だが、ベルツは真剣な表情のまま続けた。

「しかし」

「私がミナさんの身体へ入ってしまいますと……」

 一瞬、言葉を切る。

「主様のお世話が出来なくなります」

 部屋が静まり返った。


「毎朝の紅茶」

「茶葉の管理」

「茶器の手入れ」

「お茶請けの選定」

「それらが滞る恐れがあります」


 アベルが思わず叫ぶ。

「そこなんですか!?」


 エレナも苦笑する。

「もっと他に心配することあるよね!」


 ジルは額へ手を当てた。

「アンタ、本当にブレないわねぇ……」


 ベルツは真顔だった。

「主様の紅茶は、一日の活力です」

「非常に重要です」

「主様の思考速度にも影響します」


 アザエルは満足そうに頷く。

「そうそう」

「ベルツが淹れる紅茶は美味いからな」

「茶葉の管理も完璧だし」


 そのときだった。

 サミュエルが、ふと鼻を動かす。

「……あ」

 全員の視線が集まる。

 サミュエルは少し照れ臭そうに笑った。

「今、お二人が飲んでいる紅茶……」

「東方茶園産の《月雫(つきしずく)》ですね」


 アザエルが瞬きをする。

「……お?」


 サミュエルは続けた。

「春摘みの若葉を低温乾燥させた茶葉です」

「花のような甘い香りが特徴で……」

 少し鼻を鳴らす。

「それに、ほんの少しだけ柑橘系の果皮を加えてあります」


 セラフィナが驚いたように目を見開いた。

「……正解です」


 アザエルも思わず笑う。

「お前、匂いだけで分かったのか?」


「はい」

 サミュエルは照れ笑いを浮かべる。

「キアラさんに、紅茶だけは厳しく教え込まれましたから」


 ベルツが静かに頷く。

「なるほど」

「それなら、納得です」


 サミュエルは苦笑した。

「茶葉を間違えると、一時間くらい説教されました」


 ジルが吹き出す。

「キアラらしいわねぇ」


 アザエルはベルツを見て、楽しそうに笑った。

「これなら安心じゃないか」

「ベルツの代わりに、しばらくサミュエルへ茶葉を任せればいい」


 その言葉に、ベルツが珍しく表情を変えた。

「お待ちください、主様」

「紅茶だけは別です」

「茶葉の選別から管理、淹れ方まで、私以上にできる者はいません」


 アザエルは少し笑いながら続ける。

「たまには違う者が淹れた紅茶を飲むのも悪くない」

「しばらくの間だけだ」


 ベルツは腕を組み、真剣な表情で考え込む。

「……確かに」

「茶葉の知識だけなら、サミュエルさんに任せても問題はなさそうですね」

「ですが、淹れ方は後で私が徹底的に教え込みます」


 サミュエルは突然話を振られ、目を丸くした。

「えっ……ぼ、僕ですか?」


 ベルツは真っ直ぐサミュエルを見る。

「主様へお出しする紅茶です」

「一切の妥協は許しません」


 サミュエルは思わず背筋を伸ばした。

「は、はい!」

「お、お任せください!」


 ジルは肩を震わせながら笑った。

「アンタたち、本当に紅茶の話になると熱いわね」


 アベルは思わず笑いを堪えきれなかった。

「なんでこんな緊迫した状況なのに、紅茶係が決まってるんだよ……」


 張り詰めていた部屋の空気は、束の間だけ穏やかな笑いに包まれた。


 そのときだった。

「一つよろしいですか――」

 穏やかな声が、部屋へ静かに響いた。


 全員が振り向く。


 セラフィナだった。

 ティーカップを静かにテーブルへ戻し、優雅に微笑んでいる。

「私が、その娘の身体へ入っていても構いませんよ」


 一瞬、部屋が静まり返った。

「……え?」


 エレナが目を瞬かせる。


 アベルも思わず聞き返した。

「セラフィナさんが……?」


 セラフィナは穏やかに頷いた。

「ええ」

「天界を追われてから、私の力は以前より大きく弱まっています」

「今は悪魔界で静かに力の回復を待つ身ですが……」

 ふっと微笑む。

「正直に申し上げますと、少々退屈しておりました」


 アザエルが苦笑する。

「退屈だったのか」


「ええ」

 セラフィナは上品に微笑んだ。

「その娘の中にいれば、人間界へ行くことも出来ます」

「それに――」

 その笑みが、ほんの少しだけ消える。

「私にも、果たさなければならないことがあります」

 部屋の空気が静かに引き締まった。

「エレナさんやアベルさんと同じです」

「私も……」

 静かな瞳に、僅かな怒りが宿る。

「私を天界から堕とした、ミカエリスへ返さなければならないものがあります」


 エレナは息を呑んだ。

「セラフィナさんも……」


「はい」

 セラフィナは静かに頷く。

「ですから、この申し出は皆さんのためだけではありません」

「私自身のためでもあります」


 沈黙が流れる。


 アザエルはセラフィナを見つめ、腕を組んだまま考え込んだ。

「うーん……」


 数秒後。

 アザエルは、ぽんと膝を叩く。

「いい」

「それが一番だ」


 ベルツが静かに視線を向けた。

「主様」


 アザエルは立ち上がり、ベルツを指差した。

「ベルツ」


「はい」


「セラフィナさんがエレナたちと行動を共にするなら、失礼があっては困る」

「お前は、セラフィナさんのお世話役として同行しろ」


 ベルツは一瞬だけ目を見開く。

「……私が、ですか」


「ああ」

 アザエルは当然のように頷いた。

「お前以上に礼儀を知ってる奴はいない」

「それに――」

 ニヤリと笑う。

「セラフィナさんに不味い紅茶を飲ませるわけにもいかないだろ?」


 ベルツは静かに頭を下げた。

「承知いたしました」


 アザエルはサミュエルへ視線を向け、穏やかに笑った。

「そして、サミュエルくん」

「ベルツが戻るまでの間、君には私の身の回りの世話を任せよう」

「正式にベルツの代役だ」


 突然の言葉に、サミュエルは目を丸くする。

「……僕が、ですか?」


 アザエルは軽く頷いた。

「そうだ」

「よろしく頼む」


 サミュエルは姿勢を正し、深く頭を下げた。

「はい!」

「よろしくお願いいたします!」


 アザエルは満足そうに頷き、そのまま言葉を続ける。

「君は三代目のヴァンパイアだ」

「しかも、ヴァンパイアになってまだ一年しか経っていない」

「三代目というだけでも珍しいが、その若さで君から感じる魔力量は見込みがある」

 一拍置き、穏やかに微笑む。

「君は、まだまだ強くなれる」

「ベルツが戻ってきた後もしばらくは、私の下で学びなさい」

「悪い話ではないだろう?」


 サミュエルは驚きと嬉しさが入り混じった表情で顔を上げた。

「……ありがとうございます」

「ぜひ、よろしくお願いいたします」


 アザエルは静かに笑った。

「君は面白い。茶葉を匂いだけで当てたしな」

「……採用」


 アザエルは今度はジルを見る。

「ジル」


「はいはい」


「お前は今まで通りだ」

「エレナを鍛えろ」

「人間界は何が起こるか分からん」

「今以上に強くしてやれ」


 ジルは笑みを浮かべる。

「任せときなさい」

「泣いても知らないけどね」


 エレナは苦笑した。

「……ほどほどでお願いします」


 アベルが小さく笑う。

「姉さん、それ無理だと思う」


 部屋に穏やかな笑いが広がる。


 セラフィナは静かに立ち上がった。

 眠るミナの前まで歩み寄る。

 その寝顔を優しく見つめ、小さく微笑んだ。

「あなたも、大変でしたね」

 そっと手を胸の前で重ねる。

「では――」

 純白の翼が、淡い光へと姿を変え始めた。

「少しの間、お邪魔させていただきます」


 眩い光が静かに舞い上がる。

 その光は一筋の流星のようにミナの胸元へ吸い込まれ――。

 静かな輝きとともに、その姿は消えた。

 その瞬間、ミナの身体を包んでいた赤黒い魔力が、かすかに揺らいだ。


8万文字達成です。

一週間ほど、更新はお休みです。

次回は8月7日金曜の朝7時に25話目のEpisode出します。

以降は、月曜、金曜の朝7時にアップしていけるように調整中です。

よろしくお願いします。

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