始祖が示した道
明日の朝の更新で8万文字達成です。
◆ペルシアシティ・リリス邸――応接室
部屋を包んでいた重苦しい空気の中、リリスは静かにベルツへ視線を向けた。
「アザエルさん……」
その名に、どこか懐かしさを滲ませる。
キアラも小さく目を伏せ、穏やかに微笑んだ。
「懐かしいですね」
「あの方には、昔から随分とお世話になりました」
アベルが首を傾げる。
「アザエルさんって、そんなに凄い人なんですか?」
ジルは苦笑しながら腰に手を当てた。
「凄いなんてもんじゃないわよ」
一拍置き、笑う。
「悪魔界一の問題児」
ベルツは静かに目を閉じた。
「……否定はできません」
エレナが目を丸くする。
「ベルツでも否定できないの?」
ベルツは小さくため息を吐く。
「主様は、思い立ったら誰にも止められません」
キアラがくすりと笑う。
「昔、始祖四柱へ『少し実験に付き合ってください』と仰って――」
リリスも苦笑した。
「気付けば山脈が二つ消えていました」
「えっ!?」
アベルが思わず立ち上がる。
「実験って、そういう規模なの!?」
ジルは吹き出した。
「だから異端児なのよ」
ベルツは静かに付け加える。
「主様に悪気はありません」
ジルが即座に突っ込む。
「それが一番怖いんだって」
部屋に小さな笑いが広がった。
そのときだった。
「……ぁ……」
ジルの腕の中で眠っていたミナの身体が、小さく震えた。
ミナが苦しそうに眉を寄せる。
「……くる……しい……」
ベルツの表情が一変する。
「抑制が切れ始めました」
ベルツはすぐにミナの前へ膝をつき、頭へ静かに手を添える。
黒い魔力が穏やかに流れ込み、赤く揺らぎ始めた魔力を包み込む。
「……眠っていてください」
ミナの苦しげな呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
やがて全身から力が抜け、再び深い眠りへ落ちた。
ベルツは静かに立ち上がる。
「これで、しばらくは大丈夫でしょう」
リリスは小さく目を伏せた。
「……ですが、この方法も長くは保ちません」
エレナは唇を噛み締める。
「急がないと……」
キアラはミナを見た後、静かにサミュエルへ視線を向けた。
その瞳は怒っているわけでも、責めているわけでもない。
ただ、確かめるような眼差しだった。
「サミュエルさん」
「はい」
「あなた……どうして、こんな一五、六歳ほどの少女をヴァンパイアにしたのですか?」
部屋が静まり返る。
サミュエルは申し訳なさそうに目を伏せた。
「……数か月前に、たまたま知り合ったヴァンパイアがいたんです」
「キールという女性でした」
「同じ影血の血統で、一〇〇年以上生きている方です」
ベルツが静かに目を細める。
「やはり、裏で糸を引いてたのはキールさんでしたか」
サミュエルは小さく頷いた。
「力だけなら、四代目の僕の方が上でした」
「でも、ヴァンパイアとして生きてきた時間は、僕はまだ一年ほどしかありません」
「知らないことばかりだった僕に、彼女はいろいろ教えてくれました」
一拍置き、自嘲気味に笑う。
「……今になって思えば、全部あの女に利用されていただけだったんです」
「あの街の“夜の帝王”なんて祭り上げられて、その気になっていただけでした」
キアラは小さく息を吐いた。
「私も、一週間とはいえ、あなたへ出来る限りのことは教えたつもりだったのですが……」
その一言に、サミュエルは深く頭を下げる。
「申し訳ありません」
「僕が未熟でした」
「血への渇きもありましたし……」
「キールの言葉を信じれば、この苦しみも楽になると思ってしまったんです」
「気付けば、あの人の言われるまま動いていました」
エレナは複雑そうな表情でサミュエルを見つめる。
「だからって……ミナさんをヴァンパイアに変異させるなんて」
「……はい」
サミュエルは否定しなかった。
「その通りです」
「どんな理由があっても、僕がしたことは変わりません」
アベルも静かに口を開く。
「でも……利用されていたのも、本当なんだよね」
サミュエルは力なく頷いた。
「ええ」
リリスは穏やかな声で続ける。
「ヴァンパイアになって一年ほどでは、まだ心も身体も安定しません」
「血への渇きに耐えながら生きるだけでも精一杯です」
「その状態で、一〇〇以上を生きたヴァンパイアから甘い言葉を掛けられれば……断るのは容易ではありません」
ジルも腕を組みながら苦笑する。
「経験の差ってのは、力より厄介なのよね」
「一〇〇年も生きてる相手なら、人を操るくらい朝飯前だわ」
キアラは静かにサミュエルを見つめた。
「ですが」
「だからといって、許されるわけではありません」
「あなたは、あなた自身の意思で血を与えた」
「その責任だけは、決して忘れないでください」
サミュエルはゆっくりと頷く。
「……はい」
「その罪は、一生背負っていきます」
その言葉に、全員が静かに頷いた。
少しの沈黙の後、エレナがリリスを見つめる。
「リリスさん」
「何でしょう」
「他の始祖四柱の方々は、どこにいるか分からないんですか?」
リリスはゆっくり首を横へ振った。
「分かりません」
「始祖四柱は、それぞれ自由に生きています」
「長い眠りにつく者もいれば、何十年も姿を見せない者もいます」
窓の外へ目を向ける。
「一番最近会ったのは――霧血の始祖、メリリです」
ベルツが静かに頷く。
「リリス様の妹君ですね」
「ええ」
リリスは微笑んだ。
「ですが、それも一五〇年ほど前になります」
アベルは思わず苦笑する。
「一五〇年が『最近』なんだ……」
ジルが笑う。
「長生きすると、感覚がおかしくなるのよ」
キアラも小さく頷いた。
「私も一〇〇年くらいなら、一年前のことのように思えます」
エレナは静かに息を吐いた。
「……じゃあ、探すのは難しいんですね」
「ええ」
リリスは穏やかに答えた。
「今から別の始祖を探すより、アザエルさんを頼る方が現実的でしょう」
ベルツは静かに前へ出た。
「では、主様のもとへ向かいます」
右手を掲げる。
足元へ巨大な黒い魔法陣が広がった。
部屋中へ魔力が満ちていく。
ジルはキアラを見て笑う。
「またすぐ会えそうね」
キアラも柔らかく微笑んだ。
「ええ」
「次は、ゆっくりお話ししましょう」
「約束よ」
「はい」
二人は短く笑い合う。
リリスはエレナたちへ穏やかな視線を向けた。
「何か進展がありましたら、いつでも訪ねて来てください」
「もちろん、困ったことがあっても構いません」
「私たちも出来る限り力を貸しましょう」
エレナは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
リーナも続いて頭を下げる。
「ありがとうございました」
サミュエルも静かに礼をする。
「……お世話になりました」
ベルツは魔法陣へ視線を向ける。
「皆さん、こちらへ」
一人、また一人と魔法陣の中へ足を踏み入れる。
黒い光がゆっくりと全員を包み込んだ。
次の瞬間――。
その姿は、ペルシアシティから静かに掻き消えた。
◆悪魔界
黒い魔法陣が静かに広がる。
その中央へ、一行の姿が現れた。
ベルツは静かに前を見据え思う。
(主様)
(どうか……ミナさんを救う知恵を、お貸しください)
そして一行は、悪魔界の異端児――アザエルの城へと歩き始めた。
この世界で最も常識外れと呼ばれる悪魔のもとへ。
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