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『天使を殺す契約をした』 ~たとえ神を敵にしても~【金曜朝7時更新】  作者: 準


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影の残響を辿る

◆悪魔界・ベルツの執務室

 サミュエルの口から――『キアラ』という名が零れた瞬間。

 部屋の空気が凍りついた。


 最初に口を開いたのはジルだった。

「……は?」

 いつも余裕を崩さない悪魔が、珍しく目を大きく見開く。

「キアラって……まさか、あのキアラのこと?」


 ベルツも静かに目を細めた。

 その表情に浮かんでいたのは驚きではない。

 警戒。

「……影血直系の名を、この場で聞くとは思いませんでした」


 アベルは二人の反応を見比べる。

「え……そんなに有名な人なの?」


 エレナもミナを支えながら尋ねた。

「ジル……そのキアラさんって、一体どんな人なの?」


 ジルは小さく息を吐き、どこか懐かしそうに笑う。

「アタシの旧友よ」

 一拍置いて続けた。

「……昔、一緒によく暴れてた」

「あの子、私のことを“騒がしい悪魔”って呼んでたのよ」


 その言葉に、今度はサミュエルが目を丸くした。

「えっ……キアラさんと旧友なんですか?」

「僕は偶然、キアラさんの眷属になっただけです」


 ジルはサミュエルをじっと見据える。

「その名前を出したってことは……本当にあの子の眷属なんだね?」


 サミュエルは静かに頷いた。

「うん。一年前に……助けられたんだ」


 ベルツが一歩前へ出る。

「詳しく聞かせてください」

「あなたがキアラさんの眷属となった経緯を」


 サミュエルは少しだけ目を伏せ、ゆっくりと語り始めた。

「……一年前の夜だった」

「僕は交通事故に遭って、死にかけていた」

「身体は動かない。血もほとんど流れ切って……」

「視界が赤く滲んで、音が遠ざかっていった」

「もう終わりだと思った……」


 一瞬、地下室が静まり返る。


「その時、偶然現れたのがキアラさんだった」

 サミュエルは苦笑した。

「助けた理由も、あの人らしかったよ」

『死ぬなら勝手に死ねばいい。でも、生きたいなら血をやる』

「そう言って、僕に血を与えてくれた」


 ジルは小さく目を伏せる。

「……相変わらずね、あの子」


 ベルツも静かに頷いた。

「キアラさんらしい言葉です」


 サミュエルは静かに続けた。

「瀕死だった僕に血を分け与えてくれて……ヴァンパイアとして生きる道をくれたんです」


 アベルは小さく息を漏らす。

「……だから、そんなに強いんだ」


 サミュエルは苦笑しながら頷いた。

「キアラさんとは、ヴァンパイアになってから、一週間くらい一緒に行動した」

「その間に影歩きや、ヴァンパイアとして生きるための知識を教えてもらったんだ」

「でも――」

 一拍置く。

「ある朝、目が覚めたら、もういなかった」

「何も言わずにね」


 ジルは呆れたように笑う。

「……ほんと、あの子らしいわ」

「影みたいに現れて、影みたいに消える」


 ベルツも静かに頷く。

「自由気ままな方ですからね」


 エレナが静かに尋ねた。

「……今は、どこにいるの?」


 サミュエルはゆっくり首を横に振る。

「分からない」

「あれから僕は一度も会ってない」

「探そうと思っても、あの人は自分から会いたい相手にしか姿を見せないんだ」


 部屋に沈黙が落ちる。


 ベルツは深く息を吐いた。

「……もし本当にキアラさんが人間界で動いているのなら」

「始祖四柱――リリス様も目覚めている可能性があります」


 その言葉に、空気が再び重くなる。


 ジルは腕を組み、小さく苦笑した。

「そうね」

「あの子が勝手に動くとは思えない」

「リリスさんが絡んでる可能性は高いわ」


 エレナは眠るミナの手をそっと握った。

「でも……」

「そのリリスさんかキアラさんなら、ミナさんを助ける方法を知ってるかもしれない」


 ベルツは静かに頷く。

「可能性は十分あります」

「始祖四柱のリリス様。その影血直系であるキアラさんなら、半変異についても知っているでしょう」

「まずは、その居場所を探る必要があります」


 ジルがサミュエルへ視線を向けた。

「最後にもう一回聞くわ」

「あんた、本当にキアラの居場所は知らないのね?」


 サミュエルは苦笑しながら両手を上げる。

「知らないよ」

「知っていたら、とっくに会いに行ってる」


 ベルツは魔術書を開き、黒い水晶を掌に乗せた。

「では、これで調べてみましょう」

「キアラさんほどの存在なら、影の痕跡は完全には消せないはずです」

 黒い水晶が淡く輝き始める。


 その光を見つめながら、エレナは心の中で静かに呟いた。

(キアラさん……)

(あなたなら、ミナさんを救えるの……?)


 静まり返った部屋に、水晶の淡い輝きだけが静かに揺れていた。


 黒い水晶が淡く光を放つ。

 ベルツは掌の上でそれを静かに転がし、魔力を流し込んだ。

「影血直系が人間界で動いたなら、必ず痕跡が残ります。完全に消すことはできません」


 ジルが腕を組みながら、水晶を覗き込む。

「キアラの影は特殊よ。普通の影とは違う。彼女の影は“生きてる”」


 サミュエルが小さく頷く。

「……確かに。一緒にいた時、影が勝手に揺れてることがあった」


 ベルツは水晶を床に置き、指先で魔術陣を描き始めた。

 黒い線が床に広がり、淡い光を帯びていく。

「影の痕跡は、魔力の“揺らぎ”として残ります。キアラさんほどの存在なら、なおさら」


 エレナはミナを抱き寄せながら、静かに見守った。

「……見つかる?」


「見つけますよ、エレナ様。影血直系の痕跡は、他の魔力とは違う。“冷たいのに、熱い”んです」 ベルツが魔術陣に触れた瞬間――水晶が黒く脈動した。


 リーナが息を呑む。

「……動いたよ!」

 水晶の中に、黒い靄がゆっくりと渦を巻き始める。

 まるで影が呼吸しているようだった。


 ベルツは目を細め、水晶を見つめた。

「……間違いありません」

「これは、キアラさんの影の残滓です」

 一拍置き、水晶の揺らめきを見つめる。

「ですが、反応が二つありますね」

「おそらく……リリス様もご一緒だったのでしょう」


 ジルが身を乗り出した。

「で、場所は?」


 ベルツは黒い水晶へ魔力を流し込む。

 すると、水晶から立ち上る黒い靄がゆっくりと形を変え、一つの景色を映し出し始めた。

 大きな門。

 広い庭園。

 そして、その奥に建つ壮麗な屋敷。


 ベルツは静かに告げる。

「反応は人間界」

「……ペルシアシティです」

「市街地から少し離れた場所にある、大きな屋敷ですね」


 サミュエルは思わず息を呑んだ。

「ペルシアシティ……」

「僕が事故に遭った場所の近くです」


 ジルは腕を組み、眉をひそめる。

「じゃあ、あんたを助けた頃から、その辺りを拠点にしてたってこと?」


 サミュエルはゆっくり頷いた。

「……たぶん、そうだと思います」


 ベルツは水晶を静かに握り直す。

「キアラさんだけではありません」

「リリス様もご一緒だったのであれば、お二人で人間社会に紛れ、この屋敷を拠点にしていた可能性が高いでしょう」


 ジルは映し出された屋敷を見つめ、小さく呟いた。

「……面倒なことになってきたわね」


 アベルが不思議そうに首を傾げた。

「でも、人間に紛れて暮らしてたって……」

「ヴァンパイアって昼間は外に出られないんじゃないの? 太陽の光で」


 ジルはくすりと笑う。

「それ、人間が勝手に作った迷信よ」


 サミュエルも苦笑しながら頷いた。

「確かに、太陽の光を浴び続けると体力は消耗します」

「でも、焼け死んだり灰になったりはしません」


 リーナが目を丸くする。

「じゃあ、全部嘘だったんだ」


 ベルツが静かに補足した。

「ええ。十字架やニンニク、心臓に杭を打てば倒せるという話も、すべて人間が作り上げた迷信です」

「ヴァンパイアを確実に葬る方法は、心臓を完全に破壊することだけです」


 エレナは眠るミナの手をぎゅっと握り締めた。

「……行こう」

「そこに、ミナさんを救う手掛かりがあるかもしれない」


 ベルツは静かに頷き、黒い水晶を懐へしまう。

「影の残滓は長くは残りません」

「時間が経てば追跡は困難になります。急ぎましょう」


 ジルは立ち上がると、口元に笑みを浮かべた。

「キアラの痕跡を追うなんて久しぶりね」

「……あの子、怒らなきゃいいけど」


 サミュエルが恐る恐る尋ねる。

「キアラさんって……怒るんですか?」


 ジルは少し微笑む。

「怒るっていうより――」

「面倒くさそうに大きなため息をつくタイプね」


 ベルツも小さく頷く。

「キアラさんは、基本的に気まぐれな方ですから」


 エレナは小さく呟いた。

「……キアラさんに会えるといいな」


 サミュエルは苦笑しながら口を開く。

「拘束されている身で言うのも変ですが……」

「僕も、もう一度キアラさんに会いたいんです」

「できれば、一緒に連れて行ってもらえませんか?」


 エレナは険しい表情を向ける。

「あなたがミナさんをヴァンパイアにしたから、こんなことになったのよ」



 サミュエルは申し訳なさそうに目を伏せた。

「……反省しています」

「僕は、キールさんの指示に従って動いていただけなんです」


 ベルツはエレナへ視線を向けた。

「今回は、サミュエルさんも同行させましょう」

「最近のキアラさんに関する情報を知っているのは、彼だけです」


 ジルも賛成するように頷く。

「それに、サミュエルがキールに利用されていたのは本当だと思うわ」


 エレナは少し考え、ため息をついた。

「……分かった」

「二人がそこまで言うなら」


 ベルツは静かに右手を掲げる。

 足元へ、黒く輝く巨大な魔法陣がゆっくりと広がっていく。

「では、向かいましょう」

「影の痕跡が示す先――ペルシアシティへ」

 黒い光が一行を包み込み、次の瞬間、その姿は静かに掻き消えた。



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