届かない翼
◆境界領域――人間界と天界の狭間
黄金の光が大地を焼いた。
轟音が遅れて響く。
降り立ったのは、ただ一人の高位天使。
それだけで、空気そのものが重く沈んでいく。
アベルは息を呑んだ。
立っているだけなのに違う。
今までの下級天使とは存在そのものが別格だった。
まるで世界が人の形を取ったような威圧感。
その姿を見上げながら、ベルツが小さく呟く。
「本当に来ちゃいましたか……」
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
エレナが拳を握る。
「こいつを殺せばいいのね」
高位天使は感情のない瞳で彼女を見下ろした。
「対象確認」
淡々とした声。
「悪魔契約者、エレナ・ガレス」
その瞳がわずかに細まる。
「排除を開始する」
「上等よ」
エレナが笑った。
次の瞬間。
地面が爆ぜた。
エレナが駆ける。
視界から消えるほどの速度。
今までの下級天使なら、それだけで終わっていた。
だが――。
高位天使は動かなかった。
エレナの拳が顔面へ迫る。
しかし。
高位天使は片手で受け止めた。
空気が震える。
衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばした。
エレナの目が見開かれる。
「……は?」
初めてだった。
止められた。
高位天使が言う。
「排除難度、低」
直後。
反撃が来た。
黄金の拳が振り抜かれる。
エレナの身体が吹き飛んだ。
轟音。
建物を一棟。
二棟。
三棟。
貫通しながら転がる。
土煙が舞い上がった。
「姉さん!」
アベルが叫ぶ。
だが、その煙の中から黒い影が飛び出した。
エレナだった。
額から血を流しながらも、その目は死んでいない。
「そう……」
口元を歪める。
「やっと少しは楽しめそうじゃない」
再び突撃する。
拳。
蹴り。
肘打ち。
連撃が嵐のように降り注ぐ。
しかし。
届かない。
高位天使は最低限の動きだけで全てを捌いていた。
そして。
黄金の剣が抜かれる。
光が走った。
エレナの肩から鮮血が舞う。
彼女の身体が地面を滑った。
ベルツの顔から余裕が消えた。
「まずいですね」
アベルが振り返る。
「おい、ベルツ!」
ベルツが険しい顔で言う。
「想定以上です」
「何が!?」
「強いんですよ」
ベルツが言った。
「強すぎる」
その言葉にアベルの背筋が冷える。
今まで飄々としていた悪魔が焦っている。
それだけで十分だった。
立ち上がったエレナの足が、一瞬だけ震えた。
肩から血が流れている。
それでも笑っていた。
「まだよ」
呼吸が、わずかに乱れていた。
高位天使が剣を構える。
「抵抗を継続」
無機質な声。
「処理を続行する」
黄金の光が膨れ上がる。
周囲の空間が軋む。
ベルツが舌打ちした。
「エレナ様!」
エレナが振り返る。
ベルツが叫んだ。
「撤退します!」
「却下よ」
「却下じゃありません!」
ベルツが珍しく声を荒げた。
「死にます!」
エレナが鼻で笑う。
「死ぬのは向こうよ」
そう言いながら再び前へ出る。
ベルツも仕方なく動いた。
黒い魔力が地面を走る。
影が鎖となって高位天使へ絡みつく。
だが。
高位天使が翼を広げた。
光が爆発する。
鎖が一瞬で消し飛んだ。
「うわっ!」
ベルツが吹き飛ばされる。
地面を転がりながら起き上がる。
「本当に勘弁してくださいよ……」
その時だった。
上空に新たな光が現れる。
一つ。
二つ。
三つ。
いや。
違う。
十。
二〇。
三〇。
無数だった。
アベルの顔から血の気が引く。
「……嘘だろ」
裂けた空から、次々と高位天使が降りてくる。
黄金の翼。
黄金の甲冑。
黄金の剣。
エレナとベルツを囲むように着地していく。
完全包囲。
逃げ場はない。
ベルツが額を押さえた。
「最悪ですね」
エレナが周囲を見渡す。
それでも笑っていた。
「面白くなってきたじゃない」
「面白くなってません」
ベルツが即座に否定する。
「全然面白くないです」
高位天使たちが一斉に剣を構えた。
殺意が空を埋める。
アベルの心臓が激しく鳴った。
まずい。
本当にまずい。
このままでは。
「姉さんが……!」
気付けば走り出していた。
足が勝手に動いていた。
勝てるわけがない。
何もできない。
それでも。
行かなければならなかった。
走りながら、アベルは自分の足があまりにも遅いことを呪った。
「アベル様!」
ベルツが叫ぶ。
だが止まらない。
姉の背中が、遠ざかっていく気がした。
姉が死ぬ。
その光景だけは見たくなかった。
「姉さん!!」
その瞬間。
世界が止まった。
風が止む。
光が止む。
音が消える。
高位天使たちの動きが完全に停止した。
アベルも思わず足を止める。
「……え?」
異変に気付いたベルツが空を見上げた。
そして。
顔色を変える。
「あ」
珍しく間抜けな声だった。
次の瞬間。
ベルツが深々と頭を下げる。
「主様」
空間が裂けた。
闇より深い裂け目。
その向こうから、誰かの気配が滲み出る。
その気配だけで、空気が凍りついた。
高位天使たちですら動かない。
まるで世界そのものが息を潜めていた。
そして。
静かな声が響く。
「おいおい」
楽しそうな声だった。
「まだ壊れるには早いだろう」
その声だけで、空気が震えた。
エレナが空を見上げる。
血に濡れた顔で笑った。
「遅いわよ」
裂け目の向こうで。
誰かが笑った。
その瞬間――闇が世界を覆った。
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エピソード10まで、7月18日の23じまでに23時までにまとめてアップします。




