黒翼と深紅
◆倉庫地下・拘束室
ベルツとジルが左右からサミュエルを囲む。
だが――その中央へ、エレナが一歩進み出た。
「ベルツ、ジル。この男は……私がやる」
その声は震えていない。
怒りと覚悟が、静かに燃えていた。
サミュエルはゆっくりとエレナへ視線を向ける。
赤い瞳が、興味深そうに細められた。
「ほう……君が?」
「ミナを守るために、私と戦うのかい?」
エレナは拳を握りしめる。
「ミナさんを苦しめたのはアンタだ」
「だから……絶対に許さない」
サミュエルは楽しそうに笑った。
「いいね、その目。怒りで燃える瞳は、血よりも美しい」
ベルツが低く告げる。
「エレナ様、気を付けてください。この男は私が倒したヴァンパイアたちとは違います」
ジルは笑う。
「逃げようとしたら、両脚切り落とすからね」
サミュエルは苦笑した。
「本当に怖い悪魔たちだね……」
だが次の瞬間――
赤い瞳が鋭く光った。
「では……始めようか」
――ヒュッ。
サミュエルは影歩きで姿を消し、次の瞬間エレナの背後へ現れる。
「君、強いね」
「でも――僕の方が速いよ」
サミュエルの爪がエレナの頬をかすめる。
エレナが後退する。
「姉さん!!」
アベルが叫ぶ。
「大丈夫よ」
エレナは静かに構え直した。
だが、サミュエルは笑う。
「どうだい?影は読めないだろう」
サミュエルの姿が消えた。
アベルが叫ぶ。
「どこ!?どこに行ったの!?」
ジルが舌打ちする。
「影歩き……本当に面倒くさいわね!」
エレナは周囲を見渡す。
(風……?)
ウインドウルフ戦で学んだ“風の流れ”。
影歩きでも、わずかに空気が揺れる。
右後方――
空気が震えた。
「そこ!!」
エレナは振り向きざまに拳を突き出した。
――ドガァッ!!
サミュエルの顔面へ直撃した。
「っ……!」
サミュエルは壁へ叩きつけられ、床へ転がる。
ベルツが驚いたように目を見開く。
「エレナ様……風を読んだのですか」
エレナは息を荒げながら頷く。
「影でも……空気は揺れる……!」
サミュエルはゆっくりと立ち上がり、口元を拭った。
「……いいね」
「君、本当に人間じゃないだろう?」
「黙れ!!」
サミュエルはまた影へ溶けた。
だが――。
エレナはもう迷わない。
(風が揺れる……!)
左後方。
空気が震える。
「そこ!!」
エレナは迷わず振り向き、拳を振るう。
――ブンッ。
拳は空を切った。
「……え?」
次の瞬間――。
「残念」
甘く囁く声が、真後ろから響く。
「っ!?」
サミュエルの爪がエレナの脇腹を浅く切り裂いた。
――ザシュッ。
「くっ……!」
エレナは痛みに顔をしかめながら距離を取る。
サミュエルは数歩下がり、楽しそうに笑った。
「影を揺らしただけだよ」
「君は風を読める。でも、その"読み"に頼りすぎている」
エレナは傷口を押さえながら睨み返す。
「……フェイント」
サミュエルは微笑む。
「戦いは速さだけじゃない」
「相手を騙した方が勝つんだ」
エレナは静かに息を整える。
(もう……風だけを信じちゃダメ)
(影も、空気も……全部見ないと)
ゆっくりと拳を構え直す。
「次は……騙されない」
サミュエルは再び影へ溶けた。
エレナは静かに息を整える。
――空気が揺れた。
(また……!)
右後方。
だが、その瞬間――。
(違う……これはさっきと同じ)
わざと揺らしている。
エレナは振り向かない。
次の瞬間。
左前方の空気が、ほんのわずかに震えた。
「そこ!!」
エレナは一気に踏み込み、拳を突き出す。
――ドガァッ!!
拳がサミュエルの腹へ深くめり込む。
「っ……!」
サミュエルの目が見開かれ、その身体が床を滑って壁へ激突した。
――ドォンッ!!
壁にひびが走る。
サミュエルは苦しそうに息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。
「……フェイントまで見抜くなんて」
口元の血を拭い、小さく笑った。
「本当に面白い子だね」
ベルツは穏やかに頷き、感心したように微笑んだ。
「お見事です」
アベルも嬉しそうに笑う。
「姉さん、凄いよ」
サミュエルは静かに立ち上がると、再び影へ溶け込んだ。
「……っ!?」
エレナが気配を感じて振り向こうとした、その瞬間。
「君の血……一度、味わってみたいな」
背後から甘く囁く声。 同時に、鋭い爪がエレナへ迫った。
エレナは翼を広げ、空中へ跳ぶ。
サミュエルの爪が空を切る。「速いね……でも――」
影が床から立ち上がり、エレナの足を絡め取る。
「っ……!」
エレナは体勢を崩す。
サミュエルが迫る。
「終わりだよ」
その瞬間――
エレナの瞳が鋭く光った。
(風が……揺れた)
左後方。
空気が震える。
「まだよ!!」
エレナは翼で床を蹴り、横へ跳ぶ。
サミュエルの爪が床をえぐる。「ほう……見えているのかい?」
「見えてるんじゃない……感じてるのよ!」
エレナは拳を構える。
黒い翼が風を巻き起こす。
「ミナさんを苦しめたアンタを……絶対に許さない!!」
サミュエルは楽しそうに笑った。
「怒りは力になる。さあ、もっと見せてくれ」
サミュエルがまた影へ溶ける。
――ヒュッ。
空気が揺れる。
右上――。
「そこ!!」
――ドガァァァンッ!!
エレナの拳がサミュエルの胸へ直撃した。
影が砕け、闇が散る。
「ぐっ……!」
サミュエルは壁へ叩きつけられ、膝をつく。
ベルツが息を呑む。
「エレナ様……風を完全に読んでいる……!」
ジルが笑う。
「やるじゃない!」
エレナがサミュエルに言う。
「降参しなさい」
「そして、ミナを元に戻す方法を教えなさい」
サミュエルが苦しみながら言う。
「知ってても、教えませんよ」
ベルツが言う。
「教えれば、命の保証はします」
サミュエルが叫ぶ。
「舐めるなよ、クソ悪魔ども」
サミュエルが力を込め始め影の中に溶け込む。
黒い大きな力がサミュエルの影を包み始める。
「本気を出すよ、エレナ」
空気が震えた。
エレナは拳を握りしめる。
「来なさい……!」
黒翼が広がる。
風が巻き起こる。
地下室の空気が張り詰める。
地下室を満たす魔力が、一気に膨れ上がる。
それは先ほどまでとは比べものにならないほど禍々しく、重かった。
誰もが息を呑む。
ここからが――本当の戦い。
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